sakurajin ~自由気ままに想いのままに~

細々と栃木県で暮らしている人並みの平凡平穏な生活を愛するおじさんです。時に独断と偏見と差別を交えてアップしていきます。

関東水俣病検診へ

2012年09月02日 | まじめな話

さて、今日の一日はJALホテル四谷からスタートです。

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今日は関東水俣病検診の日です。

今年7月末で特例措置法への申請が打ち切りされました。

今日は申請した患者に診断書を作成するための機会です。


(少しおさらい)


水俣病・・・それは工場廃液に含まれる有機水銀による中毒症。

チッソは原因企業に確定されるまで十数年も水俣湾に流し続けました。

その長い歳月の間、水俣地域では小魚→中魚→大魚→人間といった過程で、

汚染は高濃度化していったのです。


熊本大学の研究により、チッソによる工場廃液が指摘されながらも、

高度経済成長真っ只中の国は必死にチッソを守ったのです。

しかし、あまりにも患者が多くなった結果を踏まえて、

チッソは国の命令で工場廃液を浄化する装置を作りました。

でも、被害は一向に収まらない・・・。


それもそのはず、実はまったく関係のない装置をダミーに作成。

そして、水俣湾から水俣川へ排水口を変更した事で被害は更に拡大。

どこまでも無責任なチッソ・・・。


働き手が「奇病(水俣病)」に罹患した家庭では、収入を失うのです。

今日はなんとか生きてても、明日はどうなるかわからない・・・。

切実な思いを住民は訴え、チッソは当時の金額で¥20,000を生活費として

渡すかわりに、もし将来的に原因企業がチッソだとしても、

一切の賠償請求は行わないという署名をさせました。


結局はチッソが原因企業に特定されるまでに12年も要したのです。

もっと国が早急に対策を講じていれば、ここまで被害は拡大しませんでした。

・・・さらには新潟水俣病を未然に防げたのです。


今年7月末で特別措置法への申請打ち切りがなされ、

潜在患者のうち約60,000人が申請に踏み切ったのです。

「対象地域」外でも被害はあったと主張する団体と、

それを認めない国・・・今後の行く末が注目されます。


こうしておさらいしていくと・・・公害の原点に似ているな~と。

公害の原点・・・それは足尾銅山鉱毒事件ですね~。

公害問題はどの時代においても、解決には膨大な時間を要します。


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今の時代の公害といえば、原発事故があてはまるのでしょう。


国はどこまで正しい情報を公開しているのか・・・。

福島の完全な復旧には、あと何年を要するのでしょう。

十数年後には・・・周辺住民に「奇病」が発生するのでしょうか。

そのときは、発電所施設から半径20キロ圏内を指定地域とするのか。


そんな色々な事を珍しく自分でも考えながらの水俣検診は、

おそらく今回が最後となるのでしょう。


これまでの検診に参加をして、タダ働きではありましたが、

それ以上に知識財産となった部分は多かったと思います。

率先して職場等で活動することは・・・絶対にないですが、

今後も個人的に公害問題には注目していこうと思うのでした。