徒然草庵 (別館)

人、木石にあらねば時にとりて物に感ずる事無きに非ず。
旅・舞台・ドラマ・映画・コンサート等の記録と感想がメインです。

太陽の棘 彼はなぜ彼女を残して旅立ったのだろう(4回目・千秋楽)

2014年12月25日 | 舞台



東京のみ、たった8回の公演が終わる今日は、クリスマスイヴ。
今年最後の観劇(の予定)でした。







これまで3回観てきて、いろいろ思う所があって、決してスッキリとした後味ではない作品なのです。
最後まで観て「彼はなぜ彼女を残して旅立ったのだろう」に対する答えも、自分の中ではなかったような気がします。

それでもやはり人の情感に無遠慮なほどストレートに訴えかけてくる部分があります。初日に比べると、観る側も多少は「耐性」がついてくるのかなあ…とは思いましたが。あったりなかったり。「やっぱり受け入れられる部分も出来たけど、ダメな部分はダメだったね」と、終演後友人と語っておりました。

友人「何かね、今まで観てきたキャラメルボックスだと、こっちが心に痛い所や古傷を抱えている部分に触れるお芝居でも『そっ』と両手で包み込んで優しく取り上げてくれるようなイメージがあるんだけど、今日のは『かなり乱暴にザクっと刺された上に、ぐちゃぐちゃやられる』感じで」
私「わかるわ~!」
友人「例えばプリン食べる時に、スプーンでそうっと崩さないようにカスタードもカラメルも掬い上げるのか、いきなりフォーク突き立ててぐっちゃぐっちゃにかき混ぜて黄色も茶色もあったもんじゃない、ってくらいアプローチが違う…(苦笑)」
私「私も『こちらの心の奥底に沈んでいる澱を無遠慮に容赦なくかき混ぜてくる』みたいな言葉遣いだな、って思う時があったんだけどね…」

その友人とも長い付き合いなのですが、舞台経験者でもあり、独特の感性と表現力の持ち主で、観劇後に感想を語りながらビールを飲むのが何より楽しみだったりします。

友人「座席で周囲の音を聞いてるとね、泣いてる場面が皆違うんだよ。それぞれの観客が持ってる傷ついた部分や触れたくない過去を、お芝居や台詞を通して『突かれた』時、涙を流すんじゃないかな。触媒は例えば恭一かもしれないし、明音かもしれないし、亮二かもしれない、それこそ人それぞれなんだろうけど…自分には弟がいるから、あの兄弟の関係性や、その恋人(あるいは配偶者)との微妙な感情の距離がね、特にリアルだった」

その言葉に、前回までで気になっていたものの、あえて口にしなかった(できなかった)、書くのを躊躇った「ある印象」について、ふと聞いてみたくなりました。

私「これは『考えてはいけない可能性』だったかもしれないんだけど、亮二を見ていると『兄の恋人』に向ける感情は『特別』に限りなく近いんじゃないかな…って思えて仕方なかったんだよね」

友人はこちらをマジマジと見返すと「それ、自分も思った!」と頷きました。

私「もちろん、演技としても演出としても、感情表現のギリギリの線で『そうは見せない』ように抑えきってたと思うけど、やっぱりどうしても…そう感じる」
友人「それが『純愛』とかになっちゃうと完全に話が別物になっちゃうから(笑)でも、それはものすごい微妙なさじ加減だったけど『確かにあった』と思った」
私「昼ドラじゃないからね(笑)でも『死んだ兄の恋人のことを何とかしたい』という想いや言葉の後ろに潜んでいるであろう、膨大な量の感情に目を向けたくなる瞬間がね、お芝居観ててあったんだよね。そこに兄への愛情やコンプレックスとか、ちょっと年上の大人の女性に向ける『憧れ』めいた感情とか、いろんなものが隠れているように思えて」
友人「主演の鍛治本さんは、雰囲気やお芝居にそういう『邪念』(私:爆笑!)を感じなかったから、こっちもストレートに受け止められたけど、一歩踏み外すと危ういなって思えなくもないよね」
私「うんうん。だからこっちがそういう『色眼鏡』で見ちゃうと、舞台上の芝居が全部そっちにバイアスかかっちゃうんじゃないかと思って、それで口にするのを躊躇してたんだよね。でもこのモヤモヤっとした感想が共有できてスッキリした!(笑)」

そういえば『ヒトミ』の大友先生も、心のどこかでヒトミのことを(患者と担当医の一人としてではなく)気にかけていたような雰囲気がにじんでて、それが口にできない辺りが今時の好青年っぽくて初々しかったな、と思い出したり。(笑)

