昨日、子供達は二人とも、新しい靴を買いました。
娘は、ハイヒール。
今日、学校に履いて行きました…(^◇^;)
日本人の感覚では、小学校にヒールの靴を履いていくなんてあり得ないのですが、
こちらでは、ヒールもブーツもサンダルも、なんでもありです。
「体育のある日は、スニーカーを履いてきてください」という注意書きがあるくらい、
オシャレ靴を履いていくのは、特に高学年では普通のようです。
そして、息子はブーツ。
どうせ、珍しく雪が降った時か、SnowMountainに遊びに行った時にちょっと履くだけで、
走り回ることもないし、一年に数回しか履かないのだから、と、
来年の冬も余裕で履けるくらい大きいサイズを買いました。
ところが今朝、娘が新しい靴を履いていくのを見た息子が、
自分も新しいブーツで行きたいと言い出したのです。
お外遊びもある小さな子が、走り回りにくいブーツで学校に行くのはどうなのか、と思いつつ、
「じゃあ、自分で先生に、”ブーツを履いてもいいですか?”って聞いてごらん。
先生がいいって言ったら履いていってもいいけど、
ダメって言われた時のために、ママ、普通の靴も持って行っとくから、
そしたら履き替えるんだよ」と息子に言うと、
「でも、〇〇君も〇〇ちゃんも、ブーツたまに履いてるよ」と息子。
「じゃあ、きっと先生”いいよ”って言ってくれるよ。でも、とりあえず聞いてごらん」と私。
すると息子は、聞くのが嫌だからか、「やっぱり靴にする」と迷い始め、
そうなると今度は私が、なんだか息子の思いを踏みつぶしたような気分になり、
「きっとみんな履いてるなら大丈夫だよ。先生もいいって言ってくれるよ」
と息子を励ましつつ、
でも、今の息子の足にはかなり大きいこのブーツ、
足先が地面に引っかかって、走るときっと転びそう…と、心配性がムクムクと湧き出し、
「このブーツちょっと大きいから、あんまり走り回らないほうがいいよ。」
「このブーツで走るときは、絶対にポケットに手を入れたらダメだよ。」
「今、走りにくくない?ちょっと走ってみて」
などと、心配オーラ全開になってたたみかけると、
「やっぱり靴がいい」と息子が言い出し、
「え?なんで?歩きにくいの?」と聞くと、
「うん」と息子。
…ああ!やっちゃった!私の心配性で、息子のワクワクを踏みにじってしまった(>_<)!
そのあたりまで会話が進んだところで教室にたどり着き、
とりあえずブーツのまま教室に入ると、先生たちが
「わあ!そのブーツ、カッコいいねえ!暖かそうだねえ!」と、大歓迎してくれ、
「ブーツでも大丈夫ですか?」と聞く私に、
「もちろんよ!私もブーツ履きたいわ!」と先生。
それでも、なんとなくつまらなさそうな顔をしている息子に、
「いいんだってよ、ブーツにしておく?」と息子に聞くと、
「やっぱり靴がいい」と、元気なさげに言う息子。
結局、靴に履き替えて、ブーツは私が持って帰り、
息子が転んで顔を血だらけにして帰ってくる心配は無くなったものの、
なんだか、相談している風な話し方をしつつ、
結局は親の心配やら常識やらを押し付けた結果になった…という気がして、
落ち込んで帰ってきました。
しかも、心配がなくなると今度は、
最初はみんなにブーツを見せたいワクワクでキラキラしていた息子の顔が、
だんだん元気が無くなっていったのを思い、
私はなんて残酷なことをしたんだろう…と思うのです。
そうやって慎重になりすぎて、自分を抑えて生きてきて、
今になって自分が本当にやりたいことが何なのか見えなくて死んだように生きている自分と、
このままでは同じ道を歩ませてしまう…という恐怖に、たまにかられます。
(…と思う時と、
「いや、私はなんだかんだ言いつつ、やりたいことをやりたいようにやって生きてきてるなあ」
と思う時とが、あるのです。
他人から見たら、相当「やりたいようにやっている」部類に入るのかもしれません…(^◇^;))
それを解決するにはやはり、
「私自身が自分のワクワクを取り戻し、自分自身が本当にキラキラできる生き方をすることだ」
と、最近は特に、そう思うのです( ´ ▽ ` )♪