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タイキブリザード、突然の死

2014-08-20 01:08:11 | 競馬全般
タイキブリザードが亡くなりました。

23歳は十分な長生きとも思いますが、元気だったところから突然のことだったようです。

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8月18日 16時10分、功労馬のタイキブリザード号が亡くなりました。

16:00前、夕飼い準備のため集牧していましたが、タイキブリザードだけが、群れの仲間といたその場から動こうとしませんでした。
前がきなどはしていませんでしたが、呼吸が荒く、震えがありました。異常を感じ、獣医師に連絡をして薬を取りに事務所へ戻るわずかな時間に逝ってしまいました。薬を持って戻った時、泣きながらブリの身体をさするスタッフの姿に結末を理解したけれど、そんなはずないだろうという思いが拭えませんでした。

その朝の検温、ボディチェックは異常なし。
まん丸のお腹で食欲旺盛、とても元気だった馬の突然死に、本当に信じられない思いです。

ブリが亡くなったのは夕飼いの時間でした。
食べ終わった馬たちを放牧すると、ブリととても仲が良かったゲイルが、ブリを探して嘶きながら放牧地中を駆け回っていました。
ゲイルがブリを呼ぶその声に、悲しく、寂しい思いでいっぱいになります。

タイキブリザードは1991年3月12日生まれの23歳でした。
96年産経大阪杯(GⅡ)97年京王杯スプリングカップ(GⅡ)、そして97年に3回目の挑戦で念願の安田記念・GⅠを制しました。
JRAでの生涯獲得賞金は5億6000万円!
現役引退後は種牡馬としても活躍しました。

ブリがホーストラストへやって来たのは2009年1月25日。
これまでに、たくさんのファンの方が遠くからブリに会いに来てくださいました。

来たばかりの頃は、耳を絞り、噛む、蹴る、の暴れん坊だったブリ。
でも放牧地で仲間とのんびり暮らすうちに穏やかで優しい馬に変わっていきました。
群れでの順位はいつも上位でした。
強いけど、賢くて、優しい。ここでもそんな馬でした。

Wins八代のイベントにも2回参加しました。
子供たちにも、六花(猫)にも、みんなに優しかったブリ。
み~んなに愛された、私たちにとっても大きな存在でした。
5年7ヶ月、トラストでの生活を楽しんでくれたかな。

ありがとう。
また逢いたいな。
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【特定非営利活動法人ホーストラスト様より転載させて頂いております】


1995年、勝ち鞍が谷川岳ステークスのみの「ただの」オープン馬ながらG1での度重なる好走。とても印象ある馬でした。

のちに大阪杯、そして自身最大の戦績である安田記念を制しています。当時としてはかなり珍しいブリーダーズカップへの度重なる挑戦に、人々が藤澤先生を自己満足、と揶揄したことも記憶に残っています。

ただ、彼の残した功績は大きく、それは後にタイキシャトルの海外G1制覇へ繋がる道でもあり、岡部騎手にも大きな経験を与えたと言われるエポックメイキングな馬でした。

G1を6勝したシアトリカルの弟という血統から、100口のタイキ募集ながら80万円/口(総額8000万円)。期待がうかがわれ、実際にG1は1勝ながら有馬記念や宝塚記念で2着もあり、5億を超える賞金を獲得しました。
一口馬主的には、何度もハラハラドキドキワクワクさせてくれた馬なんでしょうね。いつも掲示板に載り、大レースでも馬券にもなる、素晴らしい安定感だったようです。

親族からパラダイスクリークやデビットジュニアが出るなどその血も間違いないものをもっていました。

残念ながら種牡馬としてはヤマノブリザードの重賞1勝に終わりましたが、Facebookを拝見する限り本当に愛される存在だったようです。
気性からか種牡馬引退後に去勢されるあたりも、「らしい」ですよね。

馬にも人にも出会いの運があると思います。この馬は、開拓使でありその分素晴らしい人々に囲まれる運勢だったのかもしれません。

改めて、冥福をお祈りします。合掌。

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