京都亀岡の施設にいたのは
お正月を挟んだ 三か月だけ
母親が面会に来た時
泣きながら訴えたと思う。
暖かい大阪に帰りたいと・・・
こちらは本当に寒かった。
秋の終り頃になると 畑や田んぼ一面霜が立った。
見たこともない長さで 踏みつけるとバリバリと音がした。
ほとんどの女子は 冬用の暖かそうなズックを履いてるのに
薄いビニールの靴(普通)では 足の保温が出来なかった。
暖かい靴下も手袋も持たないで 足も手も霜焼けだらけ
毎朝学校へ行くのが辛かった。
学校は楽しかったか!?
施設の子が沢山いて、クラブ活動を進めてくれた。
施設の子供の一番人気は 放送部
お昼休みに流す音楽を自分の好きなのをかけて良い。。。
自分の声で <お昼休みは終わりです教室に入りましょう>
3日ほどで 声が甲高いとクレームがあって放送部は止めた。
学校の近くに採石場みたいなのがあって
変わった石を探しに行くクラブがあった。
楽しかった。
男先生が優しかった。
母親の気持としては 私をつれて戻りたいが
この施設にいる理由が理由なので 話は簡単じゃなく
必ず迎えに来るからねと言って帰った。
施設の中での思い出は 一ページも無い。
あの三ヶ月間の私は別の世界に居たんだね。
そして三か月後 母が迎えに来た。