Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

【モモの不思議な力】 ただ聴くこと…

To Y君♪

ミヒャエルエンデの『モモ』は、僕のバイブルの一つ。この本の中で一番お気に入りのところをドイツ語で読んで、訳してみた。訳本よりもぎこちないけど、僕個人としては自分の訳のほうが好き!ってことで♪

モモには来客が本当にたくさんあるのです。見ると、ほとんどいつも、誰かがモモの傍に座り、熱心にモモに話をしています。そして、モモに話をしたいけれど来られない人は、モモを連れてくるよう、モモに使いをやるのです。また、自分がモモを必要としていることにまだ気づいていない人に向かって、人は、「モモのところへでもお行き」、と言うんです。

身近な人々の間では、このセリフは、しだいに決まり文句になりました。人が「お元気で」とか、「いただきます(ごちそうさま)」とか、「神のみぞ知る」とかと言うのと同じように、人は、またあらゆる機会に、「モモのところへもお行き」と言うのです。

でも、どうしてでしょう? すべての人に良い助言ができるほど、モモがとっても賢かったから? 人が慰めを必要とするときに、常に適切な言葉を見つけたから? モモは賢明で適切な判断を下せたから?

いいえ。あらゆるほかの子どもと同じ程度にしか、モモもできやしません。

としたら、モモは人をいい気分にしてくれる何かができたのでしょうか。例えば特別に美しく歌を歌うことができたのでしょうか。または、モモは何かの楽器を演奏することができたのでしょうか。はたまた、しまいには、どこかのサーカスで暮らしていて、踊れたり、アクロバット芸を披露したりすることができたのでしょうか?

いいえ。そんなことできやしませんでした。

ひょっとしたら魔法が使えたのでしょうか? モモは、すべての心配事や困ったことを消し去ってくれる何か秘密の言葉を知っていたのでしょうか? 手相を占ったり、未来を予言したりすることができたのでしょうか?

全部違います。 

他でもなく、ちっちゃなモモにできたことというのは、聴くということでした。なんだ、そんなことか、と多くの読者は言うかもしれませんね。聴くことなんて、誰でもできるじゃないか、って。

でも、それは間違いです。実際に聴くということは、本当にわずかの人にしかできません。モモのように、聴くことに長けている子なんていうのは、ほんとうにいないものです。

モモに聴いてもらうことで、バカな人々も突然非常に賢い考えが浮かんでくるのです。とはいえ、モモが、その人にそうした賢い考えが浮かぶようなことを言ったり、質問したりするわけではありません。モモはただそこに座って、注意深く共感してただ聴くのです。その際、モモは、大きくて黒い目でその人を見つめます。その人は、自分の中に隠れていたと予感することすらできなかったような考えが、突如、浮かんでくるのを感じるのです。 

モモに話を聴いてもらっていると、困り果ててどうしていいか分からない人々は、突如、自分が何を欲していたのかをきちんと知るようになるのでした。また、恥ずかしがり屋さんは、突然自由を感じ、力強さ(勇気)を感じます。また、不幸な人や滅入った人は、希望に満ち溢れて、喜びいっぱいになるのです。もし誰かが、「自分の人生は完全に間違いで、無意味だったんだ、自分なんて数千の人間の一人に過ぎなくて、そもそも誰にも相手にもされず、壊れた器のようにすぐに取り替えられてしまうんだ」、と思うとき、その人はモモのところに行き、そのすべてをモモに話すのです。すると、しゃべっているうちに、不思議な仕方で、自分が根本的に間違いだったということに気付くのです。そして、その人がそうであるように、すべての人間の中で自分は一人だけなんだ、だから、その人なりに、世界にとってとても大切なんだ、ということに気付くのです。

こんなふうに、モモは聴くことができたのです。


ただ誰かに自分の話を聴いてもらうだけですっきりすることってある。僕はその処世術を身につけているので、何か嫌なこと、辛いことがあったら、誰彼構わず(人を傷つけない程度に)しゃべりまくってしまう。そうすると、ホント不思議な仕方で胸がすーっとしてくるのだ。自分の胸にしまっておくと疲れちゃうし、悶々としてしまう。だったら、恥も何もかも捨てて、誰かに吐いてしまう。僕の場合は、相手が聴いてくれていようと聴いてくれまいと、分かってくれようと、分かってくれまいと関係ない。とにかくしゃべりまくる。そうすると、なんでだか、気持ちが楽になってくるのだ。 

