私とは何か?と問うことに気付いている「私」とは何か?

私とは何か?意識の起源とは何か?悟りとは何か?般若心経とは何か?これらの問いの答えを考える。

読書14 『日経サイエンス 2013年 03月号』

2020年04月26日 | 意識と悟りの構造

こんにちは、領です。

『日経サイエンス 2013年 3月号』

「特集 量子ゲーム パラドックスに合理あり 量子で囚人を解き放つ」という記事が、とっても面白いです。
P31 量子情報技術は量子現象がはっきりとあらわれる光子や電子などのミクロな物体を用いるが,人間はマクロな生物で,量子現象が直接関与するとは考えにくいことだ。
にもかかわらず量子ゲーム理論が注目を集めているのは,実際の人間の非合理な行動が,量子力学を導入することでなぜかうまく説明できてしまう例があるからだ。これは単なる偶然だろうか?それともミクロな世界を語る量子力学とマクロな人間の意志決定の間に,知られざる共通項が隠れているのだろうか。答えはでていないが,研究者らは後者の可能性を考え始めている。
P43 互いが最大の利得を追求した結果,最悪の結果に陥るという逆説的な状況の有名な例に,古典的なゲーム理論の「囚人のジレンマ」がある(36ぺーじの囲み)。窃盗の疑いでアリスとボブが逮捕され,尋問を受けている。もし2人とも黙秘すれば,証拠不十分で両者とも釈放される。逆に2人とも自白すれば,両者ともに収監され刑に服する。一方もし2人のうちどちらか1人が自白し,他の1人が黙秘した場合には,自白したものは釈放された上に報償を受けるが,黙秘した相棒は収監され,2人とも自白して収監された場合よりもさらに厳しい刑を受けることになる。
P46 古典的な囚人ゲームにおいては,ボブが自白したらアリスは自白するし,黙秘しても自白する。当然原理にしたがえば,たとえボブの選択肢を知らなくても,アリスは自白をするはずだ。
 ところが実際に被験者を用いて行われたいくつかの実験では,アリスはボブが自白したと知ると高い確率で自白し,黙秘したと知ってもなお自白する傾向が見られるが,ボブの決定を知らないときには,自白する確率はそのどちらよりも低くなって黙秘する確率が高くなる(下の図)。現実の人間は時として,当然原理に反する選択を行うことがあるのである。
 このような当然原理の破れを説明するのに量子状態が使えることを示唆した(中略)アリスの戦略は常に「自白」と「黙秘」の重ね合わせ状態になっている(右ページの図)。重ね合わせにおける自白の確率は,ボブが自白した場合は非常に高く,黙秘した場合でもかなり高い。
 では,アリスがボブの選択を知らなかったらどうなるだろうか?当然原理によれば,ボブが自白した場合にアリスが自白する確率と,黙秘した場合の自白する確率の間のどこかになると予想される。だが量子力学では当然原理は成立しない。ボブが自白した場合のアリスの重ね合わせ状態と,黙秘した場合の重ね合わせ状態とがさらに重ね合わさり,新しい重ね合わせ状態ができる。「ボブもアリスもともに自白する」,「ボブが自白しアリスが黙秘する」,「ボブが黙秘しアリスが自白する」,「ボブもアリスもともに黙秘する」という4つの状態が重ね合わさった量子もつれ状態だ。
 この量子もつれ状態でアリスが自白する確率は,まったく予想外の結果となる。それは例えて言えば,もとの2つの量子状態における「自白」の確率が,水面に広がる波のように互いに干渉するかのような振る舞いだ。確率は干渉効果で強め合ったり弱め合ったりし,時として元の2つの状態の確率の範囲を大きく逸脱する。(引用終わり)


まず目に入った「実際に囚人ゲームをやってもらった実験の結果」のグラフに対して、あれ!?相手の戦略を知らないときの自白率がかなり低い、と驚きました。相手が黙秘したことを知っていたときでもかなり自白するのに、何も分からないときの方が、ガクッと自白が減ってしまう。この結果が量子力学で説明できてしまう。偶然なのか?量子力学を深く理解する道筋なのか?

私が好き勝手に思うことは、この世が量子力学で説明できるのではなく、この世は量子力学の数式通りにしか存在できない。この世の構造はこのようでなければ存在しない。確率的だけれど平行世界(マルチバース)足し合わせれば決定論でこの世はできている。自由意志が存在するように見せかけることに成功している。魂が存在するように見せかけることに成功している。生きているように感じさせることに成功している。時空に独立して動き回れると感じさせることに成功している。

外出自粛中なこともあり、FFエクスプローラーズをプレイしていたとき、敵が画面手前に寄りすぎてポリゴンの中の空洞が見えたり、二体の敵が崖に向かっているのに落ちないで同じ動きでウォーキングマシン状態などを見ると、数式通りに存在していると感じます。人間という存在も同じようなものです。しかし、自由意志を感じる思考が存在しているので問題ないと思います。

「自己を観る」という作業を重ねると、個人的な自己が薄くなっていくことも量子力学で説明できるかもしれないです。私は、「自己を観る」作業に陰陽を組み合わせていました。その構造も関係あるかもしれません。

ここまで読んでくれた方、ありがとうございます


表紙のイラストは、雑誌の41Pにまるごと綺麗に載っています。とてもかわいくて気に入っているので額縁に入れて飾りたいです


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 解脱の主体 | トップ | 読書15 『善の研究 西田幾多... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

意識と悟りの構造」カテゴリの最新記事