Nonsection Radical

撮影と本の空間

秩序の破壊者

2013年01月26日 | Weblog
実はわたしは秩序を破壊しようとしている。
人の流動を自由化し、どこに住んでも、何をして暮らしても構わない世の中になればイイと思っているのだ。
それは現在の秩序を乱す事になると思う。
今の社会は、誰が言い出したかは知らないが「農耕民族的社会」で、土地に定住して末代まで暮らし、(出来れば)親からの”遺産”を受け継いで仕事を続け、永遠に”今”と変わらない社会が続くようにしようとしている。
それではダメだと思うのだ。
なぜダメかは、今の地方を見ていればわかるだろう。
産業と人間が固定化し、その結果仕事がない、子供がいない、人口が減っていく、と”衰退”していくばかりだ。
都会にばかり人が流入する。
そういうが、では地方では”よそ者”を受け入れる気持ちがあるのだろうか?
”地元民”にとっては、何十年経ってもよそ者はよそ者であり、違うところから来た人がただ住んでいるだけという意識はないか?
”地元民”と”新住民”。
そんな意識はないか?
それで活性化しているのか?
活性化を持ち出すのは、どこの街へ行っても活性化と言っているからだ。

対比、あるいは対立する事で何を守ろうとしているのだ。
受け入れられないから地方へ移り住まない。
受け入れられるから都会へ移り住む。
簡単な事だ。
受け入れればイイのだ。
農業や漁業、商業だって地方に行ってやってみたいと思う若者は(に限らないが)いるのだ。
しかしその前に立ちはだかる壁があるのだ。
それが”秩序”なのだ。
それぞれの地のそれぞれの秩序。
それが”参入”を阻む。
秩序が乱されるぐらいなら朽ち果てた方がマシ。
そう思っていると思わざるを得ない。
すでに内部努力では再生しないからね。

先に意識を変えたものが勝ち。
いつの間にか日本は「固有の」というのが大好きな言葉になったようだが、本来外からもたらされたもので変革し続けてきた国である。
文化も言葉も生き方も。
それを”思い出して”柔軟に外からのものを受け入れていく事が活性化する道なのだ。
お互いに影響を与えあうから新しいものが生まれてくるのだ。
それは若者と年寄りとの関係でも同じだ。
どちらかの価値観を丸呑みさせる、する事でなく、対比対立しながらも混じりあっていける意識をもたなければどうしようもないだろう。
そこから新しい社会が生まれてくるだろう。
活性化もするだろう。

だから人の移動が進む事を願うのだが、それはその地の秩序を破壊して、あらたな秩序づくりを始める事になる。
それを嫌がっていると、古いままの価値観で沈んでしまうのだ。
さあどちらをとる?
わたしは流動化で活性化を目指す方をとった。




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コメント
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