Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

『みんな(市民)の声』なんてそんなもの…

昨日のニュースで、橋下さんが、公務員の喫煙調査をすると聞いた。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120307-00000167-yom-pol

きっかけは、『市民の声』だとか。『公務員が仕事中にタバコを吸うとは何事か』とクレームがあったのだろう。それに、素早く対応したというわけだ。これが、橋下さんの『市民の声を聞く』の内訳だ。

市職員は勤務中の喫煙を禁じられているが、同局職員について「守られていない」とする通報が市民から寄せられているため。橋下徹市長は「ルールを徹底すべきだ」と指示しており、勤務中の喫煙が判明すれば、職務専念義務違反で処分する」(引用元は上記URL。下線部筆者)

タバコ不寛容批判の僕としては奇妙な話だ。市職員に対して喫煙を禁じていることは(しぶしぶ)認めるにしても、それにさらに追い打ちをかけるという手法に、だ。

『市民』って誰だ?! タバコを吸ってる人間は未だにたくさんいる。仕事の合間の一服に救われている人間も多い。ドイツでは、未だに駅員や警察官が道端でおいしそうにタバコをふかしている。おしゃべりしながらね。くわえタバコで睨まれたり、あからさまに手で振り払われたりもしない(仕事中の喫煙の非合理性を訴えているドイツ人もいるらしいが…)  

この数年における日本での禁煙フィーバーはいったい何なんだのだ、と。透明化という総監視の時代に。

***

『多数派』の意見=『みんなの意見』、まあ、そういうことなんだろうけど、どこまで公務員バッシングを続けるのか。そして、どこまで不寛容になっていくのか。「告げ口」とも「密告」とも「クレーム」とも取れるこの「みんなの声」=「市民の声」に違和感を感じずにはいられない。

市民の声を聞くのは大切なことだけど、その市民の声が偏っている場合だってある。しかも、その声が、何らかの煽動(アジテーション)によって導かれている場合には、必ずしもその声に応じなくてもよいのではないか? なぜ、ここまでするのか?!

だいたい、禁煙条例の時は明らかにおかしかった。『子どもの目線にタバコがくるから、やめましょう』って… 言いがかりに過ぎない(と、僕は思う)。タバコが子どもの目線に危険だと言うのは十分に分かる。そりゃ、燃えているんだから。でも、火、炎はそもそも危険なものでしょう。間違ってやけどしたり、けがしたり、もっと深刻なことも(事故的に・偶発的に)起こり得るでしょう。火を使う、火を燃やすというのは、そもそも危険と一体となっている。

では、火を使うなとでも言いたいのか? オール電化も一時流行ったけど、それは危険じゃないのか。最も危険な原子力に頼ってのオール電化じゃないのか。そうしたら、火も電気も使うな、と言うことになる。子どもを危険から守ることは大切なこと。しかし、街でタバコを吸うことが、大騒ぎするほど危険なことなのか? みんなの声、市民の声自体がそういう意味不明な論理で形成されているとしたら?! (ただ、たしかに路上で、タバコのような危険物は他にあまり見当たらないと言えば見当たらないが…後日談)

ただ、「子どもに危険だから」という理屈(屁理屈)で、フィーバーして、喫煙肯定派の意見を封じ込んだことは間違いない。今じゃ、どこもかしこも「禁煙」のポスターだらけ。この急激な変貌ぶりは、全て「世論」=みんなの声というかたちで生まれたものだ(いったい誰がこんな理屈をつけたのか…)

『みんなの声』があてにならない、真実ではないというのは、音楽のファン投票でも言える。BUCK-TICKのベストアルバムの特典で、ファンが選ぶベスト30を聴いていると、それがいかに自分の好みと違うことが分かる。多分、誰一人として、あの選曲がいいとは言わないだろう。『みんなの声』とは、逆に『誰の声でもない』という要素をもっているように思う。いや、思うとかそういうレベルじゃなくて、確実にずれている。みんなの声は、誰の声でもない。

人気ラーメン店ランキングというのも、同じだ。ファン投票によるランキングは、上位にいけばいくほど、つまらなくなる。『最高権威』と言われるようなランキングムックの一位も、毎年決まってつまらない。面白みがない。そのムックがつまらないのではなく、『みんなが選ぶベストラーメン店』が、結局はつまらなくなるのだ。『みんなの声』というのはつまらないのだ。

