恋愛交差点第33話です。
前回の32話では「結婚」について考えました。
今回は、結婚を経て結ばれた「夫婦」のお話です。
どんな理由であれ、結婚すれば、どちらか一方が死ぬその時まで、夫婦として生きていくことになります。
また、どちらか(あるいはどちらも)が、その関係に限界を感じた時には「別居」「離婚」という道を歩むことになります。
別居や離婚もまた、一つの選択肢であり、それ自体を否定する気は全くありません。別居や離婚をすることで、人生がよい方向に進むということも多々あります。
夫婦も、人間関係である以上、よくもなるし、悪くもなります。
お互い、生身の人間なので、その関係は常に流動的ですし、危ういものですし、壊れる可能性は常にあります。
ただ、結婚したその瞬間、離婚を考えている人はまずいないと思います。
それを踏まえて、夫婦という関係をどう生きていけばよいのか、考えてみましょう。
>2020年に書いた恋愛交差点14でも「夫婦とは?」というテーマを扱っています。
この記事では、法や社会の観点から夫婦を描いたので、今回は人間学的な点でお話したいと思います。
(*以下、「夫婦」と表記しますが、男女のペアに限定されるものではない、という視点も含みこませています。男性同士であっても、女性同士であっても、「夫婦」と同じものとして考えて、書いていきます。そう遠くない未来、同性婚も(たいへん遅ればせながら)制度的に承認されると思うので…)
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➀夫婦関係は「一対一」の関係であり、「我と汝」の関係からスタートする?!
夫婦は、当たり前ですが、一対一の関係であります。
一対一の関係、つまりは、わたしとあなたの関係にあります。
しかも、お互いに選びに選び抜いた相手であり、お互いに「特別な存在」であります。
わたしにとって、その相手は、替えの効かない「かけがえのない相手」であり、
その相手にとって、わたしは、替えの効かない「かげがえのない相手」であります。
そういう意味では、夫婦というのは、その始まりから「我-汝」の関係にあると言えるでしょう。
つまり、相手方から常によくも悪くも、大きな影響を受けてしまうような存在として。
しかも、同じ屋根の下で共に暮らすことになるので、逃げだすことができない間柄として。
*我と汝、我とそれについては、この動画で詳しく説明されています↓
けれど、、、
わたしもあなたも、徐々に「かけがえのない存在」ではなくなっていくんです。
日々の慌ただしい生活の中で、わたしとあなたの関係性は「我-汝」ではなくなっていきます。
その新たな関係性は、「我ーそれ(it)」の関係になっていくのです。
我ーそれの関係では、お互いに影響を受けず、相手の言葉を真に受け止めず、聞き流し、向き合うことをしません。同じ屋根の下にいるのに、一緒にいるという感覚が消え、最悪の場合、一緒にいることが苦痛になっていきます。
お互いに影響を受け合わず、相手の話に心動かされず、相手の嫌なところが目に入り、相手の不平不満を別の誰かにもらすようになり、しまいには、一番近くにいる一番遠い存在へ、と…。
また、一対一の関係から、新たな命が誕生することで、別の関係へと移っていきます。
…
➁夫婦は、根源的に「対等な関係」であり、上下の優劣をもたない。
夫婦は、一対一の関係を生きるわけですが、その関係は最初から最後まで「対等」です。
エロスの愛やアガペーの愛というよりは、フィリアの愛に近い関係性です。
この「対等」を忘れることで、夫婦関係にひびが入る、と考えてよいでしょう。
男と女である前に、まずは一人の人間と一人の人間であります。
一人の人間としての「尊厳」を、互いに尊重しあう間柄でなければいけません。
ここでいう尊厳とは、「その人の人格を尊重し、その人が自分のことを自分で決め、自分らしく生きることを大切にすること」であります。(引用元はこちら)
ゆえに、相手方をバカにしたり、罵ったり、悪意のある言葉をかけることは許されませんし、それだけでなく、相手を自分の思い通りに命じてはならないのです。お互いに、お互いのことや家庭のことを自分で決める、ということが守られなければなりません。
他人を慮るように、相手方のことを慮らなければならないどころか、他人以上に大切にしなければいけません。
