Nonsection Radical

撮影と本の空間

7月16日 木曜 原理原則

2015年07月16日 | Weblog
柔軟な体勢で、といいつつ原理原則を曲げない要求に硬直化しているんですけど。
で、もうすでに手一杯です。
そこでさらに要求するのだけは勘弁願いたいのですけど。
悲鳴を上げて走っている人には、休めばという言葉よりも、せめて頑張れの一言を。




大垣本町商店街
岐阜県大垣市本町1丁目
撮影 2014年12月23日 火曜日 13時40分
コメント (2)
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7月15日 水曜 委員会通過

2015年07月15日 | Weblog
安全保障関連法案が衆院特別委員会で可決され、衆院での採決へと向かうことに。
個別的とか集団的とかの区別なく、自衛権の行使を前提にすると、否定はしようが”戦闘状態”に入ることを意味する。
戦闘は一部限られた”最前線”だけで行われるわけでもなく、全地域の”どこか”で戦闘が起きることの”覚悟”を必要とする。
個別的自衛権行使なら「まだしも」、集団的自衛権行使となると、前線も見えづらいし、直接関係なくても”流れ弾”が飛んでくる危険性も増す。
当然その覚悟は必要とされる。
なにも海外でテロにあうとか、日本人ということで被害にあうとかのレベルだけでなく、日本人全体がその”リスク”を受け入れることで、より強力な”支援”を受けることが期待できるので、個別の被害とかの小さなレベルでの損害よりも国レベルでの”安全性”が高まることでトータル”安全”という考えを採用するのだ。
日本国憲法が目指したものは残念ながら、自分の原稿以外の言葉を適材適所で自由に発することはできない首相を見てもわかる通り、口八丁手八丁で国際社会を渡り歩いて行く日本人という姿を実現することはできなかった。
そういうことが得意な人は、国際的ビジネスマンとして活躍したであろうが、その数はわずかであり、そういう人が政治の世界に来ることもなく、”調整”といえば選挙区での調整とか、そういうレベルではできるのだけど、見知らぬ海外へ向かって丁々発止で渡り歩く能力はないようだ。
その結果、口先三寸で渡り歩く政策は取ることができないので、自然と”わかりやすい”方法を選ぶことになる。
それが今回の法案である。
憲法に書いてあるようにはできないので、こういう方法を選ぶんだ。
その自覚は必要。
でないと、話せばわかると言って銃で撃たれちゃうからね。



松原町の街並み
静岡県静岡市清水区松原町,万世町2丁目
撮影 2014年12月27日 土曜日 14時45分
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7月14日 火曜 体感

2015年07月14日 | Weblog
仕事先での”合言葉”は「暑い」。
でも本心ではそんなに暑いとは感じない自分がいる。
これは老齢化による不感症なのか、街歩きで暑い中寒い中歩くことで慣れているのかは不明。
水分補給は欠かせないけど。
どんなに暑くても撮影している時には構わず歩き続けていたことを思い出し、暑いけど気分的に嫌にならない限りは大丈夫という気持ちがある。
嫌なのは、屋内でじっとしていることに耐えなければならない状況だけ。
幸いなことに食欲は落ちていないけど、もう少しすると「ちゅるちゅる(麺類)」中心の食事が欲しくなるだろうな。
ホントはチゲ鍋のような辛いものを食べたいんだけどね。



相鉄 希望ヶ丘駅前
神奈川県横浜市旭区中希望が丘
撮影 2014年12月30日 火曜日 13時25分
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7月13日 月曜 あせも

2015年07月13日 | Weblog
いきなりの高温でコルセットをつけた胴回りは汗まみれ。
かいかい状態が始まってしまう。
かといってまだ外して働く”勇気”はない。
あと2,3日は辛抱しなくては。
さすがに初日なので暑さ負けとまではいかないけれど、外に出ても熱い風しか吹かない昼間から、涼しくはないが肌に吹きつけるのが心地いい夜になると、やはりホッとするものだ。
明日も暑いらしいから、お腹周りに天花粉(死語)をはたいていこうかな。
昨夜老母から電話。
ニャンコがいなくて寂しいらしい。



近江八幡駅南口
滋賀県近江八幡市鷹飼町南3丁目
撮影 2015年3月21日 土曜日 10時00分
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7月12日 日曜 地方都市の憂鬱

2015年07月12日 | Weblog
住んでる地方都市の役所のある駅前(普通繁華街になるが)にて必要なものを買い揃えようとリハビリも兼ねて出かける。
行きたいお店は、ドラッグストア、家電量販店、本屋、100均、床屋など。
大きな駅ビルのあるそこは、人の通りもまばらで、これが市の中心駅なのかといぶかしんだ。
が、歩いてみてすぐに理解できた。
駅ビル、および周辺では何も揃わないのだ。
必要なお店が存在しないのだ。
行く意味がない空間がそこにあるのだ。
おまけに駅前には立派なロータリーがあって、人は”歩道橋”を上下しないと移動できない。
そんなところに誰が何しに行くのか。
というわけで、地方都市特有のロードサイトに行かないと、必要なものは揃わない。
ところがこちらは徒歩。
地方都市ではクルマがないと買い物にも不便なのだ。
それを我慢して徒歩で行くのだけれど、地方都市の常で、欲しいもの(必要なもの)は置いていない。
では別の店で、とは簡単にはいかない。
店同士が離れているのだ。
延々行ったり来たり夏日の中を歩いて、結局満足できる買い物はできなかった。
こんなことなら都心へ出た方が早いし、安いし、便利だった。
おまけに帰りの電車は人身事故とかで1時間遅れ。
何事にもゆったりとした時間が必要な田舎の地方都市での話だ。



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