日々日々日記

過去の事 現在の事織り交ぜて
淡々と綴ります。

宝くじマニア

2024-12-09 21:04:12 | 自叙伝

懸ける金額こそ少ないが

自分では 宝くじマニアだと思っている。

毎週 千円だけ買う。

でもココ何年も当ったことない(--〆)

過去当った2本は 妹にアパート代の足しにしなさいと・・・

昔は当選金額も少なかったので

当る人も多かったのかな?

 

バス旅行で 福岡の宝当神社には2回行ったが

十万円ずつ懸けた。

結局・・・・・大商いはやめた(^.^)

テレビで大都会の福岡駅周辺を見ると

子供を連れて、アチコチ歩いた日々が懐かしくなる。

若い頃はホント!良く出かけたものだ。

 

2人の息子たちは 子供を軸に忙しそうで

親の私達と同じ暮らし。

出かけると言う事を聞いては「気をつけてね」しか・・・

 

 

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認知症患者

2024-11-09 21:04:24 | 自叙伝

最近 思ったことがすぐ会話に繋がらなくなってきた

電話をうけてもちゃんと反復できない

若い頃に仕事で 和文タイプをあてがってもらっていた

難しい漢字もそこそこ読めたり書けたりしてたと思うけど

今は 簡単な字なのに あれ!?・・・

なんでこんな事に?

終いには電話を取らなくなった

書類を書くのも 綺麗な字を書く人に任せた

私の仕事 煩雑なお金の計算くらいか!

現場に出てコンビニで買った飲料の領収書をだしたら

お金をあげる

毎日毎日朝に昼にとコンビニ通いが頻繁なのは仕方ない

 今はよほど田舎でないかぎり コンビニがあり

トイレも使わしてもらえる

お礼も込めてジュースの1本や2本・・・

 

段々と敵が向かってきてるのかな。

 

ノコンギク 日陰の多い庭なので 綺麗には撮れません

 

 

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命を繋ぐもの

2024-09-05 20:03:38 | 自叙伝

2か月に一回 クリニックに行く

脳神経科と

消化器内科

今回は待ち時間が少なくて2時間ですんだ

薬の種類・・・覚えるのに1年かかった

①朝食前 2粒

②朝食後 3粒1種

③昼食後 1粒

④朝夕 1粒2種

⑤夕食後 1粒

⑥夕朝 2種

 

時々飲むのを忘れていたと分かると

ドキドキしたものだ

今は少し慣れた

 

脳神経科では

転んだりしないように強く言われて

内科では

便秘しないようにと・・・

 

2つのクリニックと薬局が隣接しているので

車を運転出来ないようになっても

不便さは感じないで済む

今や運転手つきの社長夫人やからね~(笑)

(本当はこれが不便なんやけど)

2年前までは 自分の健康さが由一自慢やった

なのに レビー小体認知症という

訳のわからない病気になったらしくて

今はビクビクして過ごしてる(;一_一)

情けないことに自分の生きて行く先が見えない

 

今夜のナナちゃん

座布団大好き

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高校の友達

2024-05-07 21:05:54 | 自叙伝

歌手 「橋 幸夫」が歌手の道に入り

現在まで どういう風に活躍しているのかと

読売新聞で

「時代の証言者」という欄にて

 詳しく解説(?)

同い年では無かったと思うが同世代に違いない

 

私が中学校を卒業後

働きながら学ぶ 定時制高校に通っていた時

地方から就職してきて

男子寮に居る男性さん

まるで  顔も髪型も「橋 幸夫」そっくりで

歌もすごく上手で

寮の窓辺に腰掛けて

今流行りの歌を歌っていた姿を思い出す。

近くには女子寮もあったので

自分を知ってほしくてのことでしょうかね。

 

勤務している電機会社では

定時制に通う社員及び学生さんは

終業時間を少し早めにしていただいていて

それでも学校へは走って通っていた。

会社と学校を同じくする友達がいっぱいできて

特に仲良くなった友達が

この「橋 幸夫」さんと友達になりたい

どうしたらいい?

かなり好きになったらしく

同じラジオ部で仕事している私に彼の所へ行って

私に紹介して!

私 いやだよ~自分でお友達になって!って

言うべきでしょ…

彼が持っていた洋服店の紙袋が欲しい

袋を貰うには買物をしなくちゃね…

一緒に付いてきて!

