11日から12日まで、山形県の庄内地方へ出張していました。
そして、そこで衝撃的な田圃を目の当たりにし、人間の素晴らしさに
感動をしました。
無肥料・無農薬の田圃です。
自然の循環を徹底的に受け入れて、自然界があるべき姿に戻した
田圃は、稲と稲の間にびっしりと雑草が生えていました。
いいえ・・・雑草と言う名の植物はありません。
それぞれが名前を持ち、それぞれの役目を持ってここに生きているのです。
中には、絶滅種に指定されたものまでこの田圃では存在していました。
稲作は弥生時代から始まりました。
当然、農薬や除草剤や化学肥料などあるはずもなく、それでも脈々と
田圃は田圃のまま、米を作ってきたのです。
いつしか、文明とともに化学肥料や農薬で自然界との生存競争を繰り広げて
きたのでしょう。
でも、この田圃に出逢って本当の「食」の意味をもう一度考えてみたいと思
いました。
ここまでたどり着くのに、約30年かかったとおっしゃった言葉の奥に、どれだけの
苦悩があったことかと想像するにはあまりにもたやすく、そして信じる道を貫かれた
勇気と忍耐力にも心から尊敬の念を抱きました。
そして、ご本人もさることながら・・・・
支えてこられた奥様の心中を思えば、ただひたすら頭が下がります。
今、10年先30年先50年先・・・100年先の、日本の未来を考える政治家が
果たしているのでしょうか・・・?
私は、この田圃に出逢って100年先の日本の食に希望が持てました。
だから・・・
『新たな米の食文化』
を、伝えなければいけないと・・・更なる想いを強くして帰ってきました。
出会いの連鎖が、必ずいつか・・・・
そう、信じています。
そして、そこで衝撃的な田圃を目の当たりにし、人間の素晴らしさに
感動をしました。
無肥料・無農薬の田圃です。
自然の循環を徹底的に受け入れて、自然界があるべき姿に戻した
田圃は、稲と稲の間にびっしりと雑草が生えていました。
いいえ・・・雑草と言う名の植物はありません。
それぞれが名前を持ち、それぞれの役目を持ってここに生きているのです。
中には、絶滅種に指定されたものまでこの田圃では存在していました。
稲作は弥生時代から始まりました。
当然、農薬や除草剤や化学肥料などあるはずもなく、それでも脈々と
田圃は田圃のまま、米を作ってきたのです。
いつしか、文明とともに化学肥料や農薬で自然界との生存競争を繰り広げて
きたのでしょう。
でも、この田圃に出逢って本当の「食」の意味をもう一度考えてみたいと思
いました。
ここまでたどり着くのに、約30年かかったとおっしゃった言葉の奥に、どれだけの
苦悩があったことかと想像するにはあまりにもたやすく、そして信じる道を貫かれた
勇気と忍耐力にも心から尊敬の念を抱きました。
そして、ご本人もさることながら・・・・
支えてこられた奥様の心中を思えば、ただひたすら頭が下がります。
今、10年先30年先50年先・・・100年先の、日本の未来を考える政治家が
果たしているのでしょうか・・・?
私は、この田圃に出逢って100年先の日本の食に希望が持てました。
だから・・・
『新たな米の食文化』
を、伝えなければいけないと・・・更なる想いを強くして帰ってきました。
出会いの連鎖が、必ずいつか・・・・
そう、信じています。