他人の意思を尊重するのと同じように、それ以上に、相手方の意思を尊重しなければなりません。
なぜなら、あなたがその人を生涯のパートナーとして選んだからであり、最も大切な最愛なるパートナーとして自分で選んだ以上、誰よりも大切にしなければならないからです。
相手方が疲れているように見えたら、「大丈夫?」と声をかけるべきですし、相手方が嬉しそうにしていたら、「何かいいことがあったの?」と声をかけるべきでしょう。相手に関心をもつ、専心する、ということこそ、本来の意味での「愛すること」や「ケアすること」の実践でありますから。
しかも、大事なのは、お互いにそういう小さな声かけを忘れない、ということです。
夫婦関係は、どこよりも誰よりも対等な関係なので、どちらか一方だけがそういうことをする、というのではフェア(公正)ではありません。対等であるなら、お互いに相手方に関心をもち、目の前にいる「その人」に向けた声をかけることです(これを「呼びかけ」と呼んでもよいかもしれません)。
わたしも、相手も、常に相手方に対して敬意をもち、そして、関心をもちつづける。
相手が悩んでいたり、苦しんでいたら、それを真剣に受け止めて、じっくり耳を傾けるんです。同時に、自分が悩んでいたり、苦しんでいるなら、それを相手にしっかりと受け止めてもらい、聴いてもらわなければなりません。
これができなければ、その対等な均衡は崩れ、どちらかが苦しんだり、悲しい思いをすることでしょう。
前回の言葉で言えば、「安らぎ」を与え合う関係であり続ける必要があるんですね。
ただ、こうしたお互いに対等に関心を寄せあう夫婦はとても珍しいことでもあります。
夫婦の間に、徐々に「力関係(権力関係)」が生まれてきます。どちらかが決定者で、どちらかがそれに従うような関係になっていきます。夫婦のどちらかが顔色をうかがうようになったとき、その時、その関係は対等ではなく、上下の関係になるのです。
(*ただし、経験的には、女性の方が上位で、男性の方が下位の夫婦の方が穏やかにやっているように思います。あるいは、男性が自覚的?に下位に立ち、女性が優位に立っている夫婦の方が「円満」かなと思いますが、どうでしょうかね?! 無論、どちらも被支配的であるのが条件になりますが…)
…
➂夫婦は、共に「成長すること」を目指さなければならない。
夫婦もまた、一人の人間である以上、成長していきます。
夫婦関係もまた、その成長に応じて、変わっていきます。
結婚はゴールではなくて、スタートラインでしかありません。
結婚後から、夫婦関係は始まり、わたしもあなたも、その関係の中で、変化し、成長していきます。
最初は、困惑することも多いでしょうし、いきなり他人だった人と365日共に暮らし始めるわけで、それはとてもたいへんなことであります。
けれど、徐々にそれも慣れてきます。それも一つの「成長」ですよね。
この最初のスタートアップの時期も、夫婦にとっては大切な時期です。
そこで重要なのは、お互いに、成長し合うことであります。
共同して何かの作品を創るように、共同して「家庭」を創っていくのだから、よりよい家庭を創るための努力をどちらも続けることが、夫婦の成長になっていきます。
相手方だけがその努力をして、自分はその努力をしない、となると、夫婦関係にはすぐに亀裂が入ります。逆に、自分はよりよい家族を創るために努力しているのに、相手方はなんにもしない、となると、自分の中に不満が生まれてくることでしょう。
わたしとあなたの双方が「いい家庭を創る!」と強く思い、行動しない限り、夫婦関係にはやがて溝が出てきてしまいます。
結婚して5年過ぎれば、結婚当初とは全く違う夫婦関係になっているでしょうし、わたしもあなたも、まったく違う人間になっています。5年という月日は、人を大きく変えるものです。それが「成長」です。
同じスピードで…というのは無理があると思いますが、だいたい同じ感じで成長していれば、5年経っても、そんなに夫婦関係は変わらないものです。が、どちらか一方だけがぐっと成長して、どちらか一方は5年前のまま、となると、そこに大きな温度差や隔たりが生じてしまうものです。(これはバンドのメンバーの人間関係にも通じるものかと思います…)
子どもが生まれるまでの間の時間は、その後の時間にとってもとても大きな意味を持ちます。
