日々日々日記

過去の事 現在の事織り交ぜて
淡々と綴ります。

もったいない!② / 酒と涙

2017-09-27 20:30:20 | 自叙伝

岩国の名酒 「五橋」

五橋って錦帯橋をイメージしてるのかな?

お酒に関してはそんな程度の事しか知らない。

これは

二男が家を建てた時にお祝いでいただいた物。

2本貰ったと言うので1本がやってきた。

私は洋酒より好きだけど

普段は一滴も飲まない。

今はお酒を飲む親戚もいなくなって

今日はとうとう料理酒に降板だ!

もったいないね。

 

小学生の時は

大酒飲みの母の連れ合いに頼まれて

量り売りのお酒を買いに行かされたりした。

酒を飲んでは母に暴言暴力をふるうのが嫌だったけど

行かないと

お前の娘はワシの言う事を聞かんのか!って

余計にでも母への暴力が始まるので

三百何段かある石段を走るように買いに行ったなぁ。。。

ようそんな中で何人も子を産んで!

小学生とはいえ

お母ちゃんはバカやないのか

こんな奴のどこがええねんや!

反骨心で一切懐かない私への当てつけもあったんかな?

夫婦で大酒を飲み、タバコを吸う母は大嫌いだった。

母との生活はホント余りなかった子供時代。

私の子供の頃を教えてもらおうと思ったが

多分知らんやろうね~!

人はいつかあの世へ行く、行ったら母を探して・・・

 

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京都の山奥の・・・

2017-09-10 20:37:49 | 自叙伝

だいぶ前にも載せたけど

5.6年前の写真だ。

私が小学生の時 この石段を下って通学していた。

三百○○段ある。

当時住んでいたのは

この場所はほぼ頂上

石段を上がり切ったら神社の境内に続く石畳みがある。

そこから10分ほど藪道を行った所に

無断で建てた掘立小屋があった。

電気も水道も、トイレ、風呂も無かった。 

明りはランプのみで

毎日ホヤと言うガラスのカバーみたいなのについた煤を

ぬぐい取っていた。

ちょっと下った所に湧水があって

バケツを天秤にかけて毎日親が運んでいた。

私も自分が使う水が切れたら

バケツで汲みに行った。

大人になって、写真屋さんでは

右の肩が下がってますね!といつも言われた。

水汲みで肩への負担がいかに大きかったか?ということやね

トイレは、竹藪の中の1軒家だし、穴を掘って用足ししていた。

お風呂は毎日という訳にはいかないが

山を下りて銭湯に・・・

お風呂上りにいつもコーヒー牛乳を飲ませて貰えるのが嬉しくてね~

夏は、ドラム缶風呂ということも・・・

 

この写真に見える茶店は遠い親せきで

親が仕事から帰るまでここにいた。

この写真を撮った時は、おじさんはとてもお元気だったけど

ひょっとしてもうお店はしてないかも知れない。

今年年賀状来てなかった気がするし

私が小学生の時、もう外に働きに行かれてたくらいなので

80歳くらいにはなられてるのと違うかな~?

 

夏はやぶ蚊、冬は雪

ホント、生活するのにはしんどいところだったわ(@_@;)

 

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手ぬぐいと母

2017-09-08 20:58:18 | 自叙伝

この手ぬぐい

わたしのブログのトップページ

プロフィールの下の写真で

頭にしているのがこの手ぬぐいなんよ。

 

小学校へ上がる前に 踊りのお師匠さん宅で写真を撮ってもらった

頭はこう向けて指先はこうで、と色々注文付けられた事

まだ覚えてるのよね~

嫌な思い出ではないわね 

母一人子一人の生活で

踊りなど習わせる余裕は無かったと思うのに

母の思う所は私が幼すぎて知るすべも無かった

ただずーと後になって、この生活が続かなかった事は

私が幼いころから難聴気味だったと言う事と関係あると思う

母がお師匠さんに

この子に三味線も教えてやってと頼んでいたのも覚えている

その会話を聞いて、本当はすごく楽しみにしていた

叶えられなかったのは

ただ家が貧乏だからと当時は思っていた

 

鳥の声と言えば

普段は うぐいすと、ハトとカラスしか知らない

今現在は、電子音はさっぱり・・・

お師匠さんも頼まれても困ることだったろうね

 

手ぬぐいも結局この日が初めて頭に巻いてもらったんだろうか

まっさらで、持ち続けている。

今は母の遺影の前に置いて

お菓子などをお供えする時に使っている

母がもう少し長生きしてくれていたら

色んな事わたしの幼かった時の事

いっぱい聞きたかった事あったのにな~

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ひよっこを見ていて⑦

2017-07-19 20:17:29 | 自叙伝

当時は共同炊事場のアパートって

普通にあったのかな~

私が5歳の時父親が病気で亡くなって

母一人子一人になって移り住んだ

アパートの事は良く覚えている。

ひよっこで見るような

なにかのサロンを想像させるような雰囲気じゃなく

戦場の台所って感じだった!

