サヨナラ、46歳の僕。
遂に、46歳も終わり、47歳になってしまいます。
気持ち的にはまだ若いつもりですが、「47歳」というのは重いなぁ…💦
45歳とか46歳よりも、ぐっと50代に近づいてきているような…
いずれにしても、46歳とはお別れしなければなりません。
>昨年の「サヨナラ、45歳の僕」の日記はこちら!
>一昨年の「サヨナラ、44歳の僕」の日記はこちら!
>三年前の「サヨナラ、43歳の僕」の日記はこちら!
毎年、こうやって去る1年を振り返る日記があるっていうのはいいな💛
人生とは終わり(死)に向かう片道切符のようなもの。
年齢もまた、一度も戻ることなく、一方的に高くなっていくんですよね。
…
さて、、、
46歳の1年は、もうまるごと「コロナの一年」でしたね。
もう疲れ果てました。コロナそのものというよりは、コロナに右往左往する社会の中で生きることに…。パンデミックとインフォデミックに振り回されるこの社会は想像以上に脆弱でしたね。
でも、もう「コロナ」については何も語りたくないので、終わりにします。
ブロガーとしては、まー、なんとも冴えない一年だったかな?! アクセス数とかもなんか「現状維持」って感じで…。伸びることも減ることもなく、日々安定~、、みたいな?!
でも、それって、実はめっちゃ「理想」でして。末永く愛されるラーメン店みたいに、末永く愛されるブロガーになれているのかな?!って。創業18年目のラーメン店みたいな「安定感」のあるブログになっている気がしています。
ただ、コロナ禍とあって、例年よりはやっぱり行動範囲が狭いのが難点ですかね。でも、僕自身、どんどん「エネルギー」「エナジー」が低下しているのを感じます。先日、ある人に「今、一番欲しい物は何?」と尋ねられて、「休日と休養」と即答している自分がいました(苦笑)。今も一番欲しいのは、休日と休養です。
30代の頃とは明らかに違うし、また40代前半とも違う感じがします。「ほっておいてくれ」「静かにさせてくれ」「ぼーっとしていたい」という欲望がどんどん増えていってます。Lass mich allein...
あと、この数年で、頭(髪)が薄くなってるなぁというのを実感します(苦笑)。髪の毛が徐々に減ってきているのが分かるお年頃。家族からは「薄くなってきてるね~」と日々言われています。これもきっと、(今後どこに行っても思われるだろう)頭の薄さに僕が耐えられるよう、愛をもって言ってくれているのだ、と勝手に解釈しています。頭の薄さはもう受け入れるしかない…😢
人生というのは、やっぱり「春夏秋冬」なんだなって思います。夏が過ぎ、今の僕は秋のど真ん中。秋になると花が散っていくように、中年男性の秋には、髪が散っていくんですね…。
では、毎年書いているように、トピックスごとに書き綴っていきたいと思います。
人生に一度の46歳の1年、僕はどう過ごしたんでしょう?!
