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皇后になられてから、聡明さと語学力、ご自身のキャリアを発揮され、海外からの賓客も細やかなお心遣いでもてなされるなど、存在感と輝きを増してきた雅子さま。 【秘蔵写真】雅子さまの愛と笑顔……華麗なるベストショット集 白やゴールドなど、皇后というお立場にふさわしい色から優しいパステルカラーまで、ご公務の内容に合わせた選択。伝統的な着物からエレガントなドレス、マニッシュなジャケット&パンツスタイルまで幅広い着こなし。ご成婚前のキャリア時代から変わらない雅子さまスタイルが貫かれています。 ミモレの『毎日、雅子さま』にて公開中の写真から、雅子さまのファッション&スタイルをテーマごとにご紹介します。
今回は、神聖な儀式からコロナ禍での大切なご公務まで、雅子さまの装いとともに2020年を振り返ります。
新年の写真では、華やかなオフホワイトのセットアップを
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2020年新年に公開された天皇ご一家のお写真。雅子さまはまろやかなオフホワイトのジャケットとワンピースをお召しになられています。ジャケットのスタンドカラーは、雅子さまお気に入りのデザイン。光沢感のある生地、二連のパールのネックレス、そしてパールがあしらわれたゴールドのブローチで新年らしい華やかさを感じます。天皇陛下のベージュのネクタイともぴったりです。2019年12月12日、東京都港区・赤坂御所の談話室にて。写真/宮内庁提供
格式ある唐草模様の織地のドレスで新年の一般参賀に
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新年の一般参賀にお出ましになった雅子さま。饗宴の儀でもお召しになった唐草模様のイエローのドレスは、シンプルなデザインながらスクエアの立ち襟で凛とした印象に。三連パールのネックレスに、同じくパールのイヤリング、ドレスになじむゴールドのブローチで輝きを添えて。まさに皇后陛下らしい、格式あふれるロイヤルファッションです。2020年1月2日、皇居にて。写真/Abaca/アフロ
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集まった人々に笑顔で手を振られる天皇陛下と雅子さま。光の角度によって光沢感のあるドレスが輝き、雅子さまの笑顔を引き立てています。写真/AP/アフロ
天皇陛下60歳の誕生日写真はブルーのリンクコーディネート
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天皇陛下60歳の誕生日に公開された写真は、ブルーのリンクコーディネートで。ジャケットのラペルと折り返された袖口には光沢感のある生地があしらわれ、エレガントな雰囲気に。スカーフがお好きな雅子さまらしいアクセサリー、小物使いにも注目です。6月14日に紹介したお召し物を着回されていらっしゃいます。2020年2月12日、東京都港区・赤坂御所の談話室にて。写真/宮内庁提供
祝賀行事に参加される際は、品格あふれるピンクのドレスで
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即位後初めてとなる天皇陛下60歳のお誕生日。祝賀行事に参加されるため、皇居へ。スタンドカラーのピンクのドレスは、シンプルなデザインながら地紋が入った生地でエレガントな印象です。アクセサリーも光り輝くイヤリングとブローチをコーディネートされ、品格あふれる皇后陛下の装いといえるでしょう。2020年2月23日、お車で皇居へ。写真/REX/アフロ
ボルドーのパンツスーツをノーブルに仕上げるボウタイ&ネックレス
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立体感のあるラペルが優しい印象のボルドーのパンツスーツで、天皇陛下とともに水と文化国際シンポジウムにご出席に。ボウタイブラウスにボルドーのジュエリー×パールのロングネックレスを重ねられ、ノーブルな雰囲気です。靴、バッグもボルドーで揃えられています。2020年2月3日、東京都港区・政策研究大学院大学にて。写真/読売新聞/アフロ
愛用のロイヤルブルーのスーツでらん展をご見学に
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世界らん展2020の会場に到着された天皇陛下と雅子さま。雅子さまはロイヤルブルーのスーツに、そのときと同じくボウタイのブラウスをコーディネート。小物はシンプルなネイビーです。立った襟のデザインといい色といい、雅子さまお気に入りの一着といえるでしょう。陛下もブルーのネクタイでご夫婦でリンクコーディネートをされています。2020年2月14日、東京都文京区・東京ドームにて。写真/読売新聞/アフロ
着回されたモスグリーンのクラシックなセットアップ、ポイントはベルベットの襟
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農林水産祭天皇杯受賞者の謁見、および業績説明をお聞きになる両陛下。雅子さまはベルベットの襟のデザインが特徴的なモスグリーンのセットアップを着回されました。ブレードの装飾もあしらわれ、クラシックで格式高い一着です。2020年1月24日、皇居 宮殿、北溜にて。写真/宮内庁提供