グローバル化の時代、みんなが英語を勉強している。みんな、英語が大事だ、と言う。大学もこれからは英語で講義をせよというアホな『みんなの声』もある。が、ふと考えると、英語自体を心底愛している人ってどれだけいるんだ?! いないとは言わない。けど、英語そのものを心から愛している人は、ドイツ語ほどにはいない気がするのだ。

話を戻す。

タバコを愛している人は個々にたくさんいる。たくさんの税金を払いつつも、愛している。が、タバコが心底嫌いで、この世から心底タバコを抹消したい人はどれだけいるのか。『子どもの目線にくるから本当に危険だ!ゆるせん!』と本気で思っている人はどれだけいるのか?!(世の風潮とは別に、本当に怨念を抱いている人は、それ自体が少数派ではないのか?)

国や外国(偏りあり)や一部の『市民』(偏りあり)が煽動的に騒いだ声にただ従っているだけじゃないのか?! それが『みんなの声』なのか?!

橋下さんの言動を見ていると、彼が最もしたいことが全然見えてこない。ただ(気持ち悪い)世論に従って、人気を集めているようにしか見えない。つまり、時代の流れや風潮にただただ従っているだけ。だから、人気もでるんだろうけど… 世論やみんなの声にすぐに応じる姿勢は評価されるだろうが、彼自身がしたいことが見えてこない。みんなの声=誰の声でもない声に従ってやっているだけ。

極論から言えば、のっぺらぼう。

人気が高いものや、支持される人気の世論などの無意味さは、もっと批判されていいはず。民主主義とポピュリズムは紙一重。そうした世間に受ける考えや要望というのは、一方で理念であり、他方で陳腐であるのだ。

続く…かも。(続かないと思われます、、、)

*いただいたコメントを受けて、少し修正していきます。やはりちょっと、難のある文章、というか、表現しにくい内容が含まれていますので、、、

コメント一覧

kei
昔喫煙者さんへ

誤解を招く表現でした。

どこでタバコを吸っていいか分からないというのは、「分からない」という意味ではなく、「吸ってよい場所を知らない」という意味ですよ。見知らぬ土地では、「喫煙禁止」とは書いてありますが、どこが吸う場所なのかはどこにも書いてありません。禁止するばかりで、吸える場所は本当に示されていません。

それから、忘れてはならないのは、タバコはまだ「合法」だということです。

それにしても、止めることができた昔喫煙者さんは凄いと思いますよ。

僕は、今はまだ止めない、と決めました。

喫煙者のモラルはたしかに問われるべきだとは僕も思いますね。ただ、そのモラル自体もまた問われるものだと思います。

今日の「喫煙排除」の圧力は、かなりのものだと思いますよ。ただ、それは水掛け論になるので、これ以上は言いませんが。。。

多分、僕は、喫煙の「モラル」を問うていて、昔喫煙者さんは「喫煙」のモラルを問うているんだと思います。

喫煙自体は、僕の中ではあまり問題ではないのです。医学研究者の知人が言っていましたが、医学で確実に言えることは、「タバコは有害だ」ということだけだ、と。

ただ、「有害」を排除することが、果たして正しいことなのか。「有害なもの」がない社会が正しい社会なのか。「無害なもの」だけがすみやすい社会でよいのか。そういうことが僕の中では問題なのです。(なので、喫煙はその一例にすぎないのです)

有害なものの排除は、近代社会を貫通する一つの「正義」です。「有害と規定するものは何か・誰か」。それが、一貫した僕の問いなのです。

なので、意見が対立しているというのではなくて、見ているところが違うのかな、と、昔喫煙者さんのコメントを拝読させていただいて、思いました。

ありがとうございます。
昔喫煙者
「どこで吸っていいのか分からない」って・・・。そんなことは自分で考えればいいじゃないですか。
歩き煙草をしていいと思いますか?近くに子供がいるところで吸ってもいいと思いますか?たとえ「喫煙可」のお店であっても、食事をしている人の隣で煙を出してもいいと思っていますか?小学校の運動会の場での喫煙って、どうなんでしょう?
そんなことすら判断できなくなっているから、規則が生まれてくるのですよ。