子どもが生まれる前の間に、夫婦関係がより強固なものになれば、子どもが生まれた後も、安定した夫婦関係が継続されます。しかし、夫婦関係にヒビや亀裂が入れば、子どもが生まれた後に、そのヒビや亀裂がさらに大きくなる可能性大です。
特に第一子の妊娠中というのは、女性にとっては日々「成長」と「変化」の日々です。体の中の胎児と共に生きるのも、初めての経験ですし、妊婦健診もエコー検査も初体験になります。そうやって成長していくわけです。
他方で、男性は、(身体的に)妊娠期に大きく変化することはありません。言ってしまえば、何も変わりません。
だからこそ、変わる努力を男性も自らしていかなければなりません。
育児の本を読むとか、妊婦の辛さや苦しさについて調べるとか、自分が妊娠している相手に対して何かできることはないかと思案したりとか、そういう努力をすることで、男性の方も成長することはできるわけです。
育児が始まれば、お互いに「いいパパ」「いいママ」になれるよう、共に成長しなければなりませんよね。同じじゃなくてもいいんです。共に成長し合えることが大切なのです。
どちらか一方が著しく成長し、どちらか一方が全く成長していないとなると、夫婦の間の溝は開いていくばかりでしょう。共にそれぞれが、いいパパ、いいママになろうとしていることがとても大切なことなのです。
…
④夫婦は、お互いに不得手な部分をおぎない合う関係である。
僕が海外に行ったときによく耳にした言葉があります。
Nobody is perfect!
Niemand ist vollkommen!
訳せば、「完璧な人間はいないよ」という感じですね。
成人した夫婦とはいえ、わたしもあなたも完璧な人間ではありません。
得意なこともあれば、苦手なこともあるでしょう。
できることもあれば、どうしてもできないこともあるでしょう。
それをおぎない合うのが、まさに「夫婦」という関係ではないでしょうか。
男だからとか、女だからとかではなく、できる方がやればいいんですね。できない相手に何を言っても、できるわけがありません。また、相手が「できないこと」は、自分がそっとサポートすればよいんですーもちろん「ありがとう」という言葉を期待することなく…。
✅地図を読めない相手なら、自分が読んで、道を教えてあげればいい。
✅料理が不得意な相手なら、自分が料理を学んで、作ればいい。
✅書類を書いたり整理したりするのが苦手な相手なら、自分が書いたり整理したりすればいい。
✅お金の管理が苦手な相手なら、自分がしっかり管理すればいい。
✅ゴミ出しが苦手な相手なら、自分がゴミ出しをして、その代わり、相手ができることをやらせればいい。
相手のことをしっかり見て、しっかり理解していれば、すぐにできることだと思います。(でも、それができない人がどれだけ多いことか、、、)
これは、簡単に言えば「役割分担」といえるでしょう。
>詳しくは心理学の「SVR理論」を調べてみてください!(面白いですよ!)
とはいえ…
長い時間、同じ屋根の下で生活していると、互いに補い合えないことも出てきます。どちらも苦手なこともあるし、どちらも不得意なことというのもあります。
お互いに「どうしても譲れないこと」もあるでしょうし、「これは妥協できない」ということもあります。そうしたときに、一歩引けるかどうか、相手に譲ることができるかどうか、これも問われてくると思います。
一歩身を引く、というのもまた、愛する能力に関わることでありましょう。
…
⑤夫婦関係は、ほどほどに「関わらない関係」であることが望ましい?!
夫婦関係は、終わりのない、長い長い果てしなき関係であります。
上にも書きましたが、(離婚しない限り)どちらか一方が死ぬその時まで続く関係です(死んだ後も続く関係だ、という人も結構いますが…)。
25歳で結婚したとしましょう。そして、相手が亡くなるのを75歳としましょう。そうすると、50年、共に生きるということになります。50年、同じ屋根の下で、共同の生活を続けることになるんですねー50年続けばよいほうだと思いますが…。
50年という膨大な時間を共に過ごすので、小手先の技術でどうこうできる関係ではありません。
そんな果てなき関係を生きる上で、とても大切なことは、
✅「できるだけ相手に干渉しないこと、干渉しあわないこと」
✅「できるだけ相手に求めないこと、期待しないこと」
✅「できるだけ相手に関わらないこと」
ではないでしょうか?!