凛としたブルーのパンツスーツは胸元にスカーフを
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ご夫妻で即位記念の特別展「令和の御代を迎えて」へ。雅子さまはラペルと折り返された袖口のデザインが特徴的な、くすみブルーのパンツスーツをお召しに。胸元にはシフォンスカーフとネックレスをコーディネートされ、エレガントに仕上げられています。パンツスーツを品よく着こなされる小物使いはお手本になりそう。展示された思い出の品をご覧になり、両陛下ともに感慨深げな表情です。2020年2月10日、皇居・三の丸尚蔵館にて。写真/読売新聞/
ブルーグレーのパンツスーツは幅広の白のパイピングがポイント
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蚕に桑の葉を与える「御給桑」に臨まれた雅子さま。幅広の白のパイピングが印象的なブルーグレーのパンツスーツを着回されました。大粒パールのネックレスとイヤリングで、気品のある装いです。「食べるのにどのくらいかかりますか?」などとご質問になり、笑顔で葉を置いていらっしゃいました。2020年5月29日、皇居の紅葉山御養蚕所にて。写真/宮内庁提供
シンプルで上質な白のスーツはシンプルだからこそ仕立てにこだわりを
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シンプルな白のスーツは、雅子さまのご公務での定番スタイル。光沢感のある上質な生地、スタンドカラーなどシンプルだからこそ仕立てにこだわり、格式と品を。障害を克服し他の模範となる自立した障害者や支援者、聴覚障害者のオリンピックの入賞選手と面会されました。2020年2月17日、皇居、宮殿北溜にて。写真/宮内庁提供
グレーのセットアップはウエストの組紐のデザインが特徴的
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全国戦没者追悼式にご出席された両陛下。雅子さまは昨年と同じ、グレーのセットアップにパールのアクセサリー、黒の靴とバッグをお召しになられました。ジャケットの襟はラウンドにカットされ優しいイメージに、ウエストには組紐のデザインがあしらわれています。猛暑、かつコロナ禍で緊張感が漂う中、両陛下にとって最重要といわれている公務を無事に終えられました。2020年8月15日、東京都千代田区・日本武道館にて。写真/毎日新聞社/アフロ
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1枚目 写真/読売新聞/アフロ
2枚目 写真/アフロ
雅子さま17年ぶりのお言葉...皇后としての気品あふれるローブ・デコルテ
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立皇嗣の礼 朝見の儀では、雅子さまはローブ・デコルテをお召しに。公式行事としてはおよそ17年ぶりに、「この度の御儀が滞りなく行われましたことを喜ばしく思います。どうぞこれからもお健やかにお務めを果たされますように」と笑顔でお言葉を述べられ、話題となりました。2020年11月8日、皇居・宮殿 正殿「松の間」にて。写真/宮内庁提供
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ローブ・デコルテは半袖のシンプルなデザイン。雅子さまらしい凛とした気品に溢れています。トップレディの証であるティアラと宝冠大綬章(ほうかんだいじゅしょう)を身につけられた皇后の正装です。写真/宮内庁提供
立皇嗣の礼では雅子さまのお印、ハマナス文様の装束で
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立皇嗣の礼のなかでも中心となるのが立皇嗣宣明の儀。雅子さまは藤色のハマナスの文様の小袿(こうちぎ)に紫色の単衣(ひとえ)、緋色の長袴(ながばかま)の装束をお召しになりました。ハマナスは雅子さまのお印です。2020年11月8日、皇居・宮殿 正殿「松の間」にて。写真/宮内庁提供
神聖なオフホワイトのロングドレスで皇后としての品格を
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Aラインに広がるオフホワイトのロングドレスは、シンプルなシルエットが雅子さまの美しさを際立たせる参拝服。帽子のあしらいとジャケットの裾のデザインがリンクしていて、モダンな印象も。ジャケットの襟と裾にラウンドのカッティングがほどこされ、まさに皇后らしい品格と柔和な優しさが表現されたセットアップです。明治神宮の創建100年を祝う、明治神宮鎮座百年祭のために参拝されました。2020年10月28日、東京都渋谷区・明治神宮にて。写真/毎日新聞社/アフロ キャプションは過去の資料をあたり、敬称・名称・地名・施設名・大会名・催し物名など、その当時のものを使用しています。 構成/佐々木奈々子、片岡千晶(編集部)
https://news.yahoo.co.jp/articles/83fee98eccd284a8ddd62f6f70de1ac1e8f3c4e6?page=1
下記は日本経済新聞プからの借用(コピー)です
コロナ禍が高齢者の筋力低下を招く
新型コロナウイルス感染症の拡大による自粛によって、外出の機会が減っています。
しかし、高齢者が一日中家に閉じこもり、誰とも話さないような生活を送っていると、
筋力はもちろん認知機能も衰えてしまいます。
要介護ではないものの、その一歩手前である心身の弱った状態を
「フレイル」と呼びますが、その予防には何を心がければいいのでしょうか。
日本老年医学会理事長の秋下雅弘先生に伺いました。
――新型コロナウイルス感染症の重症化リスクは高齢者ほど高いといわれています。
高齢者ほど重症化しやすいことは、厚生労働省のデータにもはっきり表れています。これは国内だけでなく、欧米やアジア各国など、世界的に共通した傾向です。
理由はいくつか考えられますが、加齢による免疫系の低下や、臓器の機能低下があげられます。さらに、高齢者には糖尿病や心臓病などの基礎疾患を持つ方が多いことも一因となります。また若年者の場合、罹患(りかん)しても無症状で気付かない方が多いのに対し、高齢者の場合は有症状でも、他の病気などと混同して自覚しにくい傾向にあります。感染に気付いたときには、すでに重症化しているケースが多いのです。
――感染予防のポイントを教えてください。
手洗いの励行、次いでマスク着用が大切です。また、高齢者の場合は聴覚の衰えなどで、どうしてもソーシャルディスタンス(社会的距離)がとりづらくなりがちですから、その点にも注意が必要です。
一方、感染を恐れるあまり、家に閉じこもり「生活不活発」になってしまうことも問題です。活動の減少によって、身体や頭の働きが低下し、日常の動作が行いにくくなったり、疲れやすくなったり……。このように高齢者において運動機能や認知機能が低下し、心身がぜい弱となることを日本老年医学会ではフレイルと呼んでいます。フレイルが進行すると、感染症に対する抵抗力も落ち、新型コロナをはじめ、様々な疾病に対する重症化リスクを高めてしまいます。
フレイルの進行ステージ
――フレイルをチェックする目安はありますか。
1つは「体重の変化」です。半年で2キログラム以上減少している場合、フレイルである可能性があります。第2は「筋力の低下」です。例えばペットボトルの蓋が開けづらくなったなどは要注意です。第3は「動作緩慢」です。片側2車線道路を、信号が青のうちに渡り切れなくなる、などが当てはまります。最後は「疲れやすさ」です。こうした自覚がある方は、フレイルに対する注意が必要です。
フレイルの恐ろしさは負のスパイラルに陥ることです。外出自粛で筋力や認知機能が衰えはじめる。そうなると買い物などがおっくうになり、調理や食事もおざなりになります。低栄養になれば筋肉はますます衰え、さらに動けなくなる悪循環に陥るのです。
フレイルには身体的なものだけでなく、記憶の低下やうつ状態になる心理的フレイル、社会とのネットワークが切れてしまう社会的フレイルもあります。コロナ禍による生活不活発が心配される現在、こうしたフレイルにも十分な注意が必要です。
新型コロナ拡大前後で、
高齢者の身体活動時間は約3割減少
東京、神奈川、千葉、埼玉、愛知、大阪、兵庫、福岡に在住の65-84歳、1600人にインターネット調査(Yamada M,Arai H,et al.J Nutr Heslth Aging, 23 June 2020 より改変)
――フレイルは予防できますか。
フレイルは病気ではなく、心身の状態を表す概念であり、自力での予防や改善が可能です。身体的フレイルの場合、身体をこまめに動かすことが重要になります。例えば、テレビを見ていても、コマーシャルの時間になったら意識して立ち上がるなど、できるだけ座っている時間を減らしましょう。スクワットなどの運動を取り入れることもお勧めです。
筋力維持には食事も大切です。何らかの基礎疾患で食事制限を受けている方は別ですが、そうでなければ、高齢者でも体重1キログラム当たり、最低1日25~30キロカロリーは摂っていただきたいですね。また、筋肉の材料となるたんぱく質は肉類や乳製品などから体重1キログラム当たり、1日に1グラムを摂る必要があります。
――高齢の親を持つ子として、できることはありますか。
フレイルの予防には、人と人との交流がとても大切です。ところがコロナ禍による自粛が始まり、高齢者の活動量が3割ほど減ったと報告されています。外出しにくい状況のいまこそ、家族との活発なコミュニケーションが求められます。
高齢の親と離れて暮らす方には、実家のIT環境を整備し、テレビ電話などで頻繁にコミュニケーションをとることをお勧めします。おしゃべりは心理的フレイルの防止ばかりでなく、口や喉の周りの筋肉の衰え(オーラルフレイル)を防ぎ、これによって引き起こされやすい誤嚥(ごえん)性肺炎などの予防につながります。
同居、別居を問わず、高齢の親を孤立させない。そしてフレイルのことをお互いによく知り、これを予防する。こうした取り組みを、ぜひ実行していただきたいですね。
下記の記事は日経電子版からの借用(コピー)です
新型コロナウイルスの感染拡大で、私たちの暮らしや働き方は大きく変わりました。このコロナ禍で、老後への備え方も大きく変わるのでしょうか。
基本的には変わらないと思います。
──長生きで生活費が不足したり老々介護が発生したりする「長生きリスク」が指摘されています。
医療経済学者の永田宏氏は、1987年生まれの男性の25%が101歳、女性の25%が107歳まで生きると予測しています。女性だと60歳で退職してから半世紀生きる計算です。ある意味SF(サイエンスフィクション)の世界で、それが現実になることへの不安は相当なものです。
