朝のNHK連続テレビ小説「おしん」が放送されて35年になる。一年間欠かさずテレビにかじりついて見た記憶がある。放送当時の昭和59年頃も、農山村の貧困さは目をそむけたい嫌悪感があった。
戦後の食糧難時の食卓は、農家の私も、おかゆや大根飯、麦飯などが日常的に夕食時に出て来るものだった。食べ盛りの子どもにとって、まずくて食えないものであった。「おしん」がテレビで放送されると、「大根めし定食」がブームになり、あちこちで食堂のメニューに加わるようになった。それは、だしの利いた旨いものだったが本物は、まずくてとても食えるものではない。
その「おしん」が9歳から16歳までを酒田豪商のでっち奉公で過ごしたと描かれている。それが温かく、心温まる場面が多かっただけに、酒田の知名度は抜群に上がった。
酒田に「おしん」の面影を求めて大勢の観光客押し寄せた。「おしん」ブームである。テレビ視聴率が62.9%を記録するなどの結果、これが世界各国に広がり、今でも海外旅行者が「おしん」の故郷として酒田を訪れている。 それに応えようと酒田観光物産協会が、山形市の人形作家大滝博子さんに製作を依頼して、山居倉庫の一角に「おしん」名場面30点を人形ギャラリーとして開設し人気を呼んでいる。
酒田を代表する観光拠点である山居倉庫にまた一つの話題が増えた。