これはわりと年齢を重ねた人から出てくる意見です。
夫婦円満の秘訣は?と問う時に、熟年夫婦たちは「ほどほどに」「適度な距離で」「距離感をもって」「一番身近な他人として」、と言います。
若いカップルたちは「一緒に居たい」「ずっとそばにいたい」「離れたくない」「一つになりたい」「ずっとつながっていたい」と欲求するものですが、円満な(熟年の)夫婦たちは、逆に、「ほどよく離れていること」「できるだけ離れていること」「二つであること」を求めています(欲求というよりは、経験的な理性?で)。
そのためには、やはり「ひとりでいられること」「ひとりで生きていられること」が大事になってきます。
それと同時に、どんなに愛する人であっても、「他人である」という意識をキープし続けることですね。
他人である以上、こちら側の思い通りにはならないし、こちら側が意図した通りには考えてくれません。同じ人間でない以上、同じようには動いてくれないし、同じように考えてもくれません。期待しても、その期待通りにならないのが「他者」ですからね。だから、「どうして私のことを分かってくれないの?」とは決して言いません。
このことを自覚している人は、相手に過度な期待や要求をしませんし、相手からの過度な期待や要求に応えることもしません。だから、その関係が続くんですね。持続が可能なんですね。
ひとりで生きていくこともまた、愛することを為すためには欠かせないことなのです。
山折さんのこの本は、まさに「ひとりで生きること」の意味を示してくれています。
…
最後に、「夫婦円満の秘訣」についてお話したいと思います。
ネットで「夫婦円満の秘訣」と検索すると、読み切れない量の記事やサイトがヒットします。
こうしたものを参考にしてもよいと思いますが、ここでは、僕が実際に「facebook」でつながっている知人や友人たちの声を紹介したいと思います。
なかなかいい秘訣を教えてくれました。
(若い夫婦の秘訣から、徐々に年配の夫婦の秘訣へと並び変えています👇)
夫婦円満の秘訣とは?!
・子どもが幼稚園に行くまで専業主婦でしたが、預かり保育を使ってパートをしています。家庭以外に目を向けつつ、毎朝旦那の仕事の日は弁当を作り、行ってらっしゃいのちゅーをして😙お見送りをしています!笑(本当です笑)
・一緒に夕食を食べること。
・何があっても寝る時は同じ布団で、おはようとおやすみのキス
・女房が腹を減らして機嫌が悪くなったら、一緒にラーメンを食いに行く‼️
・ママの手のひらでサーフィン出来るようになれば…コロコロコロコロ🏄 後、妥協
・嫁に絶対服従すること! スイーツを買って帰ること 時々、お花を買う。誕生日は接待する。
・我慢
・一番身近な他人だと思うことかなぁ。円満かどうかは知らんけど笑。
・お互いの趣味を尊重して、家庭に影響が出ない限り、口を出さないことです♪
・わたしの秘訣は、パートナー以外に関心を寄せることです。読書や映画、ヨガなど、パートナー以外に自分の関心を向けることで、パートナーに蓄積していたイライラがだいぶ落ち着きました。笑。
・一言で言えば「期待しすぎないこと」でしょうか。家事も配慮も、過度に求めると負担になります。夫婦といえど対等な人と人の関係。感謝しつつ、無理のないところで互いをケアしてると、カドが立たないと思います。(^^)
・立場主義やジェンダーロールから自由に、人間対人間、協力しあえるルームメイトとしての関係をつくり、かつ、共通の趣味をもつ親友としてつきあえる人とパートナーシップを結ぶこと。世の中の「夫婦ってふつうこういうふうにするよね」という固定観念から自由になった精神で暮らすこと😊
・配偶者をひとりの人間として尊重すること 役割分担をある程度決めて、自分でできることはやる やったからといって誇示しない 逆にやってくれたことには『ありがとう』と言う 喧嘩になったら、早めに謝ること、たとえ自分に非がなくとも、感情の齟齬は早めに修復 相手方からの反応があります お互いに感謝の念を持つことが良いのかなぁ