かつては60歳が定年で、80代で鬼籍に入るのが日本人の人生でした。定年後は20年しかなかったわけです。しかし今は50年の余生を考えなくてはならない。私の母は90歳で元気ですが、コロナよりもこれから10年、20年生きる不安を口にしています。「どんなに嫌でも生きてしまう」のが現実です。
──その現実に、どう対応すればいいのでしょうか。
問題は「老後が長過ぎる」ことなのだから、働いて老後を短くするしかないのでは。60歳から20年間年収300万円で働けば6000万円。80歳の時にこれだけの金融資産があるかどうかで、その後の生活は大きく変わるでしょう。超高齢社会では、経済格差は老後に働ける人と働けない人の間で広がっていきます。
それに加えて、現代社会では生きがいを得る最も効果的な手段は仕事です。趣味が生きがいという人もいるでしょうが、他者からの評価を金銭で「見える化」できるのは仕事だけです。その上中高年になれば、人間関係は仕事を通してつながっていることがほとんどではないでしょうか。
■「残酷な世界」で二極化が進む
──高齢者が仕事を見つけるのは大変ではないでしょうか。
マネタイズできるスキルがあれば、年齢にかかわらず経験者を求めている職場はあるのでは。
実用書の中堅出版社の例ですが、退職した編集者だけの「シニア編集部」があるそうです。出社は自由で好きな本をつくればいい代わりに、給与は本が売れた分だけという完全な成果報酬。ところが、正社員の編集部よりもそこから次々とヒット作が出ているという話でした。
シニア編集者にしてみれば、最低限の生活は年金で賄えるわけですから、あとは旧知の著者やスタッフと「老後の楽しみ」として本づくりをすればいい。それで本が売れれば評価は上がり、「自己実現」もできる。まさに理想の働き方ではないでしょうか。
──「そんなに長く働きたくない」という人も多そうです。
私が「これからは生涯現役の時代ですよ」という話をすると、「懲役10年だと思っていたのに、無期懲役なんですか」という顔をされます。でもこれは、上司のパワハラや同僚の意地悪に耐え、部下の尻拭いをしながら「嫌われる勇気」で歯を食いしばって会社勤めをしているからで、好きな仕事を気の合った仲間とやっているのなら、いつまでも働き続けたいと思いますよね。
もちろん、こんなことみんなができるわけではない。これからは「好きを仕事に」できた人とそうでない人の間で二極化が進んでいく。これを私は「残酷な世界」と呼んでいます。
──そんな「残酷な世界」で生き延びるためのポイントは。
どんなことでもいいので自分の専門性(強み)があれば、それを生かしてニッチを見つけ、居場所をつくれるはずです。
問題なのは、日本企業が「何でもやらせられる」ゼネラリストを養成するためにいろんな部署をたらい回しにした結果、社員が一芸を身に付ける機会をなくしてしまったことです。こうして、何の専門性もない退職者が大量に生まれつつある。これが「定年後」の不安の本質でしょう。
──専門性をどこで発揮すればいいのでしょうか。
近年はインターネット上で様々なマッチングサービスが提供されています。コロナ禍で在宅勤務の需要が増えていることもあって、一芸がある人には長く働ける環境が整ってきました。
ベンチャーを立ち上げた若者から聞いた話ですが、彼の会社の技術を知った海外企業からいきなり提携を申し込まれた。海外取引の経験が全くないので渉外専門の法律事務所に相談に行ったのですが、数百万円の報酬を要求され途方に暮れてしまった。
そこでわらにもすがる思いで仕事のマッチングサイトに依頼を出したら、「5万円でやってもいいですよ」という人が現れた。半信半疑で任せてみると、どの契約条項を削ってどんな文面を入れるのかまで詳細なアドバイスが返ってきた。びっくりしてその人の家を訪ねると、大手商社の法務部で海外企業との契約をずっと扱ってきて、定年して時間が余ったので、たまにネット経由で仕事を請け負っているという。三顧の礼で顧問になってもらったそうです。
終身雇用というのは逆にいえば「超長期の強制解雇制度」で、それまで培った専門性の価値は定年でゼロになってしまう。これは社会にとっても大きな損失ですが、デジタル化でミスマッチが解消され、眠っていた能力が発見されることが増えていくのではないでしょうか。
■老後は普通預金の活用も
──老後対策としては、働くことに加えて投資も重要な手段です。
若い人に老後のアドバイスをするのは簡単です。長期で積み立て投資をしていけばいいのですから。
今はつみたてNISA(少額投資非課税制度)やiDeCo(個人型確定拠出年金)など税制メリットを享受しなら資産運用できる制度が充実しています。これらを使って、投資先の分散が利く世界株のインデックス型商品に投資するのが王道です。30~40年という時間を武器にして、着実に資産を増やしていくことができます。
難しいのは50~60代です。積み立て投資は長期が前提ですが、それに必要な十分な時間がありません。年齢が高くなればなるほど、株式市場が下落した時の影響は大きくなっていきます。
──年を取ってからの投資はどう考えるべきでしょうか。
十分な金融資産があるなら、余計なことは考えずに普通預金に預けておけばいいのでは。そう言うと「なにをバカな」という顔をされるのですが、普通預金は実はものすごく優れた金融商品です。
