航空法が改正されてドローンに規制がかかるようになったらしいけど、実際はどんなものなのか興味があって調べようとしたんだけど、そこで規制に賛成する人が結構いることがわかって、そちらにむしろ興味が移ってしまった。
規制賛成の根拠に危険だからという思いが多いようなんだけど、その”危険”というのがどうも曖昧でいろいろなものを一律に危険ということにひとくくりしている気がする。
政府組織関連の建物に”侵入”されることでの”危険”と、落下による”危険”は別の意味での”危険”だと思うんだけど、危険という言葉で一緒くたにされて、実は危険性を曖昧にしている。
安全と機密性を保持するためにエリアを区切って飛行禁止とするのは当然で、むしろこれまでそういうことを想定していなかったことのほうが不思議なんだけど、落ちてきて怪我や事故があったら危険だろうということで規制するのと一緒に議論することでもっと曖昧な議論にならざるを得ない。
というより、実はこれらの”危険”というのはそれぞれが個別に取り組まなければならない事例なんだけど、その個別というのがどういうわけかすごく面倒に感じられる世の中になって、いちいち面倒だからすべて規制してしまえ、取り締まれという考えに”安易に”なっている気がする。
航空法で規制されることに賛成する人が、ではその法の趣旨を理解して、その規制の枠内で飛行させているドローンを見た場合に、枠内であるから自由であると理解できるのかというと、これもまた不確定なもので、抗議する、通報する、騒ぐなどのあげく、法律の枠内での合法なものであったことがわかったとしても「そんなの知らねえや」だからいっそすべて禁止してしまえという方向へ向かうことが想像されるのだ。
規制はどんどん広げるべきだと規制に頼る人はなりがちなのだ。
では、どうすればいいのか?”危険”をどうするのか?
個別に対応するしかないのではないのか、面倒くさいけど。
もし一律に規制という話になれば、本当はもっと一律になって困ることが山ほどあるだろ。
事故が多いから車を禁止しろ、自転車も禁止、歩きスマホも禁止、飲酒も禁止とならないように、影響が大きいものほど実は一律に禁止していない実態に気がつく。
ドローンなどというほとんどの人には関係ないものだから簡単にそして無関心に規制というのだ。
じゃあ落ちてきて怪我したらどうするのよ、家の中を覗かれたらどうするのよと話になるけど、面倒くさいけど”個別”に対応するしかないんじゃないの。
たとえば我が家の上空では、米軍のヘリコプターがそれこそ航空法の規制を受けずに夜間にタッチアンドゴーを繰り返すけど、もしそれで事故が起きても”個別”の交渉が行われるだけだ。
危ないから一律に飛行禁止してよと言っても、影響が大きいのでそうはならない。それは沖縄の基地問題で典型的だろう。
ドローンの”危険性”と米軍機の”危険性”を比べれば、どちらの危険性を大きく問題にしなければならないかは自明だ。
でも、そうはならない現実がある。
そして、それよりも目につくのは、個別の案件を安易に一律にしたがる面倒くさがり体質の方だ。
一律は一番簡単でいいのだけど、そうすると考えなくなるんだよな。
何も考えなくていい現状維持が一番という気持ちは人一倍持っているんだけど、それってマズイことが多すぎるとわかっているから面倒くさいけど個別に対応していくしか世の中回っていかないと諦めている。
そのためにいちいち「これってどういうことよ」と気になることを調べたりするんだよ、面倒くさいけど。
広野町の街並み 7
福島県双葉郡広野町下浅見川桜田,広長,築地
撮影 2015年9月21日 月曜日 12時35分
規制賛成の根拠に危険だからという思いが多いようなんだけど、その”危険”というのがどうも曖昧でいろいろなものを一律に危険ということにひとくくりしている気がする。
政府組織関連の建物に”侵入”されることでの”危険”と、落下による”危険”は別の意味での”危険”だと思うんだけど、危険という言葉で一緒くたにされて、実は危険性を曖昧にしている。
安全と機密性を保持するためにエリアを区切って飛行禁止とするのは当然で、むしろこれまでそういうことを想定していなかったことのほうが不思議なんだけど、落ちてきて怪我や事故があったら危険だろうということで規制するのと一緒に議論することでもっと曖昧な議論にならざるを得ない。
というより、実はこれらの”危険”というのはそれぞれが個別に取り組まなければならない事例なんだけど、その個別というのがどういうわけかすごく面倒に感じられる世の中になって、いちいち面倒だからすべて規制してしまえ、取り締まれという考えに”安易に”なっている気がする。
航空法で規制されることに賛成する人が、ではその法の趣旨を理解して、その規制の枠内で飛行させているドローンを見た場合に、枠内であるから自由であると理解できるのかというと、これもまた不確定なもので、抗議する、通報する、騒ぐなどのあげく、法律の枠内での合法なものであったことがわかったとしても「そんなの知らねえや」だからいっそすべて禁止してしまえという方向へ向かうことが想像されるのだ。
規制はどんどん広げるべきだと規制に頼る人はなりがちなのだ。
では、どうすればいいのか?”危険”をどうするのか?
個別に対応するしかないのではないのか、面倒くさいけど。
もし一律に規制という話になれば、本当はもっと一律になって困ることが山ほどあるだろ。
事故が多いから車を禁止しろ、自転車も禁止、歩きスマホも禁止、飲酒も禁止とならないように、影響が大きいものほど実は一律に禁止していない実態に気がつく。
ドローンなどというほとんどの人には関係ないものだから簡単にそして無関心に規制というのだ。
じゃあ落ちてきて怪我したらどうするのよ、家の中を覗かれたらどうするのよと話になるけど、面倒くさいけど”個別”に対応するしかないんじゃないの。
たとえば我が家の上空では、米軍のヘリコプターがそれこそ航空法の規制を受けずに夜間にタッチアンドゴーを繰り返すけど、もしそれで事故が起きても”個別”の交渉が行われるだけだ。
危ないから一律に飛行禁止してよと言っても、影響が大きいのでそうはならない。それは沖縄の基地問題で典型的だろう。
ドローンの”危険性”と米軍機の”危険性”を比べれば、どちらの危険性を大きく問題にしなければならないかは自明だ。
でも、そうはならない現実がある。
そして、それよりも目につくのは、個別の案件を安易に一律にしたがる面倒くさがり体質の方だ。
一律は一番簡単でいいのだけど、そうすると考えなくなるんだよな。
何も考えなくていい現状維持が一番という気持ちは人一倍持っているんだけど、それってマズイことが多すぎるとわかっているから面倒くさいけど個別に対応していくしか世の中回っていかないと諦めている。
そのためにいちいち「これってどういうことよ」と気になることを調べたりするんだよ、面倒くさいけど。
広野町の街並み 7
福島県双葉郡広野町下浅見川桜田,広長,築地
撮影 2015年9月21日 月曜日 12時35分