●今日は補講で社会福祉援助技術の講義。
ま、番外編なので、自分なりの援助論を熱く語ってみた。
その内容は次のとおりです♪
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この講義は「援助技術」の話。
でも、援助の「技術」っていうのは、
そう簡単に教えられないのだ。
(人間ひとりひとり違う存在なので)
実際に一対一で教えていくしかないし、
それがいいかどうかも分からない。
話を聞いて、こうすりゃいいんだっていうものはほとんど「ニセモノ」だ。
人の援助なんて、講義で教わるもんじゃないんだな。
だから、教科書にシュトロバッハさんの本を選んだんだ。
彼女は、色んなところからヒントを得て、
全部自分で考え抜いて、実践をして、一冊の本に援助内容をまとめている。
この本は、彼女自身のオリジナルの援助技術なのだ。
(当然、彼女も色んな人から具体的に指導を受けている)
援助技術は、講義や授業で学べるものじゃない。
医者の技術は大学で学べるし、講義で学ぶこともできるだろう。
医者たちは、複雑な技術や理論をもっているから、尊敬されるのだ。
でも、医者たちは人間の心や複雑な心境を必ずしも見なくてもよい。
彼らはあくまでもテクニックがあればそれでよいのだ。
だが、われわれの世界は違う。
福祉や教育における対人援助は、医者が手術を行うように、
技術で治療するようなものではない。
まずもって、援助は治療ではない。
社会福祉の援助の技術は、いわゆるスキルやテクニックではないのだ。
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そこで、ラーメンである。
ラーメンの世界は、調理の世界の中でも、
最もスキルやテクニックのいらない世界だ。
誰でも開業できるし、誰でも作れるし、
誰でも人気店にすることができる。
だが、日本料理の世界は違う。
(今は失われつつあるけど)職人の世界だ。
職人の世界ゆえに、長い修行が必要だ。
少なくとも15年、最初は給料なしで働かなければならなかった。
厳しいヒエラルキーも存在する。
(下洗い~中洗い~立洗い~立廻り~
盛付け~焼き方~脇鍋~煮方~脇板~板前)
板前(親方)の指令は絶対であり、親方の権力は最強である。
その親方の下で、弟子たちは調理の技術をしっかりとゆっくりと学んでいく。
独立するまでに15年はかかるといわれている。
ところが、ラーメンの世界は違う。
上のような修行がいらないのである。
人気店の多くが「独学」をウリにしている。
またたとえ人気店で修行しても、それがウリにあまりならないし、
どんなに修行をしたとしても、15年はかからない。
1000軒以上食べ歩いてきて、これははっきりと言えると思う。
ラーメンの世界も、福祉の世界と同様、スキルやテクニックでない別のものが
必要となる。
では、その「別のもの」はどうやって得るのか?
僕の分析によれば、
その「別のもの」を得るために、
ラーメン屋さんがしていることは以下の四つ。
① 食べ歩き
② 食材探し
③ 実験
④ 試行錯誤
この四つが、彼らの「腕」を作っていく。
こうした学びは、修行とは別の学びであり、
また自己流の勝手な独学でもない。
こうした学びを通して、彼らが獲得するのは、
「これが俺の味」、という自分の味である。
奇しくも山岸さんの本のタイトルは「これが俺の味」だ。
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社会福祉援助の技術も、これと同じことがいえると思う。
援助の技術は、まさにこれがわたしの援助だ、というものでしかない。
シュトロバッハさんもこの本で、「これが私の援助!」というものを出した。
人に言われてそれをただ真似するのではなく、
自分の頭で考え、直接他者(他の実践者や利用者さん)とかかわることで、
自分なりの、自分にしかできない「技」(援助技術)を見いだすべきなのだ。
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そんな話を今日はしてみました♪
今日だけの限定講義でした。
この話はもう二度といたしません。
限定メニューのパクリだな。