笑っていいとも(27日)で、とても興味深いデータが出ていた。
アラゆる世代の既婚女性に聴きました!
「結婚を漢字一字で表すと?」
20代 一位 愛 二位 楽 三位 幸 四位 笑 五位 勝
30代 一位 幸 二位 絆 三位 楽 四位 愛 五位 耐
40代 一位 忍 二位 耐 三位 苦 四位 怒 五位 憎
50代 一位 忍 二位 諦 三位 耐 四位 協 五位 愛
60代 一位 和 二位 愛 三位 協 四位 忍 五位 安
これが実に面白い。
愛を赤字で示したが、20代で一位だった愛は、30代で四位に下がり、
なんと40代では一度ランキングから消えてしまうのだ!
だが、その後50代になって再び5位に浮上し、
60代には和に次いで、二位にまで戻ってくるのだ。
ここが実に面白い。
普通に考えれば、愛はやっぱり夫婦にとって大事なんだね、
という結論に向かうと思うが、それは間違いである。
20代~30代でいう「愛」と、50代~60代でいう「愛」は別物なのだ。
たまたま言葉が一つしかないからそう書いているだけであって、
20代が使う「愛」と、60代が使う「愛」の意味内容は全く異なっている(はず)。
20~30代の愛は、楽とセットの愛である。楽しい愛だ。
一緒に外食をしたり、一緒に映画を見たり、
夫婦生活を楽しむことを共に味わう愛である。
享受的な愛といってもいいだろう。
若い20代~30代の夫婦は、そういう楽しい愛を思い描いている。
だが、50代~60代の夫婦は、楽しい愛を思い浮かべているわけではない。
つまり、享受的な、消費生活的な、つまり快楽的な愛情ではない。
協とセットとなるような愛である。
パートナーシップ、コーポレーション、サポート、コラボレーション、
そういった概念に関連する愛である。
どちらかといえば、楽しいよりも苦を共にする愛情である。
いや、楽や苦ではなく、それこそ和となるような愛情である。
そこには、快楽や刺激ではないもっと普遍的な愛情の匂いが感じられる。
派手さはなく、地味であり、静かであり、穏やかである愛。
きっと20代~30代の若い夫婦には分からない次元の愛なのだろう。
ただ、救いなのは、夫婦は危機を共に乗り越えることで、
新たな愛を得るかもしれない、そういう可能性がある、ということだ。
若き日の恋愛は移ろいやすく、もろく、はかなく、不安定である。
それは、ほぼ99パーセント消えうせるような愛情である。
愛は一度死ぬのである。
その愛の死と共に、夫婦の関係を終える夫婦も今は少なくない。
早かれ遅かれ、ほとんどの夫婦が一度は愛の死を経験するのである。
それが、40代の頃である。「憎」と「怒」=夫婦と言うくらいである。
若き日に愛し合った二人も、40代にもなれば、愛だ恋だとは言わなくなる。
いままでしてきたものが愛だったのかどうかも疑わしくなるのだろう。
40代に離婚が多いというデータはそんなにあるわけじゃないが、
40代に離婚に踏み切る人が多いというのは、なんとなく分かる。
50代~60代の「愛」は、20代~30代の人間には分かり得ないものなのだ。
きっと本人たちもそれが「愛」なのかもよくわからないはずである。
ただ、そのよくわからないもの、でも確実なものがしっかりそこにあって、
それをお互いに感じ合っているからこそ、それが「愛」と呼ばれるのである。
究極の恋愛を考える上で、この表はとても意義深いものだと思う。
和の愛、協の愛、この辺が、深い愛の導きの糸となるはずである。
二人が調和し、協調し、協同し、助け合う。
そこには、恋愛特有のエゴイズムはない。
そういう愛があるんだ、ということを僕らは胸にとどめておきたい。
目の前の刹那の愛に振り回され、晩年に孤独を生きる人もいるだろう。
刹那の愛は幻想と割り切り、和の愛や協の愛を目指して生きる人もいる。
それは、その人の生き方なので、どちらがよいとは言えない。
ただし、人間は達観したところから物事が見れる、という特徴をもつ。
達観したところから「愛」の事象を見つめる時、
われわれはどういう愛を求めればよいのか、
その答えはあまりたくさんあるようには思えない。
「笑っていいとも」もなかなかよい企画を立てるじゃありませんか☆