私は規則で縛られるのが大嫌いです。でも、“自律”できないのであれば、それも止む無しと思います。なので、私は規制が厳しくなる前に煙草を止めたのです。

職務中に煙草を吸ってもいいと思っている職員がいるからこそ、取り締まらなければならないのです。そんな行為がなければ、橋下市長もこのようなことをする必要もなかった訳です。

keiさんの言う“曖昧”な状況のままでいられるよう(=これ以上、規制が厳しくならないよう)に、喫煙者はあまねく自らの喫煙行為を見つめ直すべきです。
kei
こんにちは。

意見のかみ合わなさは、決して悪いことではありません!! 是非もっとご意見を聴かせていただければ、と思います。

僕の主張は、実はそんなにないのですが、タバコのルールがあまりにも曖昧というか、法則性がないのが辛いです。

例えば、公共的な室内はどこも禁煙というルールなら、簡単ですよね。ドイツはそうなっています。日本は、室内でもいいところ、ダメなところがあり、屋外でもいいところ、ダメなところがある。どこで吸っていいのか分からない。特に都心部では、それがあまりにも複雑で、困るのです。つまり、ルールがあまりにも複雑すぎて、いつも困るのですね。

ま、それは個人的なことなので、どうでもよいのですが、、、

規則がダメというわけじゃなくて、日本の現状の規則があまりにも曖昧すぎて、分かりにくくて、困っているということです。

成人の喫煙は違法ではないです。法律上の規制もありません。条例どまりです。でも、その条例があまりにも(僕的には)ずさんで、本当の意味でルール化になっていない気がします。

でも、それが日本だと言われれば、「そうですね」としか言いようがないのですけれども。
昔喫煙者
連張りで申し訳ございません。
ちょっと気になったのですが、keiさんは
「煙草のポイ捨てくらい大目に見てよ」
「勤務中にプカプカ煙草を吸っていたっていいじゃないか」
「喫煙者なんてマナーが悪いのが当たり前なんだから、いちいち文句言うな!」
といった主張ですか?

ご質問に答えていなかったので追記しますが、私だったらドイツのような社会は嫌です。keiさんが窮屈に感じられている日本の社会ですら、まだまだヌルイと思っているくらいですから。
「どう説明するか」と問われれば、「だらしないんですね、ドイツって」としか答えようがないです。ドイツに行ったことがないので。
昔喫煙者
keiさん、どうもです。

keiさん、引用元の記事をもう一度よくお読みいただけますか?

この規律(職員向け指針)って、2010年10月のもののようですよ。橋下さんはまだ市長になっていませんね。

それにkeiさんのいう「みんなの声」があったために取り締まるということではないでしょう。規則を守っていない職員がいるという指摘だけです。その指摘が複数あれば、規則を守らない職員の存在に信憑性が増してくるのではないでしょうか?

あと「喫煙をするな」という主張ではありません。「勤務中に喫煙をしてはいけないという規則があるにも関わらず、それを守っていない職員がいる」ということが問題なのではないですか?勤務時間外であればご自由に喫煙なさってください。そして、そこに勤めるうえでそんな規則がある職場が嫌なのであれば、転職すればいいだけのことです。

実は、keiさんとはいろいろなところで意見が合わないと思っていました。(たとえば児童虐待)これを機に、他の分野でもコメントしていきたいと思います。よろしくお願いいたします。



kei
昔喫煙者さん

たびたびすみません。

あの後、もう一度全部読み直しましたが、やはり色々と話題が飛び過ぎていて、首尾一貫性に欠け、問題設定の部分で少し瑣末だったかな、と思いました。携帯で打つような内容ではないですね。。。そこは考え直しました。

ただ、このやり取り自体に、ある種の「意義」を感じるので、削除せずにそのままにしておこうと思います。問題を整理したら面白い何かが書けそうな気がしています。
kei
昔喫煙者さん

またまたのコメントありがとうございます。たしかに「ズレ」はありますね。

ですが、取り上げ方は間違っているとは思いません。少し説明が足りない部分があることは否めませんが…

喫煙者のマナーはどの国も同じようなものです。というより、ドイツではもっと酷いです。ポイ捨ての数は尋常ではありません。にもかかわらず、日本やアメリカほどの「やかましさ」はありません。それはどう説明されますか?

