Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

The Last Night of My Thirties -30代最後の夜-

30代最後の夜を、一人静かに、煙草をふかして、酒を飲んで過ごしています。

「あー、明日の夜は、もう40歳なんだなぁ、、、」、としみじみ感じながら。

30代のこの10年、思えば、いろいろあったよなぁ、、、って。


僕の10代は、14歳の時の「不登校」で、一気に「人生」が変わったなぁ、と。

不登校にならなかったら、全く違った「人生」を送っていたんだろうなぁ…。

で、20代は、今思えば、「人生の再設計」に必死だったかなぁ、と思います。

薄暗い10代と打って変わって、ある意味で、華やかな20代でした。

が、ずっと「自分はどうやって生きていけばいいんだ?!」、と考えていた気がします。

表面的には、「栄光」の日々と、「挫折」の日々でもありました。

不登校経験を超える「挫折」をしました。

詳しいことはここでは書きません。胸の中にしまっておきます。

そして、30代へ。


30代のこの10年間は、このブログで克明にその内実が示されています。

29歳の終わり頃に「Dr.keiの研究室」を269gブログで始めました。

269g「Dr.keiの研究室」のサイトはこちら

30歳になる直前くらいに、Jouir Clubが解体になったんだっけ?!

Jouir Club(任意のボランティアサークル)は20代後半の僕の青春だったなぁ…。

そのJouir Clubの仲間だったコバケンに教えてもらったのが「ブログ」でした。

あれから、10年。

僕は、ずっと、ほぼ毎日、ブログを書き続けました。

今年の1月に、ブログ10周年を迎えました

だから、この10年は、「ブロガーの日々」でもありました。

ブログのおかげで、色んな経験をさせてもらいました。いや、ホント。

誰のためでもない、自分のために続けてきたブログですが、たくさんの人に読んでもらえました。

もうすぐ2000万PVに達します。トータル訪問者数も400万IPを超えています。

こんな読まれるようになるとは、まず、思ってなかったなぁ…。


この30代の10年を振り返ると、、、

一言で、「平凡で幸せな10年」、という感じでした。

10代、20代と、本当に波乱万丈だったので、それと比べると、ホント平凡で、、、苦笑

同じ場所で、同じような日々を繰り返すことができました。

大きな挫折もなく、静かに、何もない幸せな日々が過ぎていきました。

普通の人がするような、普通の暮らし。

ただ働いて、食べて、寝て、って。

けど、

表面的には、ずいぶんと「成果」も出しました。

外面的には、「華やか」だった気もします。

20代の頃は、「いつか、一冊でも本を出せたら…」、と思っていました。

大真面目な話、30代に一冊でも、自分の本が出せたら万歳だろう、と思っていました。

でも、結果的には、5冊の本を世に出すことができました

しかも、まさかまさかの単著2冊、という。

売れた本は一冊もありませんが、このうちの4冊は誇りに思っています。

大ヒットこそしませんでしたが、今も売れ続けている本を出せました。

新聞、テレビ、雑誌、学会誌、ラジオ、シンポジウム、講演会…

20代に描いていた「夢」は、(地味に)実現していきました。

(さらに、あのTUSK(板谷祐)さんと一緒にライブもさせて頂きましたね…苦笑)

夢って、見続けていれば、叶うこともあるんだ、と体感しました。

と、同時に、、、

自分の「限界」も見えた10年でした。

いや、30代を終える今、自分の限界も見極められた、というか。

20代の頃は、具体性のないまま、「ビッグになる!」って思ってました(苦笑)。

けど、今は、「もう、どうでもいいや」って思っています。思えています。

そういう「くだらないこと」に囚われるのはやめた、と。

今、自分ができること、し得ることをしっかりやっていこう、と。

つまりは、自分の道を歩み続けていくだけ、だと。

そういう意味では、30代は、己の道を見出し、その道をただひたすらに歩いただけだったかもしれません。

色々と嫌なことや悔しいこともありましたが、あまり応えませんでした。

10代、20代と、そういうことばかりだったので、ふてぶてしくなったのかもしれません。

「精神的に強くなったなぁ」って思います。


と、同時に、自分の人生がゆっくりと下っていくのを感じています。

きっと、30代が、自分の人生の「山の頂上」だったんだろうな、と。

もしかしたら、40代の10年を振り返られないかもしれないとも思っています。

基本的に無謀な生活を続けていますし、いつ、自分の身体がおかしくなってもおかしくない…。

それに、密かに、「もう、自分の人生なんて、終わってしまえばいい」って思う自分がいます。

「生への執着」が少しずつ消えていくのを感じます。

実際に、「死」と直面したら、どうなるかは分かりません。

でも、幸か不幸か、自分でももう充分だろうっていうくらいに色濃い人生を歩ませてもらいました。

だから、もう、満足しちゃってるんです。

満足っていうか、なんだろう、、、

「もう、いいよ。俺、頑張ったよ」っていう感じ。

中学も半分以上行かず、高校にも行けず、料理人としても、バンドマンとしても成功できなかった自分が、今、世間の中で、平凡に、普通に、生きていられる。それだけで、「頑張ったじゃん」って。

