大学時代、僕は哲学的心理学を学んだ。
実験的心理学の矛盾を強く感じて、
「根源」に目を向ける哲学的心理学に没頭した。
人間とは何か?という問いに興味を抱き、
人間の精神の根源に目を向ける哲学的心理学にはまった。
その頃に、学んだことが、
「人間は、その根源において、一人単独では生きていない」
ということだった。
「一人単独では生きることができない」ということではない。
「一人単独では生きていない」という事実を学んだ。
言葉を話すのも、
何かを食べるのも、
服を着るのも、
本を読むのも、
すべて、一人で生きていないということを示している、と。
それを、「関係性」という言葉で包括し、
関係性から人間を考えることを学んだ。
人間は、生まれる前から死ぬまで、死んだあとまで、
関係性という根源的な事実から自由になることはない、と。
だけど、
それでも、「独り」を感じるのもまた事実ではないか?
どれだけ関係性を主張しようとも、
どういうわけか、どこからとなく、孤独が自分のところにやってくる。
どれだけ人に愛されても、どれだけ信頼があったとしても、
それでも、どうしようもない他者との隔たりを感じることはある。
色んな人に支えられて生きている。
それはたしかに真実だ。
だけど、それでも「独り」をどこまでも感じる時がある。
その孤独を強く意識する時がある。
「頭じゃなくて、心が『独り』を感じる」、という事実。
結局、誰とも分かりあうことなく、
誰とも心底からかかわることなく、
死んでいくんじゃないか、という感覚。
そういう感覚は、現代社会においては、日常の感覚なのではないか?!
たとえいつでもケータイで人とつながることができたとしても、
それで「孤独」が消えるわけではない。
ケータイの結びつきのはかなさは、誰もが知るところのようにも思う。
そういう孤独感は、いったいどこから来るのか?
「分かりあえない」という感覚。
結局は他者に触れられないという根源的な孤独感。
そんなのは思い込みに過ぎない、と言い返すことはできる。
でも、その感覚はリアルな感情なのだ。
思い込みであっても、そうでなくても、
そう感じるという事実は否定することができない。
人間は、結局は独りなのか?そうでないのか?
きっと死ぬまで分からない問題だとは思う。
でも、僕はいつもどこかでこの問題について考えている。
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