こんにちわ、領です。
前回の記事を読んでいて、今一度、書いておきたいことが浮かびました。
「解脱の主体」とか「仏性」という表現をすると、個人の中に秘められた主体が納められているように感じます。胸のあたりか第三の目あたりに輝く主体の原因が宿っているようなイメージです。
「解脱の主体」とか「仏性」というもは、別の表現では「自己の主としての自己」「観自在」「観ている自己が存在するという志向性」「自己感」「主観」「私」「今、自分が自分と感じている自分」などがあります。意識の起源そのもののことです。個人の自己とそこに対峙する世界が消滅し、時空が存在しない刹那、意識の起源そのものを如実に知ります。個人の自己に対して普遍の自己です。
個人の自己(普遍の自己)→個人の自己が消える→むきだしの普遍の自己
このような構造が、悟りです。
普遍の自己は、最高次の概念で、一番シンプルな無次元の点に割り当てられた情報です。つまり、「私」(普遍の自己)は時空に遍在し、私たちは「私」の海の中を動き回っているようなものです。この構造から、「私」という主観は、ここからそこへと動くものではなく不動であり、不生不滅、不変の恒常なるものと言えます。この世の全ての存在は同一人物であり、限定された誰かが解脱するということは叶いません。「私」という海の中を五蘊が縁起縁滅の法に従って展開する構造です。
「解脱の主体」とか「仏性」は、個体の中に宿り、個体と共に時空を動き回る構造ではありません。
ここまで読んでくれた、ありがとうございます
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