あっちこっちで練炭で火を熾して

ご飯の用意する人おばさん達がたくさん居たようだ。

洗い場の屋根があったか無かったかは記憶は無いけど

なにしろまだ6歳頃やからね~

冬場はほぼ外での調理が寒くて

七輪に火を熾し部屋で鍋ものをしていた時

いきなりアパートの管理人さんが入ってきて

部屋の中での煮炊きは禁止なのに

なにやってんや~!って

母がすごく怒られていたのを思い出す。

火事が怖くて禁止されていたんだろうか!?

それと関係あったのかどうか

そのアパートからすぐ引っ越しをした。

アパートからは映画館が近くて

母の仕事が休みの日よく映画を観に行った。

美空ひばりと、大川橋蔵が出る時代劇が大好きだった。

夏になると怪談物を観に行って

帰りは怖くて歩けない私を母は背負ってくれたな~

小学校に入る前だったけど私は身長があって

チビ助な母と変わらないくらいの背丈だった。

近所のおばちゃんが笑っていた。

仕事から帰る母を待つのに

アパートの隣にある小さな神社の境内が

お気に入りだったわ~

そこから離れるのは寂しかった。

次は普通の家の2階を間借り生活

よい思い出が一つも無かった。

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ひよっこを観ていて⑥

2017-07-13 18:56:36 | 自叙伝

みねこさんの初デートの日だったね。

しまたにさんだったっけ!?

みねこさんがベンチに座る時

さぁ、どうぞ!って手招きした。

私一瞬 あっ!ハンカチは?

普通ハンカチを敷いて座らせるんじゃないの?

もしもベンチがきれいじゃなかったら

女の子のかわいい服が汚れるじゃない?

せめてハンカチかなんかで埃を払わない?

 

最近は女も男もベターとどこでも座りこむし

長いジーンズの裾が踵から垂れ下がって

道の汚れをまといつつ・・・

あれで家の中を普通に歩くんだろうなぁ―

もう見てるだけで気分が悪くなる。

自分の子供なら蹴っ飛ばしたくなるかも!

 

私も若い時はあったので

書くけど

夫は必ずハンカチを敷いてくれた。

その癖は今も健在だ。

むしろ私の方がガサツな性格なので

そんなんせんでええ!と止めるほど・・・

若い頃は性格も良く見せようとして(笑)

ありがとう・・・としおらしく座らせてもらったけどね(笑)

 

今日の若い2人の初デート

微笑ましくて、若いっていいなぁ。。。

50年前に還りたい(^o^) 

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ライオンのぬいぐるみ

2017-07-12 20:50:17 | 自叙伝

このぬいぐるみ

電機会社に勤めていた16歳の時

同僚から貰った。

多分誕生日のプレゼント?

これと緑色の液体が入ってるミニチュア瓶をくれた。

この液体は一体何だろうと思いながら

何年も経ってから開封したら

若いころの思い出の

クリームソーダの匂いがした。

ソーダー水にこれを何滴が垂らして

アイスクリームを入れればクリームソーダーの完成!

だったんだね~!

これでクリームソーダを作ってねというメッセージがあったんなら

消費期限前に使ったかもしれないけどね。

彼女も定時制高校の同級生だった。

どの子とも学校では仲良くしていた。

私は1年10カ月で会社を辞めたけど

学校で会社の話しなどを聞いていた同級生の女子が

○○電機会社に入りたい!

会社の寮での暮らしが個人商店より自由で

楽しそうだからという理由で!

