とうやのひとり言

佐藤とうや ブログ

平和の架け橋「はし鶴の会」

2024年11月29日 | 日記

 忘年会などのお膳に出される箸袋を器用に折って、先端部に直径1センチほどの折り鶴を折り、鶴を舞わせる楽しい遊びを考案した友人が、世界平和のかけはしになれればと「はし鶴の会」を発会させたと新聞記事で知った。
 友人の伊藤菊雄(68)さんは相馬市長時代からの古い付き合いで40年にもなる。生家が荒沢ダムの下に沈んだ話しをよく聞かされていたが、ダムは昭和50年に着工だったが、移転はその相当前に実施されており、彼の生まれる前のことだったと明るく語ってくれる。
 伊藤さんは私たちと居酒屋に行った時も、注文品が来るまでの間に「はし鶴」を折ってくれる。数年前の事だが、黒森歌舞伎がポーランド公演の時に鶴は平和の象徴、捨てられるだけの箸袋を使った「はし鶴」1200本をお土産品にした。日本の「もったいない」の文化も伝えようとした事が高評価につながった。
 以来、11月26日は(いいつるのかい)の語呂合わせで総会を開いて親睦を深めあっている。今年は矢口市長も出席して会が盛り上がった。会長の伊藤菊雄さんが記録的大雨罹災者にと義援金を市長に手渡して総会は終わった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

定期船「とびしま」にラッピング

2024年11月23日 | 日記

 山形県唯一の離島「飛島」は酒田市定期航路船で結ばれている。昭和25年に酒田に編入されているが、当時は市民との交流が盛んであり、島の塩辛や干物、昆布類等、島の特産物とコメなどの物々交換が盛んだった。島民は千人くらいだったが、現在は146人くらいにまでに減り昔の面影はない。
 飛島と酒田市の定期船を運営している酒田市定期航路事業所が連絡船「とびしま」の船体にラッピングをして話題を集めている。県内在住の漫画家「わらびもちきなこ」さんの月刊誌「まんがタイムきらら」に連載の「しあわせ鳥見んぐ」に「飛島定期船やとびしま」や飛島などが取り上げられた。その縁で「とびしまさんぽガイドマップ」を作成。ガイドブックのイラストを使ったポスターを事業所に展示したところ、大勢のファンが訪れた。
 これを縁に、同事業所と「わらびもち」さんとの交流が始まった。人気のあるガイドマップのキャラクターを船体にマッピングしようという事となり「とびしま丸の定期検査に合わせて作業が行われ、両舷にイラストのラッピングがほどこされた。
 ウミネコに囲まれながら双眼鏡を持つ書き下ろしのイラストは多くの飛島愛の人々に感銘をもたらすに違いない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

痛い時の駆け込み寺

2024年11月16日 | 日記

 自分は「まだ歳より若い」等と思ったことなどは一度もない。それなりに年齢を重ねて、用心しながら日々を送ってきたつもりである。血圧測定、体重測定は日課としているし医師の定期点検も受けている。でも、このくらいの作業は大丈夫であるという気持ちは自身の中にあるし、やりたい気持ちは充分にある。
 この間、木の枝が落ちて少し壊れた低い屋根の修理をした。ホームセンターから資材を仕入れ、少し高い脚立での作業だが順調に進み屋根の修理は思い通り完成した。その気持ちのゆるみから、脚立の足を踏み外し、すってんと尻もちをついて転落した。血の出るけがではなかったが、どうも右尻を強打したみたいで痛かった。久光製薬のシップ薬を貼って様子を見ることとした。しかし、腰を下ろすと右尻が痛いがその内に良くなるだろうと数日我慢をしていたが、なかなか痛みがとれない。
 そこで、行きつけの針灸の「つちだ治療院」に行くことにした。横向きに寝かされ尻を出した。「内出血」してるよ。何したの」と尻を写真に撮って見せてくれた。丁寧に針をさしてくれてる間に顛末を説明した。治療後「2~3日すれば大丈夫でしょう」と言われて、先ずは安心した。どっか痛いときの「つちだ治療院」は家族全員の駆け込み寺となっている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

漁業者の信仰あつい「善宝寺」

2024年11月09日 | 日記

  鶴岡にある 曹洞宗の三大祈祷所の一つ、竜神を祀る龍澤山善宝寺は国内で唯一の魚鱗一切供養塔で知られる五重塔があり、漁業関係者の信仰が厚いことで知らている。寺院内には全国の舟の航海安全や、漁業関係者からの安全祈祷のこもった高額寄付者名が刻まれて、舟の安全航行の祈りがしみ込んだ寺院である。
 善宝寺と言えば平成2年にブームになった人面魚がある。全国のテレビが先を争って人面魚を追いかけた「貝喰の池」は本堂から歩いて15分くらいの所にあり、今でも人面魚の鯉は泳いでいる。あのブームは何だったのか、竜神パワーの仕業だったのだろうか。不思議な因縁に思える。
 しばらく振りにコミュニテイー主催の「バスの探索」行事に参加した。20数名の参加だったが善宝寺の視察は歴史を感じさせるものだった。歩いてまわる善宝寺の境内の広さにも荘厳さを感じさせる充分なものだった。積み重ねられた歴史は重い。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

暖かい晩秋

2024年11月02日 | 日記

 稲刈りのすっかり終わった庄内平野に晩秋の気配はなく極めて温暖である。例年通りに白鳥が訪れて群れをなし落穂を食べている。北国の渡り鳥なのかと錯覚を覚えるほど温かい日々が続いている。これも異常気象かと不気味さがある。
 しかし、気が付けば今日はもう11月2日、屋敷の欅の落葉が盛んに降り注いでいる。10本近い樹齢100年以上の枝から降り注ぐ落ち葉には参った。落ち葉の絨毯を毎日集めては田んぼや畑に敷き詰めて処理をしている。強い風が吹けば落ち葉はどこかに舞って飛んで行く。自然と言えば自然であるけど我が家の欅である責任は感じる。
 抜ける様な青空の下、山形県最北の国道344号線の酒田から最上郡の金山町までをドライブした。途中、豪雨被害地の最前線を通り抜けると、山岳地帯は紅葉できれいだった。この山岳風景も間もなく白い季節となり、冬を迎える。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする