真夜中午前3時だ。
ようやく一つの仕事が終わった。先週、一つ大きな仕事を終えたばかりだが、すぐに次の仕事が出てくる。湧いてくる。誰だ、「大学教員は楽だ」、と言った奴は・・・ いや、そいつは間違っていない。楽をしようと思えば、いくらでも楽できる職業でもあるからだ。けれど、突き詰めればどんどん仕事は増えていく。やるかやらぬかは己次第。ある意味、自由な仕事なんだとは思う。僕はただ、突き詰めたいだけなんだと思う。
考えてみれば、ホント多くのことに手を出している。自分が壊れるんじゃないかってほど、仕事を抱えようとしている。そして、それなりになんとか仕事をこなしている。決して器用な方じゃないけど、それなりに日々の生活をまわしている。
その原動力は何なんだろう?と思った。僕を突き動かすものって何だろう?
最初、「使命感」という言葉が思い浮かんだ。人のため、世界のため、ワールドピースのために頑張っているんだ、と思った。けれど、それは「建前」だ。もちろん多少の使命感はある。だが、その根底にあるものは全く違うものなのではないか。
僕を突き動かすもの、それはルサンチマンなのかもしれない。ルサンチマンというのは、被支配者、弱者が、支配者、強者に対して抱く妬みや嫉妬や怨恨のことだ。僕は現在は結構平和に生きている。けれど、全然満足できないし、これでいいのかという不安も常に付きまとっているし、上の人間が羨ましいし、成功者に対して妬んでいる。「なんでコイツが?」と思いながら、本を読むし、TVを見ても、こいつらに負けらんない、と思って憤慨している。
どこまでいっても、嫉妬と妬みと怨恨だけが膨らんでいく。自分の内で、「keiよ、まだまだこんなもんじゃないだろ?」という声が響いている。同じ世代で活躍している人を見ると激しく妬むし、激しく嫉妬する。こういう感情がルサンチマンというのだろう。幸せそうな他人をみると、強い抵抗を感じる。かといって、自分が不幸だと思っているわけじゃない。自分は幸せだと思っている。けれど、心のどこかで、「こんなんでいいのかよ?」、という問いがグルグルと回っているのだ。
『BIGになりたい』
きっと、BIGじゃない人間の戯言なのだろう。けれど、仕方ない。僕はBIGじゃない人間なんだ。だからこそ、BIGな人間に憧れるし、そういう人間に激しく嫉妬する。
けれど、そういう激しいルサンチマンがあるからこそ、日々の忙殺的日常を乗り越えていける。そして、頑張れる。
現状に満足した時点で、多分、僕という人間のつまらない人生が終わるのだろう。現状に甘んじないで、さらに上を目指す。それだけが僕の唯一の支えなのかもしれない。ただ、「上」といっても、色んな上がある。自分なりの上を目指せばいいのかもしれない。けれど、それじゃ僕は満足しない。なんだか分からないけれど、とにかく上を目指す。その姿勢を崩したくはない。
潰れるなら潰れてもいい。潰れるもんなら潰れてみろ。自分によって自分が潰されるなら本望だ。けれど、僕は潰されないだろう、きっと。
ルサンチマンがある限り・・・