一歩間違ったら、今頃、ホント、どうしようもない人生を歩いていたかもしれない。

「先生」、「学者」、「研究者」以外に、やれる仕事なんて、マジでないもん…。

何をやっても、「本当に使えない人間」だから。それは、自分が一番分かってる。

完全に、「社会不適応人間」、だから。

だから、そんな人間が、こうやって平凡に社会の中で生きていられるっていうだけで幸せなんです。

寝て、起きて、働いて、帰宅して、の無限の繰り返し、それだけで幸せなんです。

(どんなに忙しくても…)


今、40代の自分に期待することって、無いんです。

まぁ、千葉のラーメンの本が出したいとか、バンドをやりたいとか、もっと高いステージに行きたいとか、そういう「野望」はなくはないですが、まぁ、実現しなくてもいいか、っていう程度でしかなくて。。。

きっと、表面的には、まだまだ忙しい日々が続くと思います。(もう12月の予定とかが入ってますから…)

身体的には、どんどん辛くなってきています(仕事が多すぎる…)。

だけど、精神的に、どこまでも穏やかなんです。

「どうなっても、もういいや」って。

それが、僕の中での「不惑」の意味なんだと思います。

そんなたいしたことはなくて、「なるがままに身を任せよう」っていうそれだけのこと。

「自ら生きよう」ではなく、「自ずと生きよう」という感じ(詳しくは『学びの実践学』のp.205~を参照)

さ。

これから、40代の10年を一歩一歩進んで行こう。

一日一日、一瞬一瞬を大切にして。

そして、身近にいる人をどこまでも大切にして。

愛はどこか遠くにあるものではなく、そこにあるもの。

僕の中では、「終わりの始まり」。

「いい人生だった」、と思えるように、ただ、それだけのためにしっかりと生きていこう、と。

サヨナラ。

30代の僕…。

コメント一覧

kei
憂葵さん

コメントありがとうございました。お返事、かなり遅くなってますが、、、汗 「死」を自覚して「生きる」というのは、ハイデッガー的には、本来的な生き方として、いいことだと思います。40代って、何なんだろう、と考えて生きたいです。

40代のおっさんさん

コメントありがとうございます。そして、お返事遅れてすみませんでした。「「いつが一番幸せだったか?」と問われると間違いなく「今!」と断言出来ます」、という素敵な言葉に、ちょっと感動しました。いつでも、「今」が最善であってほしいですからね。「猛毒親」との長い苦しみも、40代になってようやく消えていく、ということですかね?! 考えさせられました。

ほーださん

いつもお世話になっております(苦笑)。いえいえ、僕も欲望だらけですよ。変わらず、煙草と酒が僕の最大の友達なので、、、(汗) でも、少しでも禁欲的に生きたい、と思うこのごろです。今後ともどうぞよろしくお願いいたします!
ほーだ
いやいや、これから。
http://ameblo.jp/higashinojiri/
フェイスブックには、あまりにお誕生日メッセージが多かったので遠慮しちゃいました。こちらに一言。
まぁ、これだけの仕事をこなしながら、なんて謙虚な方なんでしょ。こちらは50代なかばになって、まだまだ欲にまみれ道に迷っております。
ただ、「流れに身を任せて」というのはわかる気がします。孔子ではないですが、40にして天命を知ってしまったのでしょうね。
それと意識せずとも走り続けられることこそ、人間としての幸せだと思います。若い時の成果を食いつぶす人生ではないことを誇って、まだまだご活躍されますよう、お願いします。
また、そのために自分をいたわることを忘れずに。
心より、区切りのお誕生日をお祝い申し上げます。
40代のおっさん
お誕生日、おめでとうございます
こんにちは、初めて書き込みさせて戴きます
40代への漠然とした不安、よく判ります(笑)
私の場合、40代だけではなく、30代になったときも20代になったときも同じような不安感はありました。これからどうなっていくのだろう・・・と

しかし、不惑の境地かは判りませんが、「いつが一番幸せだったか?」と問われると間違いなく「今!」と断言出来ます。幸せが常に上書きされているって感じですかね。(まぁ、父親が今で言う猛毒親で、その障害が無くなったってのが一番大きいのかも知れませんが・・・)

結論
死ぬ準備も大事ですけど、今を生きる事に精一杯すぎてそこまで諦観出来ません!Keiさんもそうでしょうが、負うべき責任が多すぎますしね
憂葵
私の30代は
お誕生日おめでとうございます。

まず、私は不登校になれなかった人間です。そうやって心の力をすり減らして、
30代は入院してバイトから契約社員やってまた入院して、その間にしっかりとリスカアムカしていて、Tatooも入れて、
何か悟って、今に至ります。父の死も急に訪れて、葬儀社と交渉して、一通りやることを終わらせて、さらに悟りを深くしました。
やりたいことやるために生きる、それがベースになりました。
私は長生きしたくないため、60で死ぬ、と潜在意識に言い聞かせてますが、65でもいいか、と最近は考えてます。犬と暮らすのが楽しくて。そして、完全オリジナルの同人小説?は書きたいと思うようになりました。40代は体力が一気に落ちます。30代を静かに過ごしたので、その分を取り返すべく動いておりますが、寿命のろうそくをすり減らしているのが何となくわかるのです。でも、後悔したくないので、それでいいんです。
そして、エンディングノートや棺に入れるものを整理し始めないといけないと感じてます。
案外と天国に近づいているのだと思うようになりました。
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