Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

「己の煩悩を認め、隠れて生きること」 エピクロスと仏陀

僕は、BUCK-TICKがエピキュリアンを歌う前から、熱狂的なエピクロス信奉者だ。エピクロスの思想は、僕の発想の基となっている歴史的な人物であり、尊敬する偉人だ。

彼の思想で大好きなのは、「隠れて生きよ」という隠遁的思考と、「アタラクシア(魂が落ち着いていること/心の平安)」が彼の中心的テーマとなっているところだ。

彼の考えはシンプルで、外に出ると、色んな欲望や煩悩が引き起こされるから、できるだけ内で生きていこう、と主張するのだ。人は、外に出なければ、変に欲望に心奪われることはない。外に出るから人間は変な欲望に犯されるのだ。たまにはいいとも思うが、逆にたまに街に出ると、心が強くかき乱されて余計に疲れを感じる。ゆえに、できるだけ隠れて生きていこう、と言うのである。

欲望や煩悩にかき乱されると、とにかく心が落ち着かなくなる。「~がほしい」、「~したい」、「~が気になる」、という気持ちが強くなり、いてもたってもいられなくなる。街には刺激的なものが溢れているが、それが近代的な(資本主義的)都市の在り様なのだ。欲望にうったえかけ、心を動かし、物欲や人欲を引き起こすのが街なのだ。

こうした欲望や煩悩に犯されていない状態が、アタラクシアの状態だ。アタラクシアの状態は、平穏で、穏やかで、心が安らいでいる状態だ。アタラクシアは、外の世界、とりわけ都市の世界では、なかなか得ることができない。家に居て、ひっそりとじっとしている時や、人目を気にしないで仕事に没頭している時や、友人と時間を気にしないで語らっている時などが、アタラクシアの瞬間である。心が落ち着いていると、人間は本を読んだり、友と語らったり、自然と触れ合ったり、内省したりしたくなる。そういう時こそ、僕らは幸福なのだ、そうエピクロスは考えた。

そんなエピクロスの発想に似ているのが、仏陀(ブッダ)の教えであろう。シッダールタは、己の煩悩から解放される術を探し、「ニルヴァーナ」という考えを見出した。このニルヴァーナは、まさに「心の平安」、「心穏やかな状態」、「心の平和」を示す言葉であった。一般的には「悟りの境地」ってことになるんだろうけど、ニルヴァーナの意味からすれば、「心が煩悩に犯されず、落ち着いている様」っていう感じの意味になっているのだ。この発想は、エピクロスのアタラクシアの状態に極めて似ている。

でも、よく考えてみると、実はこの二人が言っていることはとてもシンプルなことのように思えるのだ。

人間は欲望に支配されやすい生き物である。多くの人が愚かな欲望に負け、後に苦しんでいる。離婚の背景にある「浮気」や「不倫」も、結局は欲望や煩悩に負けてしまった結果なのである。「抱きたい」、「寂しい」、「人恋しい」、「欲情した」という一時の欲望に心奪われて、その欲望や煩悩のままに動いてしまった結果なのだ。「どうせばれない」、「大丈夫だろう」という甘い判断が、人間の平穏や平和を崩してしまうのである。その甘さの出所は、やはり「外」である。欲望が渦巻く外の世界である。

僕も電車に乗って都内に行くと、綺麗に着飾っている女性を見て、「おお、綺麗だなぁ」と思い、思わず見てしまう。恋するほどのものではないが、心が動かされるのもまた事実である。そういう自分の心を内省してみても、外の世界は実に「心かき乱すもの」で溢れかえっている。色心のみならず、僕らのあらゆる欲望を引き起こすもので溢れているのだ。

だから、できるだけ、可能な限り、僕は外に出ないように心がけるようになった。決して仙人のように達観したいわけではないし、全く外に出たくないわけでもない。そうではなく、ただ「心の平穏」を守りたいだけなのだ。僕も若い頃は刺激がほしくて、外にいっぱい出ていた。が、33歳になり、ある程度年をとり、色んな責任をもつようになると、逆に刺激が疎ましく感じるようになってきた。いちいち刺激に心が振り回されることが嫌になった。自分自身の心も、やはり欲望や煩悩の塊で、心がいかにもろいものかを理解できるようになった。嫌というほどに分かるようになった。

人の心は、移ろいやすく、もろく、弱く、いいかげんなものなのだ

仏陀の教えもエピクロスの思考も、こうした人間の「心のもろさ」をよく熟知した上での発想なのだろう。人類の知の歴史は、こうしたもろい人間の心を克服する歴史だったのかもしれない。欲望に負けやすい僕らの心に打ち勝つためにも、まずは、自分のもろい心をよく知ることだ。「自分の心も、ちょっとした欲望によってかき乱され、踊らされるものなのだ」、ということをよく知ること、受け入れることだ。そして、それを防ぐためにも、あまり派手に外に出ずに、ひっそりと(楽しく穏やかに)生きていきたいものだ。人目を忍んで、そっとそっと生きていきたい。

人間が幸せになる条件は、結構シンプルなのかもしれない!

*「外」に出ないで隠れると言っても、外とのつながりを完全に断ち切ることはできない。外とのつながりも大事だが、いたずらに外と結びつかないってことが大事なんだろうな。外には自分の心の平安をもたらしてくれる人もいるだろうけれど、それだけ自分の欲望をかき乱す人もたくさんいる。刺激もあるが、リスクもある、ってことだ。それから、(今、某TVショッピングを見ているのだが、こうした番組を流すTVの中も外の世界だと思った。「素敵な商品ですよ~ お電話ください~」、と僕らの心に迫ってくる。TVを見るのも、外の世界を見るってことになるんだろうな。

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