お店に入るの恥ずかしいから買ってきて!

まぁ、無理難題ばかり言われて 

付き合いきれないと思う事もあり

紙袋はゲットしてあげたけどネ

ちょっと間を空けていたら

高校を卒業してしまった。

 

それから何カ月か経ったある日

なんと!!!

友達

「橋 幸夫」そっくりさんと

仲良く歩いているのを駅で発見!

すれ違いざま

友達特有の変顔ー(あかんべ~)

その後何か言った!

人ごみで言葉は聞き取れなかったけど

ゲットしたよ~~~!

って言ったのかな?

私も彼氏連れだったので

小さく手を振ってニコリとしてあげた。

「橋 幸夫」=可愛かった友達 思い出す

 

今も幸せかな!

逢いたいね~

 

 

 

 

 

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友達

2024-02-08 16:46:13 | 自叙伝

小学校時代からの友達から電話をもらった。

もう何年前だったかな~

同窓会で出会ったきり

コロナの前だからもう随分経つ

まぁ、お久しぶり~と(^-^)私

元気だった?!

の後に

花ちゃん、えらい病気になったんてな~

それで今はどうなん?!

ちゃんと歩ける?

矢継ぎ早に聞いてくる

私も なんで知ったん!

たまたまバスに乗り合わせた仲良しさんから聞いたと言う。

その方のご亭主が 同じ病気で

今は杖がいるらしいとか…

そうだった~もう一人の友達には 年賀状に病名を書いたんだった。

電話をくれた友達は

子供の時から朗らかなら性格で

自分の病気のことなんか

笑いの渦に呼びこんで

小さい頃の思い出とかで20分くらい喋ってしまった。

楽しかった!!

私の事を良く覚えてくれていてホンマ嬉しかった。

 

もう一人の友達にも電話した。

 

 

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父親とはどんな人

2024-01-23 21:08:21 | 自叙伝

私は物心ついた時から 母一人子一人で育った。

父は 私が5歳くらいの時

「結核」で亡くなったとか・・・

写真は2枚持っている。

その2枚の顔は全く似ていない。

父親に抱かれたり ごはんを食べたりした記憶もないので

どちらがどちらなのか見当もつかないが

この人だろうと思える1枚はある

もう1枚は 私と全く似てないんだから。

抱いている赤ちゃんも 私とは思えない。

他人様のが混じっただけなのか。

痩せて色黒そうな1枚の人が 父なのかも…

住んでいたところも名前も知らないで

父が恋しくて・・・なんてことも無かった。

小学生低学年の頃

祖母が 名前くらい知りたいやろ?教えてやろうか?

好きでも無い祖母に 押しつけがましく言われてもね。

知らなくてもええ・・・!

言い放った私を覚えている。

 

でもね、大阪で工場を持っていたらしいのよ。

 

母との貧乏暮しの中 ふとしたことで

どんな人だったのか 母とはどんな関係だったのか

名前を聞いておかなかったことに悔みが残った。

祖母も私が可愛くも無いらしく

それきりこれきりで会うことも無かったしね。

同級生で服屋の子に 「貧乏人」と指差されたこともあったけど

私の周りは貧乏人ばかりで!どおってことも無く(笑)

 

今も時々思う

父がお金持ちだったならば

私の人生どんなだったんだろう、ネ

 

 

 

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三か月

2023-04-06 21:20:39 | 自叙伝

京都亀岡の施設にいたのは

お正月を挟んだ 三か月だけ

母親が面会に来た時

泣きながら訴えたと思う。

暖かい大阪に帰りたいと・・・

こちらは本当に寒かった。

秋の終り頃になると 畑や田んぼ一面霜が立った。

見たこともない長さで 踏みつけるとバリバリと音がした。

ほとんどの女子は 冬用の暖かそうなズックを履いてるのに

薄いビニールの靴(普通)では 足の保温が出来なかった。

暖かい靴下も手袋も持たないで 足も手も霜焼けだらけ

毎朝学校へ行くのが辛かった。

 

学校は楽しかったか!?