貸金庫を使えばかなりの利用料が取られますが、普通預金はそれよりずっと便利で、しかも全て無料です。その上1口座1000万円までは国が元本と利息を保証している。
ネット銀行ならクリックひとつで日本円を外貨に替えることもできるし、ネット証券と連動させておけば、株式相場が大きく動いて絶好の買い場だと判断した時に素早く投資することもできます。コロナ禍で経済の先行きが不透明な時には最適な資金の待機場所なのです。
──コロナショック後、中小型株で投資ブームが起きています。
中小型株はボラティリティーが大きいので、手っ取り早く儲けたい人が短期売買したくなるのは理解できます。特にコロナショック後の上昇相場ではそうでしょう。しかし、短期売買はゼロサムゲームなので、勝ち続けられる人はごく一部です。日本でも欧米でも、8割近い個人トレーダーが3年以内に損をして退場していくとデータが示しています。
それが分かっていて挑戦するならいいのですが、問題は、資産運用のつもりで短期売買している人が少なくないことです。若いうちならともかく、退職後に一発逆転のギャンブルを狙って金融資産を全て失ってしまえば、もはや取り返すことはできません。高齢者はそのリスクを常に頭に入れておくべきでしょう。
■働くことは生きがいに必要だ
──老後をにらんで地方移住する動きも出始めています。
1990年代の終わり頃に海外移住のブームがあったのを思い出します。東南アジアなど物価が安い場所に移住し、年金で悠々自適の暮らしができるといわれましたが、実際には、現地の言葉はもちろん英語すら話せない日本人が海外で暮らすには家賃も含めて高い生活コストがかかる。
だったら、東京郊外に「移住」した方がずっと快適です。都心に比べれば家賃はずっと安いし、買い物はネットやコンビニで十分。何より日本語で生活できます。
コロナ後も同じで、地方移住ではなく郊外への転居が増えていくのでは、と思っています。週に何回かサテライトオフィスに出勤し、テレワークと併用するようなライフスタイルです。
──地方ではなく郊外移住なのはなぜですか。
人間は社会的な生き物なので、仕事を全てオンラインにしてしまうのはやはり無理なのでは。サテライトオフィスで仕事の愚痴を言い合って、月に1度くらいは本社の会議に出て、たまには同僚と飲みに行くという生活は、地方移住では難しいですよね。
──30~40代の間では、投資で資産を築いてアーリーリタイア(早期退職)する「FIRE」を目指す動きが広がっています。
自由な人生の土台はお金です。十分な資産があれば意に沿わない仕事をする必要もないし、配偶者の理不尽な扱いに耐えることもありません。さっさと退職・離婚すればいいのですから。これが「経済的自由(ファイナンシャルインディペンデンス、FI)」で、そこに早く到達しようとするのは理解できます。
ただ、アーリーリタイアを「仕事をしないこと」とするならば、それは定着しないと思います。仕事は社会資本(評価)と分かち難く結びついているので、人的資本を失えば人間関係や生きがいもなくなってしまいます。
米国でもアーリーリタイアした人が、やることがなくなって数年で復職する例が多いと聞きます。だとしたら、「経済的に自立し、好きな仕事を続ける」のがこれからの目指すべき人生設計になるのではないでしょうか。
秋篠宮さまが結婚を「認める」と発言されてからも、眞子さまと小室圭さんの結婚について世間からの批判の声は止んでいない。 【写真あり】渡米直後、笑顔で写真撮影に応じる小室圭さん そんな中、12月10日、西村泰彦宮内庁長官は定例記者会見で、小室家の“金銭トラブル”について「説明責任を果たすべき方が果たしていくことが極めて重要だ」と発言した。 西村長官の発言に対して、小室さん側はどう対応していくつもりなのか。上芝氏に聞いた。 「今後はスタンスを変えていくということです。問題を円満かつ誰もが納得できる形で解決するために、これまで週刊誌の記事に対して批判や反論はしてこなかったのですが、現状では誤った情報が事実のように扱われてしまっています。今後はしっかりと正すべきところは正していく、ということです」 ただ、眞子さまと小室さんの結婚に対し、ツイッター上では次のようなつぶやきが後をたたない。 《税金の一時金が小室さんの借金返済に使われるなら不快》
《眞子様の持参金目当てでは? と疑われても仕方がない》 結婚により皇籍を離脱されるのに伴い、眞子さまは約1億4千万円の一時金を受け取られるとみられている。小室さんは多額の一時金が目当てで眞子さまと結婚するのではないか――。そういった疑念を持つ国民も少なくないのだ。 小室佳代さんが元婚約者・X氏から受け取った400万円については、X氏自身が「返してもらわなくていい」との意向を表明している。しかし、小室さん側にはさらなる“借金”があると囁かれている。 先日、上芝氏は本誌の取材に、佳代さんがX氏から受け取った400万円が小室さんの学費に使われたことはないと明言していた。 国際基督教大学(ICU)の入学金は「おもに彼が高校生のころにアルバイトをしてためたお金」と説明。さらに、「ICU在学中は奨学金を利用していました。入学金と1学期目の授業料などは圭さん自身の貯金から支払い、それ以降の学費は全額、奨学金で賄っています」と回答したのだ。 だが、貸与型の奨学金はいわば“借金”。返済は終わっているのだろうか。 ■「眞子さまの一時金は当てにしない」代理人が断言 今回改めて、小室さんが“金目当ての結婚”との批判を受けていることについて直撃すると、上芝氏は次のように断言した。 