1年に1度の反省文です(苦笑)
ACTIVITY
昨年同様、コロナの影響で実際の活動はすごく制限されました。仕事でもプライベートでも、国内外を問わず、ほとんど遠出ができませんでした。海外なんて、2020年3月以降全く行けてません😢 それでも、学会で大阪~京都に行ったり、スキーをしに福島や新潟に行ったりはできました。ACTIVITYという意味では、30年ぶりくらいにスキーをやったのは、僕的にかなりの大変化でした。あと、いとこの結婚が相次ぎ、結婚式にはいっぱい行きました(苦笑)。
テレビの取材もありましたが、このご時世ですし、自宅でオンラインでの撮影となり、あまり面白くなかったです(苦笑)。ただ、今はまだ語れませんが、長年の僕の(一つの小さな)夢だったある仕事が舞い込んできて、もうすぐ公開されることになります。その仕事はホント、胸が熱くなりましたね。その他、ぽつぽつと取材は受けましたが、あまり大きな記事になるものはなかったかな…、と。
BODY
46歳の1年で、膝の痛みが抜けなくなりました。それと、タバコの数が増えてて困ってます。ストレス、やっぱり感じているのかな? どうにかしてタバコの本数を抑えたいんですが、抑えられないのが辛いですね。それ以外だと、わりと健康的な生活が過ごせていたかな。入院とかもすることなく…。尿管結石は一度だけ。スキー場のトイレで石が出てきて、驚きました。老眼はますます酷くなっていて、ホントに大変な日々になっています。
あと上にも書いたけど、BODYという意味では、髪の毛がどんどん少なくなっているのを自覚するようになりましたね。昨年まではそんなに気にしてなかったんだけど、いよいよ僕も46歳になって、頭の薄さが際立って目立つようになってきました。まぁ、でも、こればかりはどうしようもないので、頑張って諦めます(苦笑)。大病がなかっただけ、「よし」としないと、バチが当たりそうです。
SOUL
身体とは裏腹に、僕の精神性はずいぶんと穏やかになりました。穏やかになったというか、穏やかに(無理に)させられたというか。色々と「諦める心」が増えてきた気がします。これもまた「人生の秋」を生きる中年の現実かなとも思います。できないことがどんどん増えてきているし、逆に、やりたいこともどんどん減ってきています。「好奇心」が少しずつ自分の中から消えていくのを感じます。
また、コロナに続いて、ミャンマーの内戦やウクライナ戦争など、世界の更なる不安定化も影響してか、「この先、世界はどうなるのだろう?」という思考がすごく動きましたね。ずっと「グローバル化」を目指してきた世界でしたが、今や「新東西冷戦」の時代に入ろうとしています。ロシアと欧米の関係は、もう修復できないところまできているし、中露VS欧米の戦いも、中露の勢いがどんどん強まっていて、「民主主義国家」の危機も深刻化しています。ただ、そのおかげで、自分自身が精神的に守らなければいけないのは、「自由」や「平和」や「民主主義」なんだって、はっきり自覚できました。また、韓国や台湾など、同じ(欧米的な)価値観をもつ国との連帯もホント大事になっています。日本も一歩間違えば、中露のような権威主義国家にすぐになってしまいます。権威主義を否定し、自由で平等な民主主義を重んじる。今ほど、これが求められている時代は戦後なかったのではないか、と思います。
STUDY
46歳の1年は、ひたすら勉強の日々でした。アウトプットよりもインプットの1年になりました。表立った論文(遊び研究)は1本しかないけど、逆に人の論文や本をいっぱい読みました。40代後半は一度動きを止めて、真剣に自分自身の研究テーマに向き合いたいって思うようになり、もっともっと学問を究めなきゃ!って思いながら、この1年を過ごしてきたかな?(おかげで、自宅の部屋も研究室も本や論文でい~っぱいです…(-_-;))。