施設の子が沢山いて、クラブ活動を進めてくれた。

施設の子供の一番人気は 放送部

お昼休みに流す音楽を自分の好きなのをかけて良い。。。

自分の声で <お昼休みは終わりです教室に入りましょう>

3日ほどで 声が甲高いとクレームがあって放送部は止めた。

 

学校の近くに採石場みたいなのがあって

変わった石を探しに行くクラブがあった。

楽しかった。

男先生が優しかった。

 

母親の気持としては 私をつれて戻りたいが

この施設にいる理由が理由なので 話は簡単じゃなく

必ず迎えに来るからねと言って帰った。

施設の中での思い出は 一ページも無い。

あの三ヶ月間の私は別の世界に居たんだね。

 

そして三か月後 母が迎えに来た。

 

 

 

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保津川下り

2023-03-29 20:19:38 | 自叙伝

ずーとーずーと 幼い時の記憶だが

保津川下りの船に乗った記憶がある。

母の会社の慰安旅行で

母と二人暮らしで

痩せた色黒の可愛くもない私に

 とても親切にしてくれた

お爺ちゃん社員に 会いたいなと

今日のニュースで 突然思い出した。

私が5歳の頃の話

会うべくもない・・・よね

 

亀岡市にも

いやおうなく

思い出すことがある

 

小学校の5年生の時かな

母の連れあいと上手くいかない私

亀岡市の奥の奥の施設に入れられた

子供ばかりウヨウヨおったな

みんな何か事情がある子なんだなと

何となく覚悟した。

施設で初めての夕食は

カレーライスだった。

ご飯は麦ごはん

ご飯の上にカレーをまぶして

スプーンで混ぜくって食べているのを

見た隣の席の子が カレー皿を指差し

「下品な食べ方」やね

恥ずかしないの?

可愛い女の子だった。

私はどんな反応したろうか?

記憶にない

ただそれ以来 

カレーの食べ方が変わった

「上品」な食べ方を覚えた(^.^)

 

亀岡の

山と田んぼに囲まれた施設には

三か月ほど居た。

 

 

 

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四つの願い

2022-09-28 22:10:26 | 自叙伝

ムクゲ花 今 きれいに咲いている。

小学生のころから好きだった。

大人になって自分の家が持てるようになったら

必ず庭の主になってもらおうと 希望を心の隅に置いていた。

実際 婚家には庭に何本も植えてあって

それはとてもうれしい事だったけど

ちょっとガッカリしてしまったと思う。

夫の祖父が 庭師だったということで

庭には沢山の木があり、花好きの義母の花壇に

小さな畑まであり

私の手出しするところはなかった。

その分 外でしっかり働いた。

結婚して何年か経って 庭を造りかえる時

畑を潰して 芝生の庭にした。

大人になってやりたかったことは

 

・ムクゲを植えること

・2階建の家を建て 庭は芝生にすること

・真っ白な犬を飼うこと

・真っ赤なスポーツカーを乗り回す私であること

 

子供の時から何か足りなかった 自分自身の人生の

行きつく先の贈り物として いつも胸に秘めていた思い

もう72歳になって もう何もいらないと思うこの先。

 

息子が言う、4つの願い事の4つ目は?

最後に悔いのないようにしなきゃ!

赤くないとダメ

普通のじゃダメ

運転もぼちぼちダメ

結局スポーツカーは

まだ若いもう少し考えよう!?

 

ダラダラ書きましたが

スポーツカーを買う予定はないです。

買えません(笑)

 

 

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ひとり子は寂しい

2019-07-30 20:32:06 | 自叙伝

前にもちょっと書いたけど

5歳の時に父親を亡くして

母一人子一人の暮らしになった。

一番嫌だったのは1人で留守番することやったわね。

幼稚園等にいける境遇ではないし

まだ小学校に入る前で

アパートの部屋で煮込み料理を作ってるのがバレて

そのあとすぐに引っ越しして

普通の民家の2階に住むようになった。

母の職場へは歩いていける距離だったので

よく昼休みに母を訪ねていた。

ミシンで何かを作る仕事で、短い休みの間に

お人形の服や布団を作ってくれたのは

鮮明に覚えている。

段々と寒い季節になると

休み時間が終っても

暖かい場所を求めて工場内をウロウロ

ホンワカと暖かい煙突みたいなのがあって

壁と丸い煙突みたいなものの間に

(その場所の風景まだ覚えている)

体を忍び込ませて暖を取っているのを

会社の人が見たんだろうね。

次の日母を訪ねたら

今日はええけど明日から来たらあかん!

