最近はそんなに写真を撮らなくなったが、元々撮影枚数も少ないにも関わらずなんとなく写真の在庫は増えていく。
写真展をすることなどもなくなり、そのまま死蔵するよりもとネット上で消費しているのだが、もう少しなんとかならないのかと考えている。
一つの方向性が以前はあったような気もするが、それも忘れてしまい、新たな”なにか”を考えつかないかなと思っているのだが。
不規則な日々を送っていると規則性のある投稿などできないし、パソコンの中も整理されずにごちゃごちゃしたままである。
そこから何かを取り出すのも大変なので気まぐれな動きしかしていない気もする。
アウトプットは難しいものだ。
写真展をすることなどもなくなり、そのまま死蔵するよりもとネット上で消費しているのだが、もう少しなんとかならないのかと考えている。
一つの方向性が以前はあったような気もするが、それも忘れてしまい、新たな”なにか”を考えつかないかなと思っているのだが。
不規則な日々を送っていると規則性のある投稿などできないし、パソコンの中も整理されずにごちゃごちゃしたままである。
そこから何かを取り出すのも大変なので気まぐれな動きしかしていない気もする。
アウトプットは難しいものだ。
ブツが届く
耳掛け式イヤホンは良さげ。
PLフィルター購入するも表面で反射してゴーストが出るので使用できない。
ここ数日の読書は経済の初歩的解説書。
最低限度の知識がないと社会のことがわからない。
ただ少し読んでは本を閉じの繰り返し。すぐに眠くなる。
新宿・北村写真機店での 渡部さとる 写真展「da.da in monochrome」。
早い時間にこっそり行くつもりが早々から作家本人が在廊。
写真云々というより、地方に生活する若者という存在が何を考え、これからどうなって行くのだろうかと興味がある。
性格の良さそうな若者の姿の背景にある景色に目が行く。
50年先には存在するのか?
地方都市の動画を撮影していても、はたして将来これらの動画を見る人がいるのかと考えてしまう。
撮影した場所が無人となり、懐かしがる人も存在しないという事だってあり得る。
そうなれば撮る意味などあるのかと自問しながら撮影している。
耳掛け式イヤホンは良さげ。
PLフィルター購入するも表面で反射してゴーストが出るので使用できない。
ここ数日の読書は経済の初歩的解説書。
最低限度の知識がないと社会のことがわからない。
ただ少し読んでは本を閉じの繰り返し。すぐに眠くなる。
新宿・北村写真機店での 渡部さとる 写真展「da.da in monochrome」。
早い時間にこっそり行くつもりが早々から作家本人が在廊。
写真云々というより、地方に生活する若者という存在が何を考え、これからどうなって行くのだろうかと興味がある。
性格の良さそうな若者の姿の背景にある景色に目が行く。
50年先には存在するのか?
地方都市の動画を撮影していても、はたして将来これらの動画を見る人がいるのかと考えてしまう。
撮影した場所が無人となり、懐かしがる人も存在しないという事だってあり得る。
そうなれば撮る意味などあるのかと自問しながら撮影している。
先日のイヤホンの話。
結局、安い耳掛け式のイヤホンをちょうどバーゲンしていたので発注した。
これで耳から外れることがなくなれば良いのだけれど。
ただし耳の痛い話はスルーできれば。
ここのところロシア関係の本を読み続けていて、ようやくソ連崩壊からの再生への苦難がぼんやりと理解できてきた。
その頃の自分の生活とか社会とかを関連づけて考えると大変な時代だったよなぁと。
まあそんなことを考えて現在を見つめると、あの国の将来と苦難とか、この国の誰か尻拭いできる人材がいるのか?とか色々想像してため息をつき、それでも時間はいつかは過ぎていくのだからなぁと諸行無常になってみたり。
アジア系の八百屋さんが安い商品を売っていて、それが傷物とか規格外のものを仕入れているからかもとのニュースがあったが、今日買ったりんごもその手のお店かも。
時々通る商店街の八百屋さんで4個370円の王林があって、これぐらいならと手に取ったが、鮮度はそれほどでもなさそうだけど値段に釣られて買ったが、お店のおねいさんは中華系のよう。
普通にやりとりしてありがとうと買ってきたが、欧米でもそうだろうけど、”庶民的”価格のお店ってアジア系が増えてくるかもなぁ。
まだかじっていないので味は未定。
口絵のような”夜景”程度ならコンデジでも十分撮影できるし、もっと真っ暗で僅かに見える程度(昔よく撮っていたけど)のものはコンデジの方が雰囲気があって良い。
