Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

恋愛交差点21-現代において忘却された「ロマンティックラブ」を取り戻せるか?!

前回の「恋愛交差点」では、「プラトニックラブ」について論じました。

前回の恋愛交差点20の記事はこちら

今回は、プラトニックラブと同様、忘れ去られつつある、

ロマンティックラブ
Romantic love

について論じてみたいと思います。

なお、ロマンティックラブについては、恋愛交差点15でも論じています

今回は、その続き、というか、更に考えてみたいと思います。

プラトニックラブとロマンティックラブの違いが見えてくれば、更に「恋愛」を考える地平が広がっていくはず…です。恋愛を語るトレーニングと思って、是非最後までお読みください!✨


おそらく今の若い人たちは、「ロマンティックラブ」という言葉も知らないように思います。

例えば今の音楽シーンで、「ロマンティック」を歌うアーチストはほぼいません。

でも、きっとこの曲なら知っているはず?!?!

これなら、聴いたことはある???

でも、今回の話にぴったりなのが、「いきものがかり」のこの曲です。

この歌のサビは、こうなっています。


ダーリン ダーリン 心の扉を壊してよ

たいせつなことは 瞳を見て 云って

あなたとならば この街を抜け出せる

今すぐ 連れ出して


ここに、ロマンティックラブの「扇動性」「革命性」「破壊性」という要素を見いだせます。

ロマンティックラブは、恋する人たちに「勇気」や「意志」を与えてくれるのです。

だから、為政者たち(権力者たち)は、このロマンティックラブを恐れました。

そして、そのロマンティックラブの暴力性を骨抜きにして、恋愛を結婚と結びつけて、制度の中に閉じ込めようとしたわけですね。

その制度こそ、僕らが当たり前に思っている「結婚制度」です。

「浮気」や「不倫」をしたら、法的に裁かれるのも、ロマンティックラブの暴力性や破壊性を封印するためだったのです。

続いて、この動画をご覧下さい。

この話は、まさに「少子化」の原因としての「ロマンティックラブ」について語っています。

恋愛のゴールとしての結婚(好きな人と結婚したい)は、「社会的に作られたロマンティシズムに基づいている」というのです。

僕らも普通に、恋愛のゴールは結婚だって思っていますよね?!

もともと分断されていた「恋愛(性愛)」と「結婚~子育て」が、ロマンティックラブによって結び付けられ、「永遠の愛」を結婚式で誓うようになりました。

この恋愛における「永遠」「Eternity」「永続性」は、まさにロマンティックラブによって生まれたものなのです。ラブソングで、「永遠(forever)」とか「eternal」という言葉が多様されるのも、ロマンティックラブの影響かと思われます。(また、永遠としての「」もまた、ロマンティシズムになります)

結婚した後に、他の男性・女性と「性愛」「性交」をしてはいけない、というのもまた、ロマンティックラブが作った「法制度」なんですね。

ロマンティックラブ以前の社会(中世以前)では、性愛と結婚が分かれていたので、当然「罪」にはならなかったわけです。簡単に言えば、「結婚相手」と「恋愛・性愛相手」は「別もの」と考えられていた、ということです。結婚相手は、親や親族が(いいなずけ(許嫁)やお見合いなどで)決めて、それとは別に恋愛・性愛相手をもっていた、と。

また、キリスト教では、神聖なる「結婚」「妊娠」と、低俗で卑猥な「性交」「性愛」を区別して、後者を禁じる傾向も強くありました。(かつての日本は、どちらもゆるゆるで適当でいい加減だった、という話も…)

では、いったいいつ、誰が、ロマンティックラブを考え始めたのでしょうか。

近代以降、「ロマンティック」という言葉を初めて使ったのは、近代教育学の基礎を作ったジャン・ジャック・ルソーでした。教育や保育を学んだことのある人なら、『エミール』を書いたルソー、で覚えていると思います。

ルソーは、『孤独な散歩者の夢想』という本の「第五の散歩」の中で、初めて「ロマンティック」という言葉を使っています。


これまでにわたしが住んだすべての場所のなかで、ピエーヌ〔ビール〕湖のまんなかにあるサン・ピエール島〔St.Peterinsel〕のように、ほんとうにわたしを幸福にしてくれたところ、深い愛情の念を心に残したところはほかにない。…ピエーヌ湖の湖畔はジュネーヴ湖の湖畔にくらべるといっそう野生的でロマンティックである。それは巖(いわ)や森が水ぎわに迫っているからだ。けれども景色はやはり明るく美しい。…湖畔には幸いにも馬車の往来に便利な街道もないので、この地方を訪れる旅行者は少ないが、そこは孤独な瞑想者、思いのままに自然の魅力に酔いしれ、静寂のうちに心を落ちつけて、その静寂を破るものはただ鷲(わし)の叫び声、時折りきこえてくるなにかしらぬ鳥のさえずり、そして山から落ちてくる奔流の響き――こういう境地を愛する者にとっては興味のあるところだ。…

孤独な散歩者の夢想より


ここに、近代において初めて「ロマンティック」という言葉が出てきました。

この本の略注には、次のように示されています。


ロマンティックという言葉はイギリスで十七世紀から用いられ、人を感動させる荒々しい自然の風景を形容する語であった。十七世紀末フランスに伝えられ、ロマネスク(物語にあるような、幻想的)、ピトレスク(絵にみるような)の同義語として用いられたが、一七七〇年代以降、独特の意味合いで用いられるようになった。フランス・ロマンチスムの父ルソーはここで初めてこの言葉を使っている由。

同書より


これらの文章の中に、ロマンティックラブのキーワードを確認することができます。

●深い愛情の念
●野性的
●明るく美しい
●孤独(それに伴う「不安」)
●思いのまま
●(人を感動させる荒々しい)自然の魅力
●静寂
●物語にあるような
●幻想的
●絵にみるような

これらのキーワードが、ロマンティックラブにはあるのだと考えられそうです。

ロマンティックラブによって、人は「個人・個体」となり、その代償として「孤独」となるんですね。そして、その「孤独」を埋めるものが必要となるわけです。

このようなロマンティックなものを芸術や文学や思想や哲学の中に取り込んだのが、「ロマン主義(Romanticism, Romantik)」であります。

ロマン主義は、このルソー以降の一つの大きなムーブメント全般(精神運動)のことを指します。


「18世紀末から19世紀前半の西欧で勃興した芸術思想、あるいはその系譜に連ねられる作家や作品を総体的に名指す言葉。ロマン主義と呼ばれる傾向や運動は、絵画のみならず哲学・文学・音楽・批評などさまざまな分野に見られる曖昧な名称であるが、その多くには個性の称揚(しょうよう)や規範への抵抗といった一定の共通要素も見られる。もともとロマン主義とは、啓蒙期のヨーロッパにおける知性や合理性への信仰に対して、感情や非合理性を称揚する態度を指して用いられるようになった言葉である」

引用元はこちら


 

ロマン主義は、その後の「個人主義(恋愛における自己決定)」や「ときめきに基づく感情的な恋愛」を作っていきます。

恋愛論的に言えば、「とてつもなく理想的な素敵な男性と出会い、その人と恋におちて、結ばれて、永遠の愛を誓い、そして、死ぬその時まで、いや、死んだあとまで永遠に続く、不滅の恋愛ストーリー」みたいな感じですかね。

こういうのって、やっぱり(僕的には)理想の恋愛のかたちだと思います。(でも、今の若い子たちは、こんなドラマティックな恋愛を求めているかどうかは分かりませんが…)

ロマン主義者たちが嫌っていたのが、「理性」「知性」「合理性」「規則性」「法則性」「規範」「(特にキリスト教的な)規律」なのです。(いっぱいあるので、以下では「理性等」と表記したいと思います)

上のキーワードの真逆にあるのが、これらの理性等の諸概念だと思います。近代社会は、基本的にこうした理性等の働きによって作られた社会でもあります。こうした近代的な理性に対抗するムーブメントが「ロマン主義」ということになります。

ロマン主義者が発見したものの中には、「ロマンティックラブ」の他に、「子ども(イメージとしての無垢な子ども)」、「優れた民族性(例えば崇高なドイツ人)」、「中世の人々や文化(ロマネスク)」、「西洋人から見た東洋人(オリエンタリズム)」、「童話(特にグリム童話)」などもあります。僕らがイメージしている純粋無垢な子ども、というのもまた、ロマンティックなんですね。

こんな感じで、ロマン主義者たちは、男女のロマンティックな恋愛を賛美するようになったのです。

また、ロマンティックラブは、プラトニックラブとは違い、男女の肉体的接触も肯定します。

精神的かつ肉体的に最高に素敵な人と結ばれ、永遠の愛を誓うことを求めます。

その永遠の愛を誓う人と結婚することが、最高の理想だ、と考えるわけですね。(*だから、結婚後も、一人の相手とだけ永遠に性交せよ、となるわけですね)

死ぬその時まで、決して壊れることも消えることもない永遠の愛…(そんなものが本当にあるのか、っていうツッコミはとりあえずなしにして、、、)

ただ、こうしたロマンティックラブが世の中に広まったからこそ、今の(性と愛と結婚が結びついた)婚姻制度があるんですね。(自由で解放的だったロマンティックラブが、息苦しいものになってしまった…?!)

ただ、2023年の今、こういうロマンティックラブを信じている人がどれだけいるでしょうか?

先日、若い学生に聴いたら、鼻で笑って、「そんなもん、あるわけないじゃないですか。どうせ、すぐに冷めますよ」と言ってくれました。

でも、その後に一言、「だから、恋愛できなくなっているんですよね💦」、とも。

その一方で、完全に「ロマンティック・ラブ・イデオロギー」を捨てて、自由気ままに、その場限り(一夜限り)の恋愛・性愛を謳歌している人も、たくさんいます。(ロマンティックラブに対して、「コンフルエントラブ(Confluent love)」と言ったりもします)

ある20代の男性はこう言ってました。「あー、もう、結婚とかいいっす。どうせ、嫌になるだけだから。それより、その瞬間、「いいな」って思う女性と何か月か、飽きるまで付き合った方が楽っすねー。子どもとかも、面倒くさいから要らないです。あ、てか、子どもが生まれても、この国じゃ、幸せになれないから…」、と。

今、若者たちの間では、「面倒くさいから、恋愛はしないで、推し活に勤しむ」という層と、「永遠の愛とかそういう面倒なことを考えないで、テキトーにアプリで性愛対象を見つけて、遊んで、捨てる」という層との二極化が起こっている感じがします。一方から他方へと反動で切り替わる人も含めて…。

どちらも、広く見れば、ロマン主義者たちが嫌った「理性的」で「合理的」な判断だなって思います。なんでもかんでも「エビデンスがー!」っていう「エビ厨」っぽい判断というかなんというか。。。

こういう流れに対して、僕は「全然、ロマンティックじゃねーなー」って思うわけです。

もっともっとロマンティックな、不条理で、妖しくて、神秘的で、非合理的で、規範とか規則とかを壊すような「恋愛」をすりゃいいのに、って(苦笑)。結婚に結びつかない恋愛を、それも、妥協なしで、自分の人生が大きく変わるような恋愛を。

それが、結婚に結びつくかどうかなんて、ぶっちゃけどうでもいいんです。付き合うかどうかも、ホントどうでもいいんです。ロマン主義は、感情的で、非合理的で、非論理的で、解放的で、革命的だったのだから。

それより、(たとえその恋愛が実らなくても、またその途中で壊れようとも)自分自身の生き方や在り方ががらりと変わるような、濃厚で濃密な生きた恋愛をしてほしいなぁ、と。

そして、この狂った社会を逸脱せよ!、と。

なんか、もっともっと(出会い系やアプリじゃなくて)リアルなこの世界で出会った人と、神秘的で、不条理で、非合理的な恋愛をすれば、自分の狭い世界が壊れて、広い世界が拓けて、もっと人生そのものが面白くなるのに、、、って。

例えば、「超遠距離恋愛」とか、「恋しちゃいけない人とのプラトニックラブ」とか、「旅先で出会った人とつながる不思議な恋愛」とか、「破滅に向かう恋愛」とか、「狂おしいほどに愛し過ぎておかしくなっちゃう独りよがりの恋」とか(笑)。

キーワードとしては、「偶然」とか、「禁断」とか、「運命」とかかな、やっぱり。(ま、アプリでも、そういう「運命」を感じる瞬間はあるかもしれないけど…、いや、ないだろうなぁ、、、💦)

そういう刹那的で背徳的な、でも、ものすごく自分の人生を大きく変えるような、甘く激しくロマンティックな恋愛を、是非とも求めてほしいなぁって思うのであります。

理性がぶっ飛び、また本能をもぶっ壊して変容させるような、、、

つまりは、自分の生き方が革命的にがらりと変わるような恋愛を。。。

最後に、ロマンティックなこの曲を✨

「同じ孤独を抱いて生きたね 今夜一人では眠れない🎶」

うん、まさに、ロマンティックだ!°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°

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