無事採用されたと意気揚々と通学もしてたわ。

人の進む道はそれぞれ・・・

卒業後の彼女の事は知らない。

 

このぬいぐるみをくれた友達は

遅くに結婚して、何年か前に旦那さんが亡くなり

子供も居ないのでのんびり暮らしてると手紙をくれた。

もう何年経ったかな~

名前も顔もまだ覚えてるけどね。

同窓会には一度も来てないらしい。

出席するのなら私も何を置いても出かける気持はある。

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運命の人との出会い・・④最終章

2017-06-07 08:38:18 | 自叙伝

生い立ち、今までの暮らし、今の暮らし

何も言わず黙って聞いてくれる人だった。

自分のことを包み隠さず話してもくれたし・・・

いつしか、私はこの人と結婚するかも!

いえ、結婚する運命の人なんだと悟った。

 

休日にデートもするようになった。

彼は私のことは半分不良と思っていた、けど

真面目な性格なのが分かって嬉しかったと!言ってくれた。

 遅かれ早かれ

私達が付き合っているのはクラスの皆が知る事になる。

私の友達は好意的に受け止めてくれ

何かあると隣通しに座れるよう気を使ってくれたりした(笑)

前の彼女が荒れているという噂はあったが

もう終ったことと気にも留めてない彼の言葉は本物と信じた。

両天秤できるほど器用な人じゃなかったし・・・

お付き合いし出して1年も経たない内に

卒業式の日が迫ってきた。

明日が卒業式という日の帰り

私が「元気無いね」と声をかけたホームで

結婚を申し込まれた。

大学卒業するまで待ってて欲しい!

 

すぐ返事したら女がすたる!?

そんな姑息な思いが頭をよぎり(笑)

明日返事すると言ったが

1人になった帰りの電車の中で

おお後悔したした・・・(;一_一)

19歳の春だった。

 運命の人5番目は将来の伴侶ということです!

 

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運命の人との出会い・・③

2017-06-06 22:53:10 | 自叙伝

一週間の内 1日か2日は授業時間の少ない時があった。

本当は一目散に帰って

おばさんを早く休ませてあげないといけないのに

帰りたくなかった。

時間がたっぷりある日は、レコード屋さんに寄ったり本屋さんを覗いたり

何回か誘われて駅前のパチンコ屋にも・・・(笑)

4年生に進級する前に何人かは学校に来なくなった。

夜勤のある人はとくに続かなくて

確か入学時より1組少なくなったような?

何かしらいつも優しい言葉をかけてくれていた男子がいて

その人と下駄箱で出会うと

田舎へ帰る事にした。自分は今日で辞めるけど

アンタは絶対卒業してな!

またいつか会えるといいね!

とくに好きとか嫌いとかの感情は無かったけど

暫く胸に穴があいたような気がしていた。

(10年位前に同窓会で出会った、同じように優しかった)

 

電車通学し出して半年くらい経った。

摩訶不思議なカップルに秋風が吹いてる噂がチラホラ・・・

私は2路線繋ぎで

カップルの男子生徒のほうは3路線

一番遠くから通学してたようだ。

ある日、その彼がプラットホームの柱にもたれていた。

いつもならその後ろを素通りするんだけど

その姿が余りに寂しそうだったので

すれ違いざま「元気無いね!」と声をかけた。

びっくりしたように振り返った彼の反応は?

はっきり覚えてないけど

それからはたまに話しをするようになった。

彼女とうまく行ってないのを聞いたりもした。

学校と通学道路では知らぬ者同士みたいで

電車に乗り級友が全部下りてから

残り10分間位だけど色々話しするようになった。

 よほど馬が合うのか

話す事に事欠かないくらい毎日毎日おしゃべりした。

彼は私が電車の中で最後に下りる友達とバイバイするまで

隣の車両で待ってくれるようになった。

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運命の人との出会い・・②

2017-06-05 22:13:07 | 自叙伝

摩訶不思議なカップルと思ったのが

この2人一緒に帰るのを見た事ない。

彼女はまだあの電機会社の寮にいるし

学校から駅までの結構な距離を1人寂しく帰るなんて

付き合ってるならないことだろうに・・・

彼女は当時の歌手「南沙織」にちょっと雰囲気が似ていた。

だから男子にモテモテで

私がまだ会社にいる頃から、近くの音楽喫茶は

会社の暇な連中の溜まり場になっていて

私も彼女もけっこう出入りしていた。

私は色も黒いし、かわいくもないので誰にも相手されなかったが

彼女の周りは男がウヨウヨで

長くてさらさらした髪を触らせてるのを見て

ちょっと不愉快に思う事あったな~

 

夕方4時に家を出ると授業開始までの時間がたっぷりあった。

小遣いもあるし、学校へ入る前に

近くで営業している たこやきとソフトクリームセットを食べたり

(たこ焼きが特に美味しくてほとんど毎日ね)

甘味処で夏は冷やしぜんざい、冬はうどん屋さん

学校の周りには学生相手の飲食店が多々あったので

気の合った級友としょっちゅうどこかに行っていた。

うどんを奢れ奢れと付きまとう男子に

お前みたいのが何故夜の学校に来るん?

