Nonsection Radical

撮影と本の空間

オトナの振る舞い

2016年02月09日 | Weblog
家人が今読んでいる「当マイクロフォン」が面白いねと言った。
この本は、NHKアナウンサーであった中西龍を書いたもので、家人も拙者もラジオで「にっぽんのメロディ」を聴いていたのだった。
本中では、”お堅い”NHKアナウンサーであるはずが、私生活では破天荒な人であったことが述べられていて、家人は今生きていたらどうだろうねぇと言うので、きっと潰されただろうと答えた。
企業も社会も人と同じように成長し、成長が止まったところでオトナの振る舞いをするようになる。
成長期には”若者らしい”行動をして、それが社会の起爆剤やエッセンスやエネルギーになるのだが、オトナになると、そんなことがあったのか?とまるで何もなかったようにオトナの振る舞いをする。
ツイッギーに影響を受けてミニスカートはいて街を闊歩したのは現在の60代半ばの世代だし、バブル景気に浮かれて仕事の後ディスコで踊り狂ったり、バレンタインデーに高級レストランでの食事の後に高級ホテルで一夜を過ごしたのも40代半ば以降の世代だ。
国会でデモ行進した世代も現在は6,70代半ばだし、現在の社会のカタチを作ってきたのもそういう世代だ。
そういう世代が、現在ではオトナの振る舞いをして、周囲にもオトナの振る舞いを求めるようになっているのだ。
プライバシーを暴くようなことには寛容でも、倫理や主義に関しては不寛容で(ベッキーの一連の報道に関して言ってるのだけど)、「正しいオトナの振る舞い」を他人にも強要する時代に中西龍のような”公共放送”のアナウンサーがスキャンダラスなプライベートを過ごすなどというのは”公人”としてオトナは許されない。
当然プライバシーを暴くことで倫理観を問われ、「にっぽんのメロディー」も中止され、独特の語りに涙した全国のリスナーが今度は非難の手紙(メールではない)を渋谷区神南に送りつけただろう。
オトナの振る舞いとは成長期の出来事は忘れ、生まれた時から完成された人間であるかのように振る舞うことである。
当然ながら、だからというべきか、新たなことは生み出さないし、社会を変えていく力も持ち得ないのである。
むしろ現状を変えないようにすることが、オトナとしての正しさだと思って、振舞っているのかもしれない。



八幡山城下の街並み 22
滋賀県近江八幡市鍵之手町,慈恩寺町上,博労町上,永原町上,仲屋町上
撮影 2015年3月21日 土曜日 17時30分
コメント
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