禁制!)北花園さな競馬ブログ

競馬日記です!!難易度高いかも知れません!

これでもかっ!止めの一撃っ!っの話しぃ~!!

2020-04-16 21:20:31 | livelove日記

いや、世とは常に大勝利なわけである・・。(無敵

あさつきも高く上がり、僕は小千谷へ向かう際に、あるお堂に立ち寄って、そのとある石の碑、これを見入やる。そうすると、こうあって、

 

:米山塔の碑

 

っと、こうある。年数は天保の時代を数え、この石碑が教えているこの天保年間の理、ここから僕はこの世の常、

世の常:大豊作と言う天保年間(小千谷近辺)っで、実はこの(善悪を決す!

善:大豊作!

悪:大飢饉(ちょー不作(と言うか無米!当たり前だ!

と言う、天国と地獄を表す図世の常を思い知る!いや、傍らでこれはいかんっ!っとするお金儲けっ!これが、過(よ)ぎる。世間を右に左に当てもなく彷徨うような移動者、これが実は大あほなわけである。

 

今、世間は疫病に見舞われると言う。この話し、上の教訓話しを正しいとするなら、この疫病こと、これは反対に申せば疫病と言う”死”を連想させる傍らには、当然”生”なる一存が裏合わせのように!)あるのは見事っ!当てて外しようのない世の結論これだ!

正義は必ず勝つ!この大)疫病時代に、我はこんな無作法な疫病ことに一切係らない。いや、先ほど書いた僕の日記(ウェブ日記)に何と記しているか!?かさじぞうの話しが、結論、正義なのだから、世はこんなお金に纏わるような人としての非常識、これを行ってはならないわけだっ!!

 

何故、疫病に係り、見舞われるのか?無作法な(釈迦も言う!)無礼なお金話し(一攫千金話し)これが断じ)ならないのではないか?付き合いと言うはあって、世の理である。ここに、問いとその答えはある・・。

いやー、世の理も知らず、やみくもにお金儲けに走る浅はか)輩に、疫病は追い朽ちる!

 

ではでは、世はあるお堂に隣する米山の碑、これが正しいわけで、類いおんなのこの事情は交差する!!

 

 

ではでは~!!


呆気ない話し!

2020-04-16 20:48:13 | livelove日記

世の中、うさぎとかめの話しで、教訓並みに、うさぎさんと言う自意識過剰これであってはならない・・。(かめさんの勝ちっ!っは世の常(当たり前

もう一つ、これは好きな人も多い童話、

:かさじぞう

この話しはある。おじいさんとおばあさんが、年を越して新しい年を向かえようと、手元の古着(所有者なし(お金ちんと一緒、これを売る。売ろうとして、おじいさんに、里まで下りて、古着を売ろうとするけれど、当然)買ってくれるものなどいない。(物々交換 それで、、物売りは得てして失敗するけれど、こう最後に)現れるのは世の常だ!知っているあるもの、かさじぞうの物語のこの、笠(傘)持ち、この傘持ちのものは、ある古着と傘(笠)を交換しようと言って来る。それで、おじいさんは、(お米はないけれど(当然 お決まりの交換で、持ち古着とその傘とを交換、実はほくほくで!(してやったり!)、家路に付こうとする。途中、思いがけずある(世の理)地蔵さんに、おじいさんは、持つ傘を人間さまとしては当然の行方で、おじいさんの頭に貰う傘を掛けてやるのである・・。それで、家路につく。

 

やって来た、その晩に、あろうおじいさんが傘を被せた地蔵さんがやって来て、おじいさんとおばあさんのもとへ、傘を被せてくれた返りに、お届け物と言う地蔵さんがやって来る!それで、この話しは、実はおばあさんと言うものが、お地蔵さんを大事にしている余り、お地蔵さんと言う一番のおばあさんの持ち物、これの常、成就を果たすわけだっ!実は、世の中は、こうできている!っ

 

このかさじぞうの話しは、僕が住む長岡小千谷が伝来の発祥で、この地に纏わるおじぞうさんとおばあさん(おじいさん)の話しなのだっ!出回る、古着と言うお着物(所有者なし!)これはいらん長物なのだっ!当然、売って、おじいさんはおじぞうさんに掛ける傘(笠)と交換、世はこの理には逆らえず、じぞうさんとおばあさん(=女子)と言う世の常は、ハッピーエンドを向かえるわけだっ!!それで、より良く新年を(じぞうさんとともに!)向かえると言う、これは!っの呆気ないっ!ように見える幕引きは、いやこれ以上はない全能的な、おじぞうさんと村娘(ここではおばあさん)のタッグっ!強烈勝利だ!

 

最後の最後に、仕掛け、明くる新年をおじぞうさんと向かえる世の理、おんなのこ事情は、見事このような大赤タンを貰うような大勝利っ!これが、世の中であるのだが、一方佇むばかりのあほうな古着売りの(世が小商人に見える)小商人には、分からないわけである・・。