昼間の学校に通えるんじゃないんか!

私は笑って答えない。

自分の事はほとんど誰にも話さなかった。

どうでも良い事は明るく話せるが

本当の私を知ってくれる人がいつか現れる。

その人には聞いてもらいたい。

そんなに常日頃思ってるわけじゃなかったけどね。

 

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運命の人との出会い・・① 

2017-06-05 08:43:04 | 自叙伝

定時制高校生としては

会社の寮生活している時よりは時間的に余裕が生まれた。

会社が通学に理解あるって言っても

授業が始まるのにギリギリで毎日時間に追われてたからね~

会社を辞めて個人事務所に就職して

そこでは同じ定時制に通う1つ先輩がいて

おかげで余裕を持って通学できた。

彼女はとっても優しい人でチョー真面目で頭も良くて

私より難しい仕事を任されていた。

どんな仕事をしているのか私が理解するには数カ月かかった。

とんでもないことで私がここを辞める事になった時は

ロクに挨拶もできなくて

後日お菓子を持って事務所を訪ね

皆さんの暖かい励ましの言葉をいただいたら

ここで働けなくなった事が悔しくて涙した。

 

お手伝いさん兼事務員兼仮りの娘として入る事になった家から

学校までは約2時間の道のり

今まで帰宅時は下り(京都寄り)の電車に乗っていたが

大阪寄り、上りに乗るようになった。

同じ方向に電車で帰る者同士の中で 

1人だけ群れない男子生徒がいて 

教室では前の入口に一番近い席を陣取っていた。

冬の寒い日

授業が終わると、一目散に だるまストーブを囲んで

ワーワーキャーキャーと群れなす輩を冷めた目で見つめていた。

3才年上で勉強もできるらしいよ~という噂

私が会社勤めしている時の同僚で同級生でもあった

とてもキュートな女子がいて、その彼氏だというのは知っていた。

会社で当番制の草取りをしている時に

おしゃれして出掛ける彼女に「デート?いいな、頑張って!」

声をかけた事もあった。

同じ電車に乗るものの お互いを意識するなんて全くもって無く

むしろ近づきにくい雰囲気を醸し出し

あの彼女とこの人が付き合ってるなんて摩訶不思議!と思っていた。

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運命の人4番目は

2017-06-04 07:51:58 | 自叙伝

毎日の生活がガラリと変わったのは言うまでもない。

家にいた頃は日曜日は思いっきり寝坊していても

母はなにも言わなかったし、内職の手伝いを強要された事もない。

要するに連れ子という目の上のタンコブが

居なくなって少しは平和になった家で

多少のさざ波を起こし始めているのに 戦々恐々としていたのかもしれない。

ボスの目が行き届く所での生活は、母も安心して子育てできて

お金の苦労が無くなったことは大きかったと思う。

それでも、じっとしているのが苦手な母は ミシンの内職も始め

何を思ってかリスを飼いだして世話をしていた。

心の平静を取り戻したのかな?

(全然かわいくないリスでね、人が寄って行ったらキバを向けた(^_^;)

 

運命の人として4番目は

ボスの女将さんに!

黙って家族を受け入れてくれたボスにしたいところだけど

女将さんがいてこその一族郎党だったと思うので。

私は失礼ながら「おばさん」と・・・

まるで母親代わりのおばさんからは

経営者の妻としての姿を見た。

夫を支え、従業員を大事にし

出入りの米屋さん酒屋さんクリーニング屋さんで

働く人たちのへの心付けも怠りなく

地区の人たちとの付き合いも大切にする

部屋の掃除の仕方、電話の取り方、接客の仕方

さまざまな事を見よう見まねで覚えた。が

料理だけは一切手伝いしなかった。後片付けだけ!