あと、英語で進めているMANABI研究で、一つ大きな学会誌に(仲間と共著で)論文を投稿しました。今回は、MANABIの中核に位置する『MINNA(みんな)』について哲学的に考察しました。日本は、海外に対しては「自由民主主義」ですけれど、日本国内では、「無我的みんな主義(Selfless Minnism(everyonism))の国だと思います。「自己」をもたない国民たちの「みんな主義」の国。みんな主義は、全体主義じゃないんです。例えばマスク。この数か月、「マスクは外してください」と国が呼び掛けているのに、誰も言うことを聞かないじゃないですか? この時点で「全体主義」じゃないんです。国民を押さえつけているのは、国じゃない。「みんな」なんです。世界ではもうとっくにマスクを外す生活を過ごしているのに、日本人はほぼ全ての人がマスクを今も着用しています。その理由も、感染予防ではなく、「みんなが付けているから」なんです。日本は、自由民主主義という服を着た無我的みんな主義国家だったんですね。
赤ちゃんポスト研究も少しずつ前に進んでいます。ようやく「教育学の基礎研究としての赤ちゃんポスト研究」に迎えるようになってきたというか…。歴史研究や思想史研究としての出発点に立てたかなって感じです。論文ではまだ発表してないけれど、学会ではそのことを発表しました。赤ちゃんポストそのものというより、それを議論することで、どう教育学の理論に(批判的に)影響を与えることができるか。そこが僕の一番の大事なところだったんです。46歳の1年はまさにその問題と向き合う1年でした。
EDUCATION
この1年で、僕自身の「教師像」は大きく変わりました。「分かる人にだけ分かればいい」という発想が消えました(消されました)。これまでずっと「あえて」怖くて厳しい先生を「演じて」きましたが、それが全く通用しない時代に入ったからです。学生たちにあれこれ言うのもやめました。期待するのもやめました。「たくましく育てよう」という気持ちもなくなりました。つまりは、EDUCATIONを放棄しました。今の時代、もう誰も「成長するための試練」を「よし」とはしなくなりました。試練を与えようとすると、「ハラスメント」になります。モラハラ、パワハラ、セクハラetc、あらゆるハラスメント(という名の攻撃)に備えなければいけません。それを回避する術はただ一つ。学生を「お客様」として捉え、そのお客様のお怒りを生じさせない、ということに尽きます。故に、「先生」は、先生であることをやめて、店員さんとしてひたすらお客様にサービスすることが最優先なんです。
もう「教師」を守ってくれるものはありません。何かあれば、すぐに「懲戒免職」です。学生たちの声(=消費者の声)は、何よりも重視されます。といっても、「いい声」が重視されるのではなく、「悪い声」だけが重視されます。なので、教師は、その悪い声が出ないよう、「勉強しない学生(消費者)」のケアを大事にしなければならないのです。「教育はしなくていい。ケアをせよ!」、これが今の(滅びゆく)日本の教育の現実だと思います。もう教師には、何の武器も残っていません。まるごしで戦場にでかけるようなものです。自分が殺されないように、常にまわりをみて、息を殺して、じっと動かずに耐えること(そして、ブルシットな校務に真面目に励むこと)。それが、今の日本のEDUCATIONの現実なんですね。この1年で、しみじみ思いました。「教育は死んだ。僕らが教育を殺したんだ」って。
でも、その中で、どう僕自身の教育を実現していくか。今の時代に合うかたちでどう自分の理想とする教育を行っていくか。それをじっと考える1年でもありました。教育は死んでも、僕は死なない。本物の教育への追及だけは忘れないようにしたいですね。
RAMEN
46歳の1年は、ラーメン的にはどうだったのかな? 地味にず~っと食べ続けてきた1年だったかな。海外に行ってないので、海外のラーメンレポができないのがやっぱり辛いですね。このブログの売りは「グロナカル(グローバル×ナショナル×ローカル)」なラーメンの食べ歩きレポだったので、グローバルなラーメンのレポができないと、魅力的なブログにならないんです。それに、ますます多忙化する仕事とは別に、外出自粛の空気もまだあって、狭い生活世界内のラーメンレポばかりとなっています。この1年、ホントローカルなラーメンばかりだったなって。
