こんにちは、領です。
心的空間において、出来事の記憶の陰と陽を観察することによって味わい尽くして、霧状の記憶を、はっきりとした対局図柄の球にします。
この作業を1日30分、半年ほど続けたところ、対局図柄の球が幾何学的に組み合わさった、立体の曼荼羅ができます。
周りを見渡すと無限に、相関する立体の曼荼羅が見えました。無限にある曼荼羅には、一つ一つに紐が出ていて螺旋を描いて一本の紐により合わさります。
その紐は足下の方の雲海に伸びていて、たどっていくと、その先に神がいました。神は、「やあ、見つかっちゃったね」と軽い感じで言いました。
神に出会った瞬間湧き上がった思いは、怒りでした。「あなたのせいで一体どれだけ私が苦労していると思っているのよ!!」
そう思った瞬間、怒りの熱も冷め、「これが神なら、神は存在しない」と直感しました。その瞬間、自分を含めた物理的世界~人格を含めた心的世界までが、衝撃とともに消滅しました。その一瞬を境に、また、世界と自分は存在し展開します。照見五蘊皆空とは、このことだと思います。業の解消の一点です。
業の解消の一点は、領という人物が独立して至ったものではありません。全ての存在が相依相関して、数学的に決定されて、そこに、業の解消が起きるだけです。
五蘊が盛っている他者なしに業の解消は起きません。そして、全ての人は、同一人物として存在する構造になります。
「誰が悟って、誰が悟っていない」と思考することは、古めかしい思考になるかもしれません。
ここまで読んでくれた方、ありがとうございます