分かってもらおうなんて思っちゃいないのかも。そういう形而上学的な問題はどうでもいい(「自分のこと、誰も分かってくれない!」というのは、その前提に「分かってもらいたい」という願望がある。だが、僕にはもうそんな願望はない。ゆえに、分かってくれるかどうかは問題じゃない)。言っちゃえばすっきりする。それだけ。物事って、実はすごくシンプルなのかも。それは行動も一緒かも。やってしまえば大したことないのに、あれやこれやと後々のことを深く考えすぎて、動けなくなる、、、みたいな。

でも、モモみたいな人が傍にいてくれたら、やっぱりいいかなぁ~とも思うなぁ。いつの時代も、何かを言いたい人は多くて、人の話に真摯に耳を傾ける人って少ないんだなぁ~~~♪

コメント一覧

kei
Y君

よかったです! 参考になれば幸いです。

モモ、なかなか面白いでしょ?! もう結構前の話なのに、妙にリアリティーがあるし。

「大切なモノが失われていく時代」になにができるのか、モモから何かの手がかりをもらえそうな感じもしますが・・・

では!
y君
ありがとうございます
いつもお世話になっています。
モモの箇所確認しました。

この間、日本語版モモを拝読しました。
他にも色々な話があるんですね。
大切なものが失われていく時代に、何か出来ないのかと、考えさせられました~
kei
nadeshikoさん
お好きでしたか~~~♪「はてしない~」もいいですよね!!! バスチアン(バスチャン)、いい感じですよね! モモはどのシーンが一番印象的でしたか??

透さん
まったくです。話していると、なぜだか胸がすっきりして、考えがまとまってきますよね。どうしてなんでしょう?? 恋愛の話もまさに!って感じで。男って基本的に人の話聞かないじゃないですか。だから、女性の話をしっかり聞ける人ってもてますよね。。。モモ、是非読んでいただけたら・・と思います。感想も聴かせてくださいね!

にぁさん
大人になってからモモを読むと、結構勉強になりますよ! 特に仕事で忙殺されている大人だったら、すごく共感できるかも?! 僕は話すのが好きだから、聞き上手になりたくて仕方ないです、はい。話し上手な人って、聴くのがすごくヘタじゃないですか。。話下手な人って素敵だとホンキで思っています! にぁさんもモモのスピリットがあるんですね~~~♪

にぁ。
なるほど!
こんばんは。今程、ファンタジー物が無かった頃、エンデは良く読みました。大人になってからは余り読んでないので、久し振りに読んでみたくなりました。昔とは違う感じを受けるでしょうね。私は、自分の事を人に話すのが苦手なので羨ましいです。かと言って、的確なアドバイスが出来る訳では無いのですけど。透さんが書かれていた様に、「考えがまとまった。」と言われると、自分は聞いていただけなのに。と想いますがホッとするのです。
こんばんは、keiさん。
 
確かに自分の思いを他人に話してみると、胸がスッキリしますね。腹の中に溜めておく位なら、吐き出した方がいいですよね。

それに実際、考えていることを言葉にして話してみると、「自分が何に対して悩んでいるのか?」が客観的に理解できる気がします。
他人に聞いてもらうだけでも、「自分の悩みを受け止めてくれてるんだな」と安心できますからね。
恋愛とかでも、面白い話をしようと意気込むのではなく、まず自分が相手の話をじっくり聞くことが大事だといいますし。
「聞き上手」であることが人付き合いにおいて重要なんですね。
僕自身、一方的に話がちな部分がありますので、尚更気をつけないとダメだなと思いました。

ミヒャエルエンデの『モモ』は読んだことありませんが、本屋で見つけたら買ってみようかなと思います。
これからも良い作品を紹介してくださいね。
nadeshiko
私もミヒャエル・エンデ好きです。映画より小説のほうが好きです。果てしない物語もモモもどっちも今も好きです。
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