昔喫煙者さんは「規律」を問題にされていますが、その「規律」の作られ方に奇妙さがあると思います。それこそ「扇動」に導かれた猟奇的な変容ぶり、です。

公務員の方が規律をやぶって喫煙しているということは許されないことでしょう。規制があるわけですから。しかし、その規律自体が疑わしいわけです。それこそ「みんなの声」によって作られたものです。(しかし、その声は誰の声でもない)

しかし、彼らも一人の労働者であり、仕事をしているわけです。仕事をしていればストレスもあります。嫌なことも我慢します。ならば、喫煙することも(一人の大人ですから)本人の責任に委ねてよいのではないでしょうか?

なんでもかんでも規律、規則にして、個人の行為の自由(そして責任)を認めない、そこが問題だと思うのです。もし、悪意のある喫煙者がいたら、それに気づいた人がきちんと注意をすればよいだけのことです。それを「規制」にして、無言の圧力をかけることが正しいことでしょうか?

僕が問題としているのは、その部分です。タバコだげの問題ではありません。だから音楽やラーメンの例も挙げました。「市民の声」「みんなの声」とはいったい何なのでしょう、と。

ただ、こんな小さなブログでも、これだけの反対意見があると、やはり「世論」は大多数の人の意見を反映しているのかな、とも思いますね。(けれど、それが本当に個々人の人の本当の意見なのかは分かりません)

コメントありがとうございます。
昔喫煙者
keiさん、ご返事ありがとうございます。
でも、まだ論点にズレがあるようですね。

喫煙者が「排除」されようとしているのは、不快だからというだけではないでしょう。つい最近までは寛容な社会でしたよね。私が就職した20年前は、職場の机で喫煙できていたくらいですから。
でも、そのような社会の寛容さに“甘え”てしまっていたために、ついにNO!と突きつけられているだけではないでしょうか。ポイ捨て問題然り、周囲に対する配慮のなさ然り、やはり根本の問題は喫煙者自身にあると考えます。もっと節度ある喫煙をしていたら、ここまで厳しい環境にはなっていなかったのではないかと、私自身も吸い続けていたのではないかと思います。

歩き煙草の危険性の指摘については、それなら火そのものも・・・と書かれていますが、当然、火は危険なものですから、街中でむやみに持ち歩いてはいけないでしょう。当たり前のことです。刃物を持って歩いていたら、取り押さえられますよね。そう考えれば煙草だって危険物ですから、人が多く集まるようなところでは吸うべきではないのです。それが分からない喫煙者が多いから、自分たちで自重できないなら、規制せざるを得ないでしょう、ということです。

橋下市長の対応ですが、市民から寄せられた声の多い少ないは関係ないのではないでしょうか?問題は喫煙ではなく規律です。すべてを自分の目でチェックできるわけではないので、1件でも指摘があればこのような対応をするのは当然でしょう。橋下市長は喫煙自体を問題視しているのではなく、勤務中に喫煙を禁じているにも拘らず、規則違反をしている職員がいることを問題にしているだけです。

そもそものkeiさんの取り上げ方が間違っていますね。
kei
みなさん、コメントありがとうございます☆ 普段コメントが全然つかないので、嬉しいやら、困惑やらしています。ただ、今回はちょっと論争的にコメントさせてくださいませ。

通りすがりさん

極めて稀に起こる例を挙げて、感情に訴えかける方法自体が、扇動的だと思うのですがいかがでしょう?(そうおっしゃるなら、車や電車のホームも全部撤廃すべきでしょう。車にひかれて幼い子どもを亡くした人の気持ちを考えれば、車は排すべきです) 肺がん等による治療費との問題はもちろん知ってはいますが、それ以前に抗がん剤等の問題の方が先決ではないでしょうか。これもまた一つの扇動になっている可能性もあるのです。医療費の問題は素人にはなかなか分からない部分があります。

