するな
むしろ半分の人間に積極的に
嫌われるように努力しないと、
ちゃんと仕事はできねえぞ。
白洲次郎/実業家
貿易商の家庭に生まれ、イギリ
スに留学。上流階級英語のなま
りを覚える。
これが後に成功の足掛かりとなる。
第二次世界大戦後の1951年、サン
フランシスコ
講和会議に全権団顧問として随行。
その際、吉田茂首相の読む演説が
英語で
書かれていたうえ、GHQへの美
辞麗旬が並ぶことに激怒。
敗戦国であっても戦勝国と同等の
資格で出席すべきと、原稿を日本
語に書き直させた。
歴史的舞台で「アメリカさん」への
気づかいよりも、「筋」を通すことを
実践した。
のちに実業界に移り、東北電力を
はじめとする大企業の役員や顧問を
歴任した。
妻は作家の白洲正子。