何のためのお手伝いさんなんやら(笑)

おかげで未だに料理ベタでいる^^

もしも、ここでの生活が無かったら、今の私は無いかもしれない。

将来に向けての人生勉強の時だったのかもね。

 

4年制の最後の1年はここから通った。

2つの路線を乗り継いでだから帰宅は10時

いつも待っていてくれてご飯を出してくれた。

私が無事卒業した暁にはさぞほっとされたろうね。

私は性格的にのほほんとしているので

おばさんの苦労なんか知る由もなかったけど

私がいた3年間この家のためになったのかって言えば

多分なってなくて迷惑ばかりかけていたと思う。

成人式も 嫁入りもここから出してもらった幸せ者だ。

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思わぬ世界へ・・・

2017-06-03 08:13:32 | 自叙伝

母の連れ合いは昔からやくざ者で働かない男だったが

幼子がいて思うように働けない母の提案で

ボス(やくざやさんの親分)の家に行き

母が泣きながら今の窮状を訴えた。

実は暴力男だという事も暴露した。

母の連れ合いは外面が良く面倒見も良いので

ボス側の人間は誰もがビックリ仰天ってことだ。

私まで巻き込まれたくは無かったが

ボスの一人娘が嫁に行き寂しくなったので

私が住みこみでお手伝いさんに入る事

昼間は本業の土木会社で働く事を条件に

母の連れ合いを手元で働かせてやろうってことになった。

私にはこの流れを止める力は無かった。

そのために一家そろって引っ越しをして

私はボス宅、母たちはボス所有のアパートに住まう事になった。

私はそこから1時間もかけて学校に通うことになる。

 

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新しい生活へ・・・

2017-06-02 07:58:18 | 自叙伝

仕方ないけど

私とは折りあいの悪い母の連れ合いと

3人の異父きょうだいとの生活が 1年10カ月ぶりにまた始まった。

高校への通学は電車になった。

次の就職は高校の掲示板に張り出されていた小さな事務所

条件は 字のきれいな人

定時制高校に通学可

面接を受けて即採用された。

昔はコピー機もなかったしね。

お役所の情報を手書きで書き取り

それを清書してお客さんに渡すということをしていた。

聞く事成す事すべてが知らない事ばかりで

早く仕事を覚えようと

学校の勉強より熱心に勉強した(笑)

仕事は簡単なことから教えられて

少しずつ難解なものへと移行していくも

仕事はやりがいがあり、

天職というものに巡り合ったと自分では感じていた。

運命の人として3番目に挙げられるのは

この事務所の所長さんかな!

息子さん2人、娘婿さん、見習いさんに事務員さん

総勢10名ほどの所帯を

上手にまとめあげられていて

怒った様子など一度も見た事ない温厚な方だった。

 でもここも1年で辞めざるを得なくなった!

 

 

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会社を辞める時

2017-06-01 08:37:27 | 自叙伝

1年10か月前は旅行鞄1つで入寮したのに

退寮する時は軽四トラック一台分の物持ちになっていた。

今更ながら

円満退職じゃなかったのが心残り

どうしても辞めさせてくれないので

勝手に荷物を運び出して

あんなに良くしていただいた寮母さんに挨拶もせず

逃げるように会社を後にした。

私の人生で由一後悔の念にさいなまれる出来事やね。

何年か後にたまたま電車の中で寮母さんに出会って

無礼をお詫びできたことが救い!

 

会社を辞めたこと中学校の就職担当の先生に報告に行った。

なんで辞めた!?

あんな仕事私がやりたい仕事やなかった。

先生は激怒して、ロクな仕事もできんくせに

大きな口叩くなと かなり怒った。

次の年からは我が校から生徒を送り込めなくなるかもしれんやろって!

後に続く人の事なんか考える頭もなかった17歳の頃 

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続き 会社を辞めるまで

2017-05-30 12:44:27 | 自叙伝

会社を辞めたいと思ったのは 鼻の事もあるけど

毎日毎日同じ仕事で嫌気さしたのもある。

寮生活は楽しかった。

中にとても親切な先輩が居て

日曜日のお昼ご飯に呼ばれる事も・・・

ただそれが同じ部屋の人には不愉快らしく

何でアンタだけやの?

そんなこと言われてもね

先輩は 部屋の人の事は気にせんとき!って言うけど・・・

結局日曜日は出かける事が多くなったかな。

カメラも買ったんだし・・・

私が住んでいる所は京都にも大阪にも近くて

京都の、大阪の親戚巡りが多かった。

どこへ訪ねても よーきたな~!て歓迎してもらえたしね。

もちろん家へも帰って

まだ幼い妹弟を連れて 動物園に行ったり

デパートの屋上で遊んだりした。

 

会社を辞めるとなると私なりの問題も多く

そうそう簡単ではなかった!

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