次の授業で使いたい言葉です。
「ここに来た時から職員との関係はいいですよ。担当の先生のことなんか『親父』だと思ってる(笑)。でもいやな職員もいました。ちょっとしたいたずらをした子どもを、ゲンコツや指輪をした手で殴るとか、暴力を振るう職員がいて、その頃学園にいた何人かの子は、そのことが原因で特定の人の話しか聞くことができなくなって…、一時的に耳が聞こえなくなっちゃったんですよ。…特異な人格の職員には不満はあるけど、日常的なところでは不満はないですね。居心地はいいですよ。これは本当」(慎二君、『子どもが語る施設の暮らし』、1999:26)
>居心地のよさ、施設保育士の目指すべき道は、やはりこれに尽きるのだろうと思う。
「はじめて施設を訪れたときの印象はほとんど残っていません。[離婚後、母親に引き取られた後、父親に引き取られたその]お父さんと別れるのが寂しかったという記憶もないんです。ただ、知らない人と生活することにちょっと違和感を覚えた気はします。食事にしても、長いテーブルにみんなが並んで食べる様子を見て「なんか変だな」と思いました。…施設を出るまでのことを振り返っても、生活にあまり不満はありませんでした。強いて言えば、夏が六時で冬は五時という門限でしょうか。…でも、施設の中ではかなりうまくやっていた方だと思います。給食当番などをさぼったときには怒られましたが、僕はわりと職員に信用されていたんです。ものすごく怒られたのは、物を盗んだときくらいですね。本、お菓子、お金…、いろいろなものを盗みました」(ペコ君、『子どもが語る施設の暮らし2』、2003:63)
>「あまり不満はありません」という言葉の重み。施設の子に「あまり不満はない」と言ってもらえるために、いったいどれだけの配慮やケアを施設保育士たちはしてきただろうか。
「職員の行いでいまでもいやなのは、勝手に部屋に入ってくることです。男の先生も、『開けるぞ』という言葉と同時に部屋に入って来るんです。部屋に入るのを止めて欲しいと言っても『用があるときしか入っていないから』とかなんとか言って聞いてくれません。私がたまたま部屋で食事をしていたとき、職員が、またそういうふうに部屋に入ってきたんです。私はもうがまんできなくなって、食べていたものを床に叩きつけ、全部放り出したんです。…職員が、今度は突然泣きながらこう言いました。「いままでおまえの言うことは全部聞いてきたじゃないか。自分は、この間どれだけがまんしたと思っているんだ」。…そもそも、私の何に職員が「がまん」してきたのか、ぜんぜんわかりませんでした。施設に来る子どもは、みんなそれぞれに比べものにならないくらいの事情を抱えて、それでもがまんすべきことはがまんして生きているんです。…子ども同士でも我慢していることもあるし、そういうことを「がまんしている」とは子どもはいちいち言いませんよ」(かなえさん、『子どもが語る施設の暮らし』、1999:36)
>「みんなそれぞれに比べものにならないくらいの事情」を抱えているという言葉はあまりにも重い。「がまんして生きているんです」、という言葉も…。
「施設に来て思ったのは、ここにいる子たちは一見ふつうだけど、実はみんな変わっているなということ。…みんな、特に小さいときから施設にいる子は、人の愛情を受けてないなってことがよくわかります。うまく言えないけど、きちんと愛情を受けられないまま大きくなっている子はどこかおかしいんですよ。根っこがいつでもさびしそう」(景子さん、『子どもが語る施設の暮らし』、1999:56)
>「根っこがいつでもさびしそう」という言葉。その寂しさにどれだけ寄り添えるか、それが「施設保育士」のまさに「腕の見せ所」と言えるだろう。
「私は、母から虐待を受けてきた。母には、代わる代わる新しい男ができて、男とうまくいっているときは、私は邪魔者扱い、男とうまくいかないときは、私を殴って、はけ口にした。…学校でも「キモイ」「ブス」「整形しろ」と、クラスの奴らに毎日のように言われていた。私は自分の何もかもが大嫌いだった。小5で、施設に入った。どこにいても、だれからも、嫌がられる私だったから、どこで生活しようがかまわなかった。でも、施設で私は変わった。私をかわいいと言ってくれる職員がいた。「笑うとホントにかわいいよね!」って。笑うとかわいい… そんなこと言われたの、うまれてはじめてだった。私がかわいい? ホントに? こいつ頭おかしいか、めちゃめちゃ視力悪いんじゃねーのって思った。その職員は私に自信をつけさせてくれた。私をいっぱいほめてくれて、私にはたくさんの能力があるって、勉強もできるって、そいつがあんまり言うから、本当にそんな気になってきて、まさか高校まで受かってしまった。職員と抱き合って喜んだなぁ。高校に合格した瞬間のことは、私にとって、今まで生きてきたなかで最高の思い出。(その後、高校中退し、荒れに荒れて)私が行き着いたのは、風俗で働くこと。自分で選んだ仕事だけど、ここに行き着くしかなかったようにも思う。」(『施設で育った子どもの自立支援、2015:91-94)
>どんな子も、どんな境遇の子も、みんな「かわいい」と思えるセンス。これがとてもとても大事な気がする。褒めて褒めて褒めて…。もちろん言うべきことは言うにしても、まずは褒めて褒めて褒めて…。それを何百、何千と繰り返されて、はじめて少しだけ自信がもてるようになる。
「(3歳から)施設で育って良かったことは、誰よりも信じられる先生に出会えたこと。それは大きいことでした。私が、入園した頃、家出しても必ず迎えに来てくれた女の先生のことなのですが、その先生の目に迷いがありません。うそもありません。ただただ、子どものことを想ってくれます。幼くして運命を背負ってきた子どもたちに、これまでの生きる不安を安心に変えてくれた先生です。こんな風に話せばきっと照れて喜ぶ素直な先生です。私にとってこの先生の存在は”育ての親”に値すると思います。それは言葉にできない大きなものであることを意味します。なぜなら、物でもお金でもなくて”あたたかさ”をたくさんもらえたからです。…[施設職員になろうとしている人には] 施設で暮らす子どもたちには、過去に起こったことは変わらないけれど、この先ある運命は自分でどんなものにも変えられるので、実や花が咲くのは遅くても根っこは腐らない人に育ててください、と言いたいです。ふつうの倍は苦労しているはず。その底力は絶対にあるから。(さとさん、『子どもが語る施設の暮らし2』、2003:185-186)
>このさとさんの言葉はあまりにも重い。「根っこ」にある「孤独」を取り払い、そして、「かけがえのない人」になる。それが「施設保育士」の使命と言えるのだろう。「迷いのない目」で、「子どものことだけを想う」、そんな保育者だけが施設の子どもたちの「底力」を引き出せるのだろう…。
少し古いけど、「施設の子どもの生の言葉」を届ける名著です。
上の本の「続編」にあたるもので、少し今に近い感じの内容になっています。
とても読みやすくて、分かりやすい本。施設の子どもの生々しい声がいっぱい詰まってます。