・最初の内に、お互いの主張をぶつけ合い、たくさんの喧嘩をすることでしょうか。その段階での(当然とも言える)ミスマッチで別れてしまえば、そのカップルはそこでおしまいですが、それでも一緒にいられれば、末永く続くと思います。私は後者でした。
・円満なんて幻想かな 赤の他人が何十年も一緒にいてうまくいくわけが無い。
・老後の話ができる仲になれたら良い夫婦になれるかも😁
これらのコメントをくれた人は、30代から60代くらいまでの男女です。
30代はわりと若々しくて、60代になると達観しているようにも思います(苦笑)。
このコメントの後半は、今回上で述べたこととずいぶんと関わってきます。「一番身近な他人」とか「口を出さないこと」とか「配偶者をひとりの人間として尊重すること」とかは、まさに「ひとりで生きられること」が前提となる秘訣だと思います。
また、恋愛をしているカップルはそれこそ「欲求」や「感情」や「気持ち」や「胸のときめき」でつながっていればそれでOK!(本当はOKじゃないけど…💦)かもしれませんが、夫婦となると、「意志」「覚悟」「理性」「習慣」「諦念(諦め)」「義務」「許し」「信念」といった知的な部分がどうしても必要となります。
すごく言い方は悪いですが、恋愛(特に性的な求愛)は、知性がなくても、理性がなくても、誰でもできるんです。でも、夫婦関係というのは、知性や理性や意志や信念がなければ、とたんに崩れて壊れてしまうんですね。
だから!!!
若い人たち(特に10代後半~20代前半!)には、たとえ分かってくれなくても、何度でも何度でも言うんです。
「彼氏や彼女がいるとかいないとか、恋愛しているとかしてないとか関係なく、まずは、自分自身を鍛えろ! 少しは賢くなる努力をしろ! 本くらいはちゃんと読め!(本を読まない人は他者の話を聴く理解力に欠けるから) (自立はともかく)自律しろ! Noと言える人間になれ! 彼氏・彼女がいなくてもひとりで生きていける人間になる努力をしろ! まずは誰かに好かれることを期待しないで、尊敬できる人や憧れの人に近づく努力をしろ! 自分の中身をもっともっと分厚くしろ! もっともっとまともで深みのある人間になる努力をし続けろ! そのためにも、暇つぶし、時間つぶし、浪費、消費、快楽、寂しさ埋めでしかない(自分を成長させない)恋愛とは決別セヨ!!」
ってね(このまんま、言うわけじゃないですよ…(;^ω^))
まぁ、でも、それでたくさんの若者たちに嫌われてきたんですけどね…💦
嫌われてもいいんです。好かれようとも思っていませんし…(これも愛💓)。
言うことを聴いてもらえなくてもいいんです。言っても聴きやしませんし…。それでも、大人たちはこういうことをとりわけ20歳前後の若者には伝え続けるべきなんじゃないか、って思うんです。僕ら大人の責任として…。
アリストテレスは「愛というものは、愛されることによりも、むしろ愛することに存すると考えられる」と語っていたけど、「愛すること」って、誰にでもできることではないんです。
愛することをするためには、いろんなトレーニングや経験や知識がいっぱいいっぱい必要なんです!
野球選手が試合本番のために練習に励むように、バンドマンがライブのために必死に練習するように、料理人が美味しいお料理をお客さんに提供するよう研鑽に励むように、愛する人も「愛する」ために日々の練習や訓練や研鑽が欠かせないのです!(ここはエーリッヒ・フロムのパクリです…💦)
そういう練習や研鑽に努めた人こそ、夫婦という終わりなき関係をしっかり生きることができるんです。
そして、それこそが、子ども家庭の(ものすごく遠回りな)夫婦への支援につながるんだと僕は思っています。
…
次回は、「子どもが生まれた後の夫婦関係」に目を向けてみましょう。
一対一の関係だった夫婦に、子どもができることで、その関係性が変わります。
子どものいる家庭を生きる夫婦とは?
子どもを育てる夫婦に欠かせないこととは?
子どもとの関係と夫婦関係はどうあるべきか?!
夫婦に焦点を合わせて、子どものいる家庭について考えてみることにしましょう。
…
こんな本もあるんですね~。
これも来週のテーマになる…かな?!
これもちょっと読んでみたいかも?!