結局、安い耳掛け式のイヤホンをちょうどバーゲンしていたので発注した。
これで耳から外れることがなくなれば良いのだけれど。
ただし耳の痛い話はスルーできれば。
ここのところロシア関係の本を読み続けていて、ようやくソ連崩壊からの再生への苦難がぼんやりと理解できてきた。
その頃の自分の生活とか社会とかを関連づけて考えると大変な時代だったよなぁと。
まあそんなことを考えて現在を見つめると、あの国の将来と苦難とか、この国の誰か尻拭いできる人材がいるのか?とか色々想像してため息をつき、それでも時間はいつかは過ぎていくのだからなぁと諸行無常になってみたり。
アジア系の八百屋さんが安い商品を売っていて、それが傷物とか規格外のものを仕入れているからかもとのニュースがあったが、今日買ったりんごもその手のお店かも。
時々通る商店街の八百屋さんで4個370円の王林があって、これぐらいならと手に取ったが、鮮度はそれほどでもなさそうだけど値段に釣られて買ったが、お店のおねいさんは中華系のよう。
普通にやりとりしてありがとうと買ってきたが、欧米でもそうだろうけど、”庶民的”価格のお店ってアジア系が増えてくるかもなぁ。
まだかじっていないので味は未定。
口絵のような”夜景”程度ならコンデジでも十分撮影できるし、もっと真っ暗で僅かに見える程度(昔よく撮っていたけど)のものはコンデジの方が雰囲気があって良い。
フィルムカメラ時代のカメラはほとんど手放したけれど、レンズは二束三文で手元に残っている。
それを活かそうと安いデジタル一眼を買って、レンズアダプターで旧来のレンズを使って撮影している。
言うまでもなく手動でピントを合わせている。
デジタル一眼というのは液晶ファインダーなので元々ピントを合わせるのには適していないのだが、それにも増して目の具合が宜しくなくて、ファインダーを覗いてもピントが合っているのかわからなくなった。
ピントなんか絞ってエイやあで撮影すれば写るのはわかっているのだが、そういうスナップではない口絵撮影などではほとんどはコンデジで撮るけど、スナップついでにという場合にはピント合わせに苦労する。
そういうための機能はカメラについているのだが、いくつものボタンを操作してピントを合わせて、などしているとテンポが掴めなくなってしまうのだ。
ハッとしてグッときてパッと目覚めるタイミングでシャッターを押したいのだ(by トシちゃん)。
で、撮影するのを諦めて、じゃあどうするかと考え中。
ブレッソンだって晩年はコンパクトカメラ使ってたんだし。
でもレンズがもったいないし・・・
イヤホンのパッドがどのサイズも合わなくて、すぐに外れてしまう。
サイズというよりも、耳に穴がすり鉢状になっていて引っかかりがないからだと思う。
かといって一般的な耳に当てるタイプだと、難聴なので外部の音がじゃなをして聞き取りづらいのだ。
音を大きくすると、いわゆるシャカシャカ音が漏れて顰蹙を買う事になる。
なにか良い方法はないものか
それを活かそうと安いデジタル一眼を買って、レンズアダプターで旧来のレンズを使って撮影している。
言うまでもなく手動でピントを合わせている。
デジタル一眼というのは液晶ファインダーなので元々ピントを合わせるのには適していないのだが、それにも増して目の具合が宜しくなくて、ファインダーを覗いてもピントが合っているのかわからなくなった。
ピントなんか絞ってエイやあで撮影すれば写るのはわかっているのだが、そういうスナップではない口絵撮影などではほとんどはコンデジで撮るけど、スナップついでにという場合にはピント合わせに苦労する。
そういうための機能はカメラについているのだが、いくつものボタンを操作してピントを合わせて、などしているとテンポが掴めなくなってしまうのだ。
ハッとしてグッときてパッと目覚めるタイミングでシャッターを押したいのだ(by トシちゃん)。
で、撮影するのを諦めて、じゃあどうするかと考え中。
ブレッソンだって晩年はコンパクトカメラ使ってたんだし。
でもレンズがもったいないし・・・
イヤホンのパッドがどのサイズも合わなくて、すぐに外れてしまう。
サイズというよりも、耳に穴がすり鉢状になっていて引っかかりがないからだと思う。
かといって一般的な耳に当てるタイプだと、難聴なので外部の音がじゃなをして聞き取りづらいのだ。
音を大きくすると、いわゆるシャカシャカ音が漏れて顰蹙を買う事になる。
なにか良い方法はないものか