門も閉められたように思う。

5.6歳の子がウロウロするのは危険ということやったのかな。

 

仕方ないから、家の近所の子たちと遊ぶのだけど

夕方の時報が鳴ると同時に

○ちゃん、ご飯やで~と親が呼びに来て

それぞれが家に帰ってしまう。

ひとり残された私はしばらく母の帰りを待つが

真っ暗になってから下宿先に帰っても

寒いしお腹はすくし

りんご箱を寝かせただけの机に向かい

何をするでもなしに座っていると

背中に何かの気配を感じて

パッと振り向いたら・・・

借りている部屋の貸主宅の男の子が立っていた。

わたしより2歳くらい上だったかな。

それからの記憶はないんだけど

その部屋もすぐ出て

わたしは母の姉宅に預けられた。

イトコ達と遊ぶ毎日が楽しかった。

時々母はお菓子を持ってきたりして

自分の姉にご機嫌取っていたようだが

わたしを連れて再婚し京都に住まいを移した。

京都から大阪へ、1年生になったばかりなのに

電車通学していたのは何のため!!?

理由は聞けずじまい。

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同窓会の案内

2018-05-01 20:26:13 | 自叙伝

今年も高校の同窓会の案内メールが来てね

前に書いたね!

でも、どうしようかなとまだ考えてたんよね

3月にメールを貰ったまま ほったらかしにしていた(^_^;)

6月17日 大阪駅の近くの料理屋さんで!

ということは、私が帰りやすい場所に決めてくれたのかな?

勝手にそう思いこむことで

今年は出席してみようかという気持が盛り上がってきていた。

2年続けて京都市内で

出席した1回目の会場はけっこう駅から遠かったものね。

二次会に行く間もなく電車の時間に追われて帰ったし

で、4月の月末29日に

参加しま~すとメールした。

幹事からもすぐに

楽しみにしてます、気をつけて来てや とメールがあった。

その日の夕方

冬ものを仕舞う仕分けをしていて

カラーボックスの中に 何が入ってるのか

見当もつかない缶缶があって開けてみた。

高校の時の学生証、国鉄時代の通学定期券入れ

化粧品店で貰ったお財布とか

若かりし頃の思い出が詰まっていた。

断舎離のつもりで整理していたので

一瞬迷ったけど化粧品店で貰ったのは処分して

高校時代のはまた置いておく事にしようと

青春の思い出をひとつひとつ拾い集めるように

丁寧に探っていって

一番底から出てきたセピア色の薄いノートが最後だった。

4年間もの学生生活を送った生徒の卒業にあたり

全員に配られた ガリ版刷りの粗末なノートには

校歌

教師、担任からの卒業生におくる言葉

卒業生の想い想いの言葉が連なっていた。

卒業して以来初めて見たんじゃないかな~

自分が書いたことは、そう言えばこんな事書いたなと思い出す程度

奇しくも

この日にこのノートが出てきたという事は!?

同窓会に持って行け!ってことかな?

大事な卒業アルバムすら失くしてしまってる人も多い中

このノートなんか誰も持ってないかもしれないね。

とくに引っ越しが多かった人なんかはね!

2.3冊コピーしていくとするか!(^.^)

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懐かしい写真を・・・

2018-04-24 12:03:38 | 自叙伝

ナナの前に居たまりちゃんの後ろ姿

「平成22年4月」

この石段をとっとことっとこ上がったり下りたり

天神山のハイキングもへっちゃら!

だのに、この3か月後突然病気でお星様になってしまった。

9歳と7カ月だった。

後ろ姿はナナちゃんにそっくりだけど

ナナは階段の上がり下りができない。

散歩も嫌いだし、車にも弱い。

同じ犬種なのに個性があるのね~

 

「平成23年4月」

京都府八幡市、八幡様への表参道

この茶店は母の連れ合いの遠い親戚がやっている。

おじさん、おばさんは元気でいるかしら。

きつねうどんの大きな三角油揚げが売りだった。

甘くてジューシィな

丼からはみ出しそうな油揚げが食べたくて

リクエストして食べさせてもらったけど

やっぱり美味しくて感激した!ってことはなかったかな(笑)

貧しくて3食まともに食べれなかったあの頃

何食べても美味しかったに違いない。

茶店のお手伝いをした日は食べさせてもらえた。

丼ご飯3杯を平らげたのが最高やね~

みんな優しい目をして笑っていた。

 

昨晩から続く雨に

あ―、いつの間にこんな青々しくなっていたのかな~

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1000円カット

2017-11-17 17:10:00 | 自叙伝

1000円カットに行ってきた。

正確には1080円だけど。

まだ新米の子らしく 丁寧に切ってくれていて

鏡をかざして、よろしいでしょうか?