「圭さんが眞子さまの一時金を当てにしていることなど一切ありませんし、そうしなければならない状況でもありません。現状、奨学金のうち貸与型のものについては、ほぼ返済を終えています」 小室さんは合計で600万円を超えるICUの学費の大半を貸与型の奨学金で賄ったとみられるが、すでに完済目前だというのだ。 “小室さんは一時金は当てにしていない”と断言した上芝氏。もちろん、依頼人である小室さんと相談したうえでの発言だろう。ただ、この発言ですべての疑問が解消されたわけではない。 「学費には使われなかったという400万円を、佳代さんはいったい何に使ったのでしょうか。また、ニューヨーク留学中の小室さんは、全額返済不要の奨学金を獲得したり、日本で勤務していた法律事務所からいまも給与と同等の金額を受け取ったりしていると報道されています。これほどの“特別待遇”を受けているのは不自然だという指摘もあります」(前出・皇室担当記者) 宮内庁長官から“説明責任”を求められた小室さんは、今後どのような対応をすべきなのか。皇室の歴史に詳しい静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんはこう語る。 「X氏が説明した経緯が正しいならば、国民が不信を抱くのも当然です。皇族の親戚となる小室さんが、もし社会通念上許されない不道徳な行為をしていたとすれば、許されないことです。金銭トラブルについて、少なくともX氏と小室家との間に、相互に納得した和解が成立したとは思えません。小室さんが国民の信頼を得るためには、X氏の発言の真偽も含め、交渉決裂までの経緯を丁寧に説明すべきでしょう」 小室さんは数々の疑惑に答え、眞子さまと“祝福される結婚”を実現することができるのか――。
「女性自身」2020年12月29日号 掲載
https://news.yahoo.co.jp/articles/853865c7d592baccbb8796dae34b2bef3b486060
「誤報は正していく」小室圭さん代理人が“反転攻勢”を宣言
《思いも寄らず世界中が新型コロナウイルス感染症の大きな災厄に見舞われることとなり、大変に心の痛む年でした》 【写真あり】“親子出勤”する小室圭さん・佳代さん 12月9日、雅子さまが57歳の誕生日に際してのご感想を文書で公表された。4千字を超える文量で、コロナ禍の国民を心配するお気持ちが伝わってくる内容だ。 だが、さまざまな出来事に触れられたご感想のなかで、いっさい言及されなかった話題がある。眞子さまのご結婚についてである。 先月、眞子さまがご結婚についての「お気持ち」文書を発表され、秋篠宮さまが誕生日会見で小室さんとの結婚を「認める」と発言されたばかりだが――。 「金銭トラブルについて小室さん側から十分な説明がないなど、課題は残されたままです。この状況で雅子さまがお二人の結婚についてコメントされるのは難しいでしょう」(皇室担当記者) 皇后陛下が内親王の慶事を祝福できない異常事態……。だがここにきて、この問題について静観してきた宮内庁がついに動いた。 雅子さまの誕生日翌日となる12月10日、西村泰彦宮内庁長官は定例記者会見で、小室家の“金銭トラブル”について「説明責任を果たすべき方が果たしていくことが極めて重要だ」と発言した。 宮内庁長官がここまで踏み込んだ発言をしたことは“異例の苦言”、“最後通牒”などと報じられたのだが――。 「実は会見の前日の9日、西村長官と小室さんの代理人・上芝直史弁護士は宮内庁で面会しています。小室さん側にも事前に“根回し”したうえでの発言だったのです。長官は『ご結婚に向けてきっちり説明をしていくことで批判にも応えることになる』とも発言しています。つまり、宮内庁には結婚を破談にする意図はなく、あくまで円滑に結婚を実現させるための長官発言なのでしょう」(宮内庁関係者) 西村長官の発言に対して、小室さん側はどう対応していくつもりなのか。上芝氏に聞いた。 「今後はスタンスを変えていくということです。問題を円満かつ誰もが納得できる形で解決するために、これまで週刊誌の記事に対して批判や反論はしてこなかったのですが、現状では誤った情報が事実のように扱われてしまっています。今後はしっかりと正すべきところは正していく、ということです」
「女性自身」2020年12月29日号 掲載
https://news.yahoo.co.jp/articles/994de92459ffd2f171db1e8a195cc5b5e73e2d23
https://news.yahoo.co.jp/articles/cb10517fbb38da583671ece785566d61f29698bb
下記の記事は文春オンラインからの借用(コピー)です
「引きこもり100万人時代」という言葉が注目を集める現代。引きこもりは決して他人事ではない。にもかかわらず、引きこもり問題の相談に乗ってくれる機関はいまだ十分に整理されていないのが現状だ。「どこもまともに取り合ってくれない……」と悩む保護者に残された道はどんなものなのか。
ここでは臼井美伸氏の著書『「大人の引きこもり」見えない息子と暮らした母親たち』より、会社を失踪・退職して以来、引きこもりになってしまった息子と暮らす毎日を引用し、紹介する。
◇◇◇
突然行方不明に
ある日突然、子どもの勤め先から実家に一本の電話があった。
「息子さんが、2日前から出社していません」
どういうことだろう?