そして岩手ことば(方言)の台詞について。

友人「先に『ブリザード・ミュージック』観て、まさか賢治(=阿部丈二さん)がここ(舞台)で岩手弁!?って、身震いがするような衝撃が走った。何だかわけもわからない涙が流れてきて、何だろう、あの方言の響きって、人の心を無防備にするんだよね」
私「わかる!富家さんが一番インパクトあるけど、、左東さんが演じてた『菊池くん』も、中の人の持ち味も含めて何とも言えないストレートな伝わり方で、震えたよね」
友人「仕事で東北の人と話す機会が多いけど、ふっとアクセントにどうしようもない懐かしさを感じたりするし。こうして改めて舞台で台詞として聞くとね。心の防波堤を軽々と越えてくるんだよね。芝居全体が破壊力倍増みたいな」

お互い地方出身なので、そんな感慨もあるんですよね。
ふるさとの訛りなつかし、というような感覚は、やっぱり心の中からは消せないようです。

さらに話は恭一&亮二の兄弟について。

友人「お兄ちゃん役の多田さんは、今回も本当に圧倒的だった。何というか、カテコで話している姿は別人で、舞台に上がっている間は何かが憑依してるんじゃないかって思うくらい雰囲気がいつも違うし。変な言い方だけど、照明や衣装のせいもあって、ラスト近くは『天使でも降りて来たんじゃないか』っていうこの世のものでない感が凄かった。舞台装置も簡素で映像や照明が効果的に使われていて、新鮮だったよ。個人的にはあの照明がすごく好き」
私「あはは(笑)『多田さん天使説』は斬新!でも、浮揚感というか、あの人が出てくるだけで場の空気が変わるんだな、とは初見から思ってた。鍛治本さん完全に喰われてたし」
友人「あの二人は『一見シュっとしてそうで、よく見ると実はそんなことない』って外見だけど(私:ウケるw)役者としては正反対だと思う。鍛治本さんは顔立ちが綺麗な分、そう見えないかもしれないけど、ものすごく泥臭いお芝居。対して、多田さんは一瞬で『化ける』し、割と淡泊な外見なのに圧倒的に華やかな『支配力』がある…今年観てた舞台を思い返しても『やっぱ主役だな』って」
私「だからこそあの組み合わせを持ってきたキャスティングがね、素人だけど私は『ネ申!』だと思うのよ(笑)初日はやられてたけど『キャラメルのセンターに立ちたければ俺を倒してから行け!』的な多田さんの挑戦状と、受けて立つ初主演のかじもんの足掻きっぷりが、観る側はたまらないという…」
友人「わははは!出た!ドS!(笑)だったら鍛治本さん、キャラメルには倒さなくちゃいけない人が大量にいて困るよね(爆笑)」
私「そうそう(笑)でもね、今日は本当に納得したんだよ。あの若さとか未熟さとか青臭さをがむしゃらストレートにぶっつけてくるパワーこそ、亮二の役なんだなって。彼が中途半端に洗練されてたら『それはちょっと違うな』って感じただろうし」
友人「ホントに。愛すべきキャラクターだったね。で、死んでいるっていう設定もそうだけど、舞台上に不在時ですら観てるこっちの意識野に大きく影を落としているのが恭一。ああいう『軽やかなのにずっしり』な変幻自在の存在感が、ノルデの話の部分も含めて、やっぱり魅力的だった」

ちなみに友人は通路脇の席だったので、カテコ後に多田さんからキャラメルを受け取って大喜び+自慢しまくりでした。
何だよー!大人げないぞ!(笑)

キャラメル配り、初めて体験しましたけど、本当に一人ひとり配ってくれるとは思いませんでした!
あのドキドキとワクワク、楽しかったです^^


≪カテコ撮影≫





千秋楽のひとこと挨拶は、今回はなし。
代表として?多田さんが挨拶をされました。(筒井さんからいろいろツッコミが入るw)

三本締めがちょっとgdgdだった鍛治本さん。
それもまた、個性と言うことで…(^^;

シメで祝千秋楽・メリークリスマスイブ!と書いた紙を背中に、公演ポスターの構図ばりにジャンプ!
撮り損ねた観客の「えええ~~~~!?」という不満声wに応えて、何回かトライしてくれました。





最後はこんな感じw(筒井さんが肩車!)



最前列で撮ってくれた別の友人からのプレゼントv ありがとう!



主演挨拶に関しては、また改めて!
メモおこしをしている時間がありません!年明けにでも必ず。