根室は国境の街である。日本がポツダム宣言を受諾して第二次世界大戦での降伏を宣言した三日後の 8月18日にソ連は、千島列島の占領を始めた。そして、数日間の間に択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島を占領、住んでいた17.291人の日本人が強制的に追放され、北方四島の実効支配は現在のロシアである。
北方領土は江戸時代の松前藩が実効支配をしていた記録があり、山形県の偉人、最上徳内らの働きにより1855年(安政元年)に日露間の国境が話し合いによって決められ、北方四島は一度も他国の領土になった事のない日本固有の領土である。
根室の北に別海町がある。別海北方展望塔に「叫びの像」がある。これは、でん六豆の創始者である鈴木傳六氏が、国内外の世論を盛り上げ、四島返還を実現させようとの強い意志で、昭和57年に建立寄贈されたもので、何代かかっても北方四島を取り戻すという国民総意を表すため、老女が息子、孫を従え「島を返せ」と叫ぶ姿である。
「叫びの像」から国後まで16キロ。あいにく島は見えなかった。根室市を縦断して納沙布岬に向かった。信号機や道路標識にはロシア語の表示があり、国境の街を実感する。高校にロシア語の科目もあると言う。根室半島は霧に覆われ始め、納沙布岬は濃霧である。歯舞の貝殻島まで3,5キロ手が届きそうだが、島は見えなかった。国境は遠い。