寮に電話してみたが、いないという。
すぐに父親が寮に行ってみたが、何もわからない。息子は、忽然と姿を消してしまっていた。
警察に行っても、成人した息子の家出なので捜索はしてくれない。
「何か事件に巻き込まれたのでは」「思い詰めて変なことをしなければいいが」。夫婦ともに不安で眠れない日を過ごしていたところ、2週間後に突然、荷物が届いた。息子のカバンや背広などが入っていて、手紙はない。
ただ、荷物を出した場所が、実家から1時間ほどの市内であることがわかった。iStock.com
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その日から、父親はその市内を歩き回って息子を捜した。ホテルというホテルを、片っ端から訪ね歩いた。
何十軒目かのホテルでようやく、受付の人に「この人なら泊ったことがある」と言われた。しかし、行方はわからなかった。
失踪から2カ月後…突然の電話
ようやく宗太さんから電話があったのは、いなくなってから2カ月後のことだ。あちこち泊まり歩いていたが、ついにお金が続かなくなったらしい。
雅子さんは「とにかく、帰って来なさい」と伝えるのが精いっぱいだった。
こうして宗太さんは、実家に帰ってきた。
雅子さんは宗太さんがやっと帰ってきたことに安堵した。しかし「何があったの」と聞いても、ほとんど何も答えない。
ようやくポツリポツリと発する言葉をたよりに推察すると、外回りの営業で、個人客が相手の仕事だった。飛び込みでいろんなところを訪ねて行き、初対面の人に話しかけなくてはいけない。迷惑がられることもしょっちゅうで、仕事をすることが苦痛に感じられるようになった。しかし成績を上げないと会社にはいられない。何とかやろうと頑張ってみたものの、結局逃げ出してしまったようだった。
昔気質の父親は、「お世話になった会社をそんなふうに勝手に辞めてはいけない」と言い聞かせ、宗太さんを連れて勤め先に謝りに行った。会社は、正式に辞めることになった。
それから、引きこもりが始まった。
腫れものに触るように過ごす日々
最初のころ宗太さんは、ときどき部屋から出てきて家族に姿を見せていた。家族と一緒に食事をすることはなかったが、雅子さんが食事を作って声をかけると、自分で部屋まで運んで食べていた。
それが、だんだん姿を見せなくなった。部屋の戸に内側から突っかい棒をして、開けられないようにしている。呼びかけても何の反応もない。
雅子さんは仕方なく、食事を宗太さんの部屋の前に置くようになった。「あの子のいいようにさせてあげよう」
宗太さんはいつの間にか食べて、食器を外に出している。入浴などは、家族が寝静まった深夜にしているらしい。一切、姿を見ることはなくなった。
「何度となく声をかけたのですが、何の反応もありませんでした。世の中にも親にも、絶望していたんだと思います」(雅子さん)。
我が子が引きこもりになるとは思いもしなかった
雅子さんも「引きこもり」という言葉は知っていたが、まさか自分の子どもがそうなるとは思ってもみなかった。
どう対応していいのかわからない。夫婦は頭を抱えた。iStock.com
下手に刺激して何かあってはいけないと、腫れものに触るような感じだった。
保健所や様々な機関に電話をかけたり、訪ねて行って相談した。しかし、どこもまともに取り合ってくれないと感じた。
昔から、父親と息子との関係はあまりよくなかった。以前叱られたときに何か言われたことが気に入らなかったのだろうと、雅子さんは感じている。
雅子さんも宗太さんと同じ一人っ子で、相談できるきょうだいがいない。年老いた母親以外に近い肉親と呼べるのは、遠くに住んでいるいとこの女性だけだった。息子は彼女を「おばさん」と呼んで、小さいころは慕っていた。
彼女に家に来てもらい、説得してもらったこともある。
「宗太君はどうしたいの?」と聞くと、「車を買ってもらいたい。それを使って職探しをしたい」と答えたという。
両親はそれを聞いて、すぐに中古車を買い与えた。しかし結局、宗太さんがそれに乗ることは一度もなかった。車は、また引き取ってもらうことになった。
近所の人や美容院のお客さんには、息子が引きこもって家にいることは言わず、「就職して一人暮らしをしている」と話していた。仲のいい友人にも、ずっと長いこと言えなかった。
そんなふうにして、1年ほどが過ぎていった。
家から出しましょう
きっかけは、父親が地元の新聞で見つけた記事だった。近くの地方都市にあるNPO団体「ひまわりの会」で、引きこもりの家庭のサポートをしているという。
父親は、さっそく会いに行ってきた。会長の村上友利さんとすっかり意気投合し、その場で入会。
それからは夫婦で月に1回、会合に参加するようになった。写真はイメージです iStock.com
そのうちに村上さんが、月に一度石田さんの家を訪問してくれるようになった。
宗太さんの部屋の前で声をかけるが、返事はない。あとでわかったことだが、声が聞こえないようにヘッドホンをつけて、大きなボリュームで音楽を聴いていたそうだ。
3回目の訪問のときは、2階にいる宗太さんがトイレに行く音が聞こえたので、村上さんはトイレから出てくる宗太さんを待ちぶせしてみた。
ついに、宗太さんが姿を見せた。「あ! びっくりした!」と声を上げ、村上さんを避けるように自分の部屋に逃げ込んでしまった。
