秋田からGO!ひろさんの駆け歩き

見たまま聞いたままの日常

有料化への自己矛盾

2012年05月20日 | 活動報告
15%を占める廃プラ


5月13日「ごみ問題と環境を考える秋田の会」の学習交流会に参加しました。午前の「ごみ問題女性の会」には参加できませんでしたが、どちらも有料化問題について話し合われたものです。午後の「秋田の会」では、参加者から「分別も徹底せずに、有料化ありきはどうしても納得できない」「市は、ごみの15%を占めるというプラスチックを、溶融炉の助燃材として説明しているのだからごみには当たらず、自己矛盾を起こしている」などの意見が。

自己矛盾?
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 『ごみは溶けて資源になる』の表題のポスターが秋田市河辺の総合環境センターに掲げられています。そして『溶融とは燃やすことにより高い温度(1800℃)で溶かすとこです』と説明し、マヨネーズの容器やプラ容器や、生ごみ以外のものが描かれています。まさに秋田市が溶融炉導入の際市民に「なんでも燃やせる」と大々的に宣伝した遺産か?
 減量政策の自己矛盾と言えるでしょう!
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演説会

2012年05月17日 | ご案内
日本共産党演説会
6月10日(日)午後1時30分から
県児童会館

弁士
市田忠義書記局長(参議院議員)
高橋ちづ子衆議院議員
佐竹良夫秋田一区政策委員長
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3・5

2012年05月06日 | 雑感
憲法をくらしの中に
 3日憲法施行から65年経った。東京新聞のコラム「筆先」で、1947年5月3日は新憲法施行記念祝賀会で東京音楽学校(現東京芸術大)松本国彦教授作曲の「祝典交響曲」が演奏され、『新たな時代の到来を高らかにうたい上げるような、明るく雄大な曲調が心地良い』で、64年ぶりにCD化されたと紹介。
 戦争から平和の時代を探求するスタートを切った憲法だが、はたして憲法が掲げた理念・精神の実現にこれまでの政権は努力してきたのか?
 9条・13条・25条に典型が見られるように、実現どころか背を向けてきたのではないだろうか。そして、実現への努力もせずに改憲を叫んでいる姿を、『新たな時代の到来』を求めた人々は望んだのではない。
 かって京都の蜷川府政は、「憲法をくらしの中に」と府政の中心に憲法を大きな柱としてきた。いまこそ、国と自治体は憲法を守り抜く努力を怠ってはならない。東京新聞は、コラムの末尾で『憲法は国民は国家権力を縛る道具』『立憲主義の基本』と結んでいる。私たちの暮らしに「生かそう憲法」へのスタートに。



 最高の贈り物を
5日「こどもの日」。だからこそ、未来ある子どもたちへ原発ゼロへの最高の贈り物をしたいと思う。 原発は、1966年日本で初めて営業運転してから、今日すべての稼働を停止する。国や電力会社は、「電力不足」をあおって大飯原発など9基の再稼働を進めようとしているそうだが、これまで最多は55基の原発で総発電量の占める割合30%とされたが、最近ではトラブル、定期検査などで100%稼働していたわけではない。それに加えあの東日本大震災により福島第一原発の廃炉となった。
 いま国民が求めているのは、原発に頼らないエネルギーの確保と、人間らしいくらしです。すべての原子炉は停止したが、停止しただけで無くなったわけではない。いつでも再稼働を虎視眈々と狙っている状況にある。すべて廃炉にし、名実ともにゼロにしなければなりません。人間と今の科学では、放射能を抑制もコントロールもできないのだから。
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労働者の団結を

2012年05月02日 | 雑感
 労働者の祭典 5月1日第83回メーデー。秋田県でも中央メーデー会場に主催発表で500人が参加しました。この中で大震災・原発問題から様々な、各分野からの発言とアピールがありましたが、働く人たちの権利についてあらためて考えさせられました。
 最低賃金制度は、日本国内でバラバラ。派遣と請負、そして非正規の労働環境で、“明日が見えない”この日本。公務員労働でも臨時雇用で“公務ワーキンぐプア。これが正常で真っ当な姿だろうかという疑問と憤りが突き上げてきます。

 事故とその背景は? 「規制緩和」と「市場主義」が働く人々を蝕み、重大な事故を生み出したのではないだろうかという「関越バス事故」。免許制から認可制に変わり、営業を維持するために低コストを追求するあまり、そこに働く人たちが犠牲になり、さらには人命まで奪う事故に。確かに事故を起こしたにはは事実であり、重な大間責任があります。しかしその背景に何があるのか?そこをじっくりと視る必要があります。

 働くものの権利を 採算を追求するあまり、下請け、孫請け、さらにその下の企業への単価切り捨て、そして最終的には労働者へのぎりぎりの労働条件。「法」に違反しなければいいのか?果たしてその「法」は、どこに依拠したものなのか。いまこそ働く人たちの権利を見つめなおし、一人ひとりの真の声を結集する時です。
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