惡麺友らんちばさんともまたラーメンを食べに行きたいと願うところなんですが、ホントにもう日々忙殺されていて、なかなかご一緒できない日々が続いています(申し訳ないです…😢)。職場と自宅の通勤途中に(あと出張の途中に)ラーメンを食べるのがやっとで、休日に重い腰が上らなくなっているんです。日々、らんちばさんのブログを見て、「いいなぁ」「凄いなぁ」「何だこのお店は?!」って指をくわえています(そんな1年でした)。
あと、この1年で話題になったのは、「ラーメン評論家不要論」でしたね。梅澤さんというカリスマ的な女性店主さんと数々のラーメン評論家の方が激しく戦ったのが、2021年でした。ラーメン好きの多くが「中年男性」ということもあり、若くてお美しいとされる梅澤さんへの擁護の声が高々と上がりました。他方で、ラーメン評論家へのまなざしはますます厳しいものになり、ラーメン評論を語ることの難しさに直面する1年でもありました。僕はこの時、【それでも、ラーメン評論家は必要だ!】というコラムを書きました。結構バズりましたが、そのほとんどが「不要だ!」の声でした。この騒動の結果、「教師」が死んだように「評論家」も(死人のように?)何も語らなくなりました。その結果、ラーメン業界はどうなったでしょうか? 「評論家滅亡後のラーメン界」がまさに今です。評論家なき時代に輝きを増しているのが、(それこそ「パワハラ系の代名詞」とも言われる)家系ラーメンだっていうんですから、なんとも面白いものです…。
ROCK
46歳の僕は、なんとかNEIN!の再起動を目指して頑張りました。なんとかメンバーを集めて、「定期的なスタジオ練習」まではいったのですが、…その後、色々あって、また活動できなくなってしまいました(😢)。この年になっても感じる「バンドを続ける難しさ」。その他の活動と違って、バンドって、メンバーがいなければホントにどうにもならないんです。一人でできないのがバンド。だから、すごくすごく気を遣うのですが、それでも崩れ落ちていく…。ホントにバンドって難しいです。でも、46歳の晩年、少しだけ希望の光が見えてきました🎵
あと、長年使ってきたMTRが昨年の夏にぶっ壊れました(😢)。どうやらHDが壊れてしまったみたいで、どうしていいか分からないまま、時だけが過ぎていきました。今の時代、みんなPCで音楽を作るので、MTRはもう全然販売されていないんです(ないことはないですが…)。作曲はいっぱいしているんですが、それをかたちにする機材がない、という状態でして。もうMTRを捨てて、PCにシフトするか。それとも、MTRにこだわり続けるか。その選択が突き付けられています。昨年秋以降、ず~っとそのことを考えて生きています。
でも、46歳の僕も、昔と変わらず「武道館に立つ!」を目標に生きることができました。その「夢への情熱」はまだ消えていません。ドラムの練習も続けていて、それこそ基礎の基礎をずっとやっています。この1年は、とにかくスティックの動かし方の研究に励みました。どうしたら高速で綺麗にスネアドラムを叩き続けられるか。そのきっかけとなったのが、BiSHの『星が瞬く夜に』の出だしの部分でした。
たしかBPM=210で、この高速な店舗で16連打する、という💦 でも、これをどうしても叩きたいので、この半年、ずっと「超高速 シングルストローク? 3連アクセント?」の練習をしてきました。とにかくとにかく難しいっす。書けば、「タタタタタタ タタタタタタ タタタタ」ってことなんですが、これが死ぬほどに難しい…。でも、BPM=200の裏打ちビートはわりと安定して叩けるようになってきたので、スラバンの曲もあれこれ試してます(スラバンも鬼難しい…)。46歳の僕は、ホントBiSHにのめり込んだ1年(半年)でしたね(;^ω^)。
2022年6月。
遂に「アラフィフ」が目の前に見えてきました。50代…。でも、「アラフォー」の時ほどの衝撃はないかな。「老いの受容」は確実にポジティブに進んでいますね。まだ気持ち的には「まだ、若いんだぞ!」って思う気持ちも少しはありますが、でも、「もう若い人たちとは全く違う生き方になっているよな」って思う気持ちの方が強いです。(若い人の話にホントについていけない…)
一年前、「この46歳の1年で、なんとか年相応の枯れた人間になりたいなぁって思うんです。すごくポジティブな意味で。無理をせず、頑張らず、これまで蓄えてきたことを上手に出しながら、ゆっくりと生きる、みたいな」と書きました。この点