そんなふうにして訪問サポートを続けているうちに、また1年が過ぎた。このままでは何も変わらない。
「宗太くんを家から出しましょう」。村上さんと父親は、相談の結果そう決めた。
本人には内緒で、センターから歩いて3分くらいのところにアパートを借りた。両親が家財道具一式を揃えた。これから寒い季節になるからと、こたつも入れた。
あとは本人を何としても説得し、決断させることだ。果たして出てきてくれるのだろうか。
平然とテレビを観ながら食事
いよいよ決行の日、村上さんは朝からやってきた。一日がかりで説得するつもりだった。宗太さんの部屋の前で、村上さんはこう声をかけた。
「ここを出て一人暮らしをしてみよう。今日、行こう」
父親も呼びかけたが、全く応答がない。
「宗太君、ドアを開けるよ」
金属バットの突っかい棒をうまく浮かせて、何とか部屋のドアを開けた。
そこには、平然とテレビを観ながら食事をしている宗太さんがいた。
村上さんたちの存在を全く無視していて、動揺した気配もない。髪は背中まで伸び、髭も、仙人のように伸びていた。
声を出すことなくゆっくりと腰を上げる
両親は正座して、「このままではどうにもならないよ」と説得を繰り返したが、宗太さんは一言も発することはない。黙々と、アジの干物に箸をつけている。
どのくらい時間が経っただろう。休憩タイムを挟んで、今度は村上さんが説得に入った。その間に、両親は宗太さんの身の回りのものを車に積んだ。
3時間が経ったころ、ようやく宗太さんは重い腰を上げた。長く伸びた髪をハサミで切り、髭を剃り始めたのだ。
宗太さんは、村上さんと父親に付き添われて出て行った。最後まで、ひと言も言葉を発することはなかった。iStock.com
このときのことを、宗太さんはのちにこう振り返っている。
「親と村上さんが強引に部屋に入ってきて、何が起こったのかわからない状態だった。話の内容はほとんど覚えていないけれど、どうやら僕に一人暮らしをさせようとしているのがわかった。しばらく無視を続けていたけれど、そのうちだんだん面倒くさくなって、このまま出て行ったほうがラクかと思うようになった。村上さんの『行こう』という言葉に反応して家を出た。結果的に僕にとっては、『強引に』というのと『訳もわからず』というのがよかった。もしあのサポート訪問がなかったら、10年くらい引きこもりをしていたと思う」
自殺でもしたらどうしよう……
こうして、1年2カ月の引きこもりは終わった。
雅子さんは、年老いた母と一緒に、涙を流しながら息子を見送った。久しぶりに見た息子がどんな顔をしていたのか、どんな言葉をかけたのか、今ではよく覚えていないという。
宗太さんの部屋には、ゴミが散乱して荒れ果てていた。雅子さんは掃除をしながら、「よくも1年2カ月もの長い間、この部屋で暮らしていたものだ」と、ただただ涙がこぼれた。息子がやっと外に出られたという安心感と、これから先の不安が入りまじった気持ちだった。
ただ、村上さんは信用できる人だと確信していた。「この選択が正しいものであるように」と、祈るような気持ちだった。
付き添って行った父親は、すぐには息子を置いて帰ることができなかった。「万一、自殺でもしたらどうしよう」と不安でたまらなかったのだ。センターに泊めてもらったり、近くのホテルに泊まったりして、数日息子の様子を見守った。
村上さんも、「結局ここでもカギをかけて、出てこなくなるのではないか」と心配だったが、翌日インターホンを鳴らすと、カギを開けて無言で迎えてくれたので、ホッとした。
3日後、センターが主催した「鍋の会」に、宗太さんが現れた。村上さんはホッと胸をなでおろした。父親も、大変な喜びようだった。
しかし宗太さんは、全くと言っていいほどしゃべらなかった。問いかけると、消え入りそうな小さな声で答えるのがやっとだった。
両親がいても知らん顔
アパートで一人暮らしをするようになってからは、歩いて3分のセンターに、「毎日通うこと」を約束させられていた。
宗太さんは、毎日決められた時間にきちんと顔を見せた。
両親はときどきアパートに行き、何か差し入れをしたり、声をかけたりしたが、会話は相変わらずなかった。
月1回、「親の会」が開かれるのだが、宗太さんは両親の姿に気がつくと帰ってしまうこともあった。または、そこにいても知らん顔で、呼びかけても反応はなかったという。
それでも徐々に「明るくなってきた」「こちらに心を開いてくれるようになった」と雅子さんは感じていた。iStock.com
宗太さんは会のサポートを受けながらボランティア活動に参加したり、パソコン修理の仕事をするための資格を取ったりした。
村上さんはそんな宗太さんを、優しい中にも厳しい言葉で辛抱強く見守った。妻の美智子さんは、母親のように温かく世話をした。
変わりはじめた両親への態度
「真面目で、言ったことをきちんとやってくれる。会計の仕事に興味があるということで、経理を担当してもらったのですが、彼に任せると間違いないと夫も太鼓判を押していました」(美智子さん)。
そのうち徐々に、宗太さんの両親に対しての態度も変わっていった。
祖母が入院したときには見舞いに来てくれたし、亡くなったときは葬式にも帰ってきた。用事がないときに自分から実家に戻ってくることはなかったが、会話もできるようになった。