私は1000円という値段に惹かれているのではなくて

気が向いた時に役所の帰りにも行けるから重宝しているだけ。

こんな髪にあんな髪にと注文もつけない。

伸びたのをカットしてもらえればよし!

いいですよ!と言ったら

ちょっと先輩の人なのか型どおりにチェックして終わり。

私が美容室に行かなくなったのは訳があって

以来ココでお世話になっている。

カットだけで3500円も2000円も何ら変わりないと思っている。

 

ナナちゃんは毎月3000円(安いじゃろう?)

私は1.5カ月ごと1080円(笑)

夫なんか何処を切ってるのか毎月3300円(*^_^*)

私のように働き者で貧乏症が身について

無駄遣いしない女房そうそうおらんよ~!なんちゃって(笑)

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もったいない!② / 酒と涙

2017-09-27 20:30:20 | 自叙伝

岩国の名酒 「五橋」

五橋って錦帯橋をイメージしてるのかな?

お酒に関してはそんな程度の事しか知らない。

これは

二男が家を建てた時にお祝いでいただいた物。

2本貰ったと言うので1本がやってきた。

私は洋酒より好きだけど

普段は一滴も飲まない。

今はお酒を飲む親戚もいなくなって

今日はとうとう料理酒に降板だ!

もったいないね。

 

小学生の時は

大酒飲みの母の連れ合いに頼まれて

量り売りのお酒を買いに行かされたりした。

酒を飲んでは母に暴言暴力をふるうのが嫌だったけど

行かないと

お前の娘はワシの言う事を聞かんのか!って

余計にでも母への暴力が始まるので

三百何段かある石段を走るように買いに行ったなぁ。。。

ようそんな中で何人も子を産んで!

小学生とはいえ

お母ちゃんはバカやないのか

こんな奴のどこがええねんや!

反骨心で一切懐かない私への当てつけもあったんかな?

夫婦で大酒を飲み、タバコを吸う母は大嫌いだった。

母との生活はホント余りなかった子供時代。

私の子供の頃を教えてもらおうと思ったが

多分知らんやろうね~!

人はいつかあの世へ行く、行ったら母を探して・・・

 

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京都の山奥の・・・

2017-09-10 20:37:49 | 自叙伝

だいぶ前にも載せたけど

5.6年前の写真だ。

私が小学生の時 この石段を下って通学していた。

三百○○段ある。

当時住んでいたのは

この場所はほぼ頂上

石段を上がり切ったら神社の境内に続く石畳みがある。

そこから10分ほど藪道を行った所に

無断で建てた掘立小屋があった。

電気も水道も、トイレ、風呂も無かった。 

明りはランプのみで

毎日ホヤと言うガラスのカバーみたいなのについた煤を

ぬぐい取っていた。

ちょっと下った所に湧水があって

バケツを天秤にかけて毎日親が運んでいた。

私も自分が使う水が切れたら

バケツで汲みに行った。

大人になって、写真屋さんでは

右の肩が下がってますね!といつも言われた。

水汲みで肩への負担がいかに大きかったか?ということやね

トイレは、竹藪の中の1軒家だし、穴を掘って用足ししていた。

お風呂は毎日という訳にはいかないが

山を下りて銭湯に・・・

お風呂上りにいつもコーヒー牛乳を飲ませて貰えるのが嬉しくてね~

夏は、ドラム缶風呂ということも・・・

 

この写真に見える茶店は遠い親せきで

親が仕事から帰るまでここにいた。

この写真を撮った時は、おじさんはとてもお元気だったけど

ひょっとしてもうお店はしてないかも知れない。

今年年賀状来てなかった気がするし

私が小学生の時、もう外に働きに行かれてたくらいなので

80歳くらいにはなられてるのと違うかな~?

 

夏はやぶ蚊、冬は雪

ホント、生活するのにはしんどいところだったわ(@_@;)

 

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