南さん

自分の欲求のまま、その通りです。(合法的)嗜好品ですから。しかし、世の中のほとんどのものが欲求に訴えかけるものですよね。その中でなぜタバコだけがこんなにもバッシングされるのか。しかもこんなにも急激に。アメリカ~アジアで。そこが問題なのです。タバコや喫煙者のマナーは問題としていません。

unknownさん

今回は橋下さんの政策についてはあまり語らないでおきますね。公務員へのバッシングそれ自体が扇動になっていることだけは間違いないと思います。

昔喫煙者さん

ご丁寧なコメントありがとうございます。感情に任せてはいませんよ。恐らくタバコの問題というところでやや乱暴な記述になったことは否めませんが…(電車の中で携帯で打った文章なので)。僕は逆にかつて超タバコ反対派でした。喫煙者自体が嫌いでした。ドイツで孤独に潰されそうなときにタバコと出会い、タバコに色んな意味で助けられました。なので、昔喫煙者さんと逆なのですね。近くにいる人を不快にさせること=排除すべきこと、という論理に怖さを感じます。不快に感じるのはタバコだけではありません。香水、体臭なども人を不快にさせます。他者を不快にさせるものを排除しようという論理自体を問いたいのです。タバコ自体は悪いものだと思います。相手を不快にさせることも分かっています。問題はそこではなく、この過剰な反応ぶりはいったい何か。「市民」「みんな」とは誰のことなのか。そういうことを問うたつもりです。不快なものを否定する、排除する、それはまさに寛容の反対だと思いませんか? そこだけですね。(僕の書き方に問題があったのだろうと思いますが、削除せずに残しておきたいと思います。これだけ反応があるのも珍しいことなので…苦笑)

いつも深く読んでくださっておられるように思います。これからも厳しく、かつ末永くよろしくお願いいたします。
昔喫煙者
なんだか今回の記事は感情に任せた暴論ですね。

そもそもkeiさんの記事は偏向的なものではあるものの、一生懸命に客観的な見地から書いているように見えるよう努力されていたのですが、今回ばかりは馬脚を現したとしか言いようがありません。

喫煙問題というのは、それぞれの立場から歩み寄りようのないテーマですから、何を言われてもご納得はされないでしょう。
でも、私自身も喫煙者でしたが、現在の喫煙者に対するバッシングは、喫煙者自身が招いたものだと考えています。
同じ喫煙者としてですらマナーの悪さに閉口しており、彼らと同じ扱いをされることを避け、15年前に煙草をやめました。

「勤務時間中の喫煙」に対する問題は、それが「勤務時間中」であることにほかならず、民間企業ならましてや税金から給与をもらっている公務員は許されることはないでしょう。
“社会の寛容さ”と問題をすり替えようとしていますが、それとこれとは別で、むしろ規律として健全であると考えるべきです。

立つ位置が変われば見える景色も変わります。keiさんは非喫煙者の気持ちが分かりますか?私は喫煙者の気持ちが分かります。煙草の美味さも知っています。
でも、歩き煙草をする人は、後ろを歩いている人にどれだけ迷惑をかけているか、分かっていますかね?人ごみの中で煙草を吸っている人は、それを避けて歩いている人がいるということを知っていますかね?食後の煙草は美味しいでしょう。でも、隣では食事中の人がいることが見えているのでしょうか?

喫煙者の多くが、そういった気遣いが出来なかったから、現在のような“煙たがられる”社会になってしまったのだと自覚し、肩身の狭い思いをするのは自業自得と認識しなければなりません。

keiさんのお仕事上の立場としては、ご自身こそがいろいろな意見に対して寛容にならなければね!

Unknown
タバコのくだりはさておいて、某市長については、同意見ですね。
教育の在り方を揺るがす政策。
なり手がいるんですかね。
民意の名のもとに、公務員、教師を晒して支持を得る。

手遅れにならなければよいですが。

吸ってる本人より周りの方が身体に害を及ぼすのは理不尽ですよね。
マナーに欠ける喫煙者が多いことを棚に上げてどうこう言われても

「自分の欲求のままに吸いたいだけなんでしょ」

子どもの我が儘みたいな言い分にしか聞こえないんで

次の論点は非喫煙者と愛煙家は共存出来るかどうかであることを楽しみにしてます★
通りすがり
歩きタバコにより光を失った子供の前でもそう言えますか?子供の目線云々の話は歩きタバコの話なので、橋本さんの話とはずれていますが。あと、タバコによる肺癌の治療にかかる税金はタバコの販売による収入より多いため、禁煙を国策として進めるのは間違っていないと思う人が多いのも事実だとお知りください。
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