大晦日
今日は大晦日。
年賀状にブログの事を書いたので、改めてこれまでの事を整理します。
2008年6月、中国広東省にある広州現地法人に現地責任者となるべく赴任しました。
7年半住んだ社宅の廃止に伴い3月にマンションに引越した直後でしたので、家は貸さず、ビザの承認と赴任準備が整うのを待ち単身7月に渡航。しばらくホテルに滞在し、現地で37歳の誕生日を迎えました。
8月に入り当面住むことになった前任者の賃貸住宅へ引越した直後の8月6日夜、日本企業のお客様との懇親会の席で急に気分が悪くなり、椅子に座ったまま左側にドサッと倒れました。
別室で少し休んでも回復せず、病院に連れて行っていただくタクシーに乗ったところで私の記憶は終わっています。
病院での診断結果は脳出血。
AVM(脳動静脈奇形)という、先天性の病気が発症したものでした。
生まれた時から脳内に抱えていた爆弾が、疲れ、緊張、ストレスのすべてが重なり爆発したのでしょう。
7月末にビザが発券され、8月中旬に渡航する予定だった妻に一報が入ったのは夜遅く。
長年お世話になった上司と共に、翌朝一番の飛行機で妻が広州に来ました。
直ぐに担ぎ込まれたのは広州で最も有名な病院でしたが、そこでは「生きるのは難しい」という診断だったそうです。
会社幹部の方が中国で開頭手術させず日本に連れて帰って来るよう指示して下さり、日本に帰国して手術することになりました。
意識不明の中、身体が約5時間のフライトに耐えうる状態に安定するまでに2週間弱が必要でした。
その状態を判断する為、専門医の方が広州に来て下さいました。
その間は血を抜いているだけで寝たきり。この間に身体の状態が悪くなったようです。
8月20日に飛行機の複数の席を取り外し、ストレッチャーに乗ったまま帰国。
成田から救急車で病院に運ばれた後、8月22日に10時間以上に及ぶ手術を受け、病巣はすべて摘出していただきました。
手術の後、意識も無い状態からリハビリを開始しました。
この頃の記憶は残っていませんが、意識が戻るかどうかは誰にもわからない状態だったそうです。
何日経っても目を開けない私に、妻は私が好きだった音楽を毎日耳元で聞かせたそうです。
すると、少し反応したり、時には涙を流したり。
そうして時間が経つに連れて、本当に少しずつ意識が回復してきたそうです。
その後10月6日にリハビリ専門病院に転院し、大晦日も元旦も365日リハビリの毎日。
始めはきちんと椅子にも座っていられないような状態から、杖と装具を使えば屋内は移動できる程度に回復しました。
翌年2009年6月にリハビリ病院を退院し、自宅から週2日通院。昨年12月21日に復職し、約一年が過ぎました。
脳出血だけでも高い致死率でしょうが、更に中国で発症した私が生きているだけでも幸運に思います。
妻は中国で医師の方から「生きるのは難しいかもしれない。もし助かっても一生植物状態だろう」と言われたそうです。
左半身麻痺で現在もまだ車椅子の私が一年間勤める事ができたのは、偏に職場の皆さんと、リハビリ病院の医師やセラピストの皆さんのおかげだと深く感謝しています。
しなくてもよい一生分の心配と苦労をかけた妻にも最大の感謝を。
今は車椅子を卒業する事が目標です。
新しい年が皆様にとって素晴らしい年になりますように。
※本日の歩数:6,980歩