先日、都内某所で、講演(?)をしてきました。
この勉強会には、これまで「聴講者」として参加してきました。
それはそれは、凄い人がこれまで講演してきました。蓮田先生も講演を行いました。
僕なんぞ、30年早いわ、という勉強会なんですけれども、、、汗
けれど、お話する機会を設けてくれました。もう感謝感謝です。
しかも、今回は僕の教え子(卒業生)4人もゲストスピーカーとして呼びまして。。。
一生忘れないであろう一日になりました。
おかげさま(?)で、この日は満員御礼。たくさんの人が集まってくれました。
嬉しかったのは、現役学生18人がわざわざ聴きに来てくれたことです。
うちの学科の10人に1人の学生が来たことになります(!)
先生やっててよかったーって思いました。
後ろの方には、kei children(?)が熱い視線を送ってくれていました。
どんなに心強かったことか。内心、うるうるしてました。
話した内容については、、、また、いずれ、どこかで。
今回は、パワーポイントを使いました。
講義とかでは絶対に使わないんですけどね。。。
講演だと、こっちの方がいいのかな、と。
(前日の真夜中に苦しみながら作りました)
大きくは二つの話をしました。
①子どもの家ひまわり/デボラの家@Berlinのこと。
②Babyklappeから内密出産へ。
どちらも、ドイツの話です。
今年の2月~3月に行ったドイツ修養の旅の報告をして、さらに、ドイツの最新情報をお伝えしてきました。
***
その後、ディスカッションの時間がありました。
そこで、一つ、ピリピリとくる瞬間がありました。
とある人から、こういう意見を頂きました。
「赤ちゃんポストにしても、内密出産にしても、それはそれでよいことだとは思うけれど、それよりもまずは、安易に妊娠しないように、きちんと教育をすべきでしょう。軽率な行為はやはりよろしくありません。まずは教育です」
この意見が出た時に、何人かの人が大きな拍手をしました。
その時に、僕は、「…ちょっと待ってくれ!!」、と思いました。そして、少し興奮して、(たしか)こう言いました。
「その考え方には同意できません。ドイツの支援者は、そのようには絶対に言いません。どんな教育をしようとも、どれだけ予防しようとも、妊娠は完全には防げません。それ以前に、そういう意見こそが、妊婦たちを追いつめるのです。誰も、望んで妊娠したわけではないのです。妊婦たちは、言われなくても、自分を責めています。悔いています。だから、支援者は、『責めなくていいのよ』、というべきであって、教育云々の話ではないはずです…」
日本にはまだまだ、「望まない妊娠をした女性」=「無教育」という発想が強く残っています。冗談じゃない、と思います。そんなことはない。誰にだって起こり得ることであって、誰も責める資格などないはずです。少なくとも、ドイツの支援者たちは、絶対に妊婦を咎めたり、責めたりはしません。
…でも、あんまりうまく伝えられなかったかな、とも。。。汗
僕は教育学者だけど、「なんでもかんでも教育にすればいい」という安易な考えが嫌いです。●●教育とつくものが、いったいいくつあることか。従来の教科の他に、環境教育、コミュニケーション教育、英語教育、福祉教育、性教育、道徳教育、愛国教育、メディア教育、シティズンシップ教育、IT教育、理科教育、情操教育、プロジェクト教育…、
…全部、やれるわけないじゃないですか…汗
けど、世の中の人は、なんでもかんでも「教育」に落とし所を見いだそうとする。どんな教育であれ、教育それ自体、そんな単純じゃないですから。教科(カリキュラム)だって、長い歴史の中でゆっくりと作られてきたものです。そう簡単に増えたり減ったりするもんじゃないです。
でも、この意見を出してくれた方のおかげで、会場全体が一瞬、緊張感に包まれました。「場」が「現場」になった瞬間でもありました。そういう意味では、その方に深く感謝しています。
同じような問題関心をもっていても、細かく見れば、違う考えをもっているんですよね。その部分に触れられたことは幸いでした。
学生たちも、その一瞬のやり取りから、色んな事を感じてくれたみたいで、すごくよかったです。
***
このような場を用意して下さった生命尊重センターのみなさんには本当に感謝しています。
まさか、あの生命尊重センターの方々とこうしてつながれるなんて、数年前は想像だにしていませんでした。
すごい不思議です。驚いています。
Tさん、Nさんには心から感謝しています。
そして、僕は僕で、また今回、新たな問い、新たな疑問、新たな難問に向き合っていこうと思います。
僕の戦いはまだまだ、これから。
本当の戦いは、本当にこれから。
熱い情熱と温かい心を忘れないで、一歩一歩突き進んでいきたいと思います。
すべてのお母さんと子ども、そしてお父さんもみんなが、それぞれに、一番よい形で未来に向かって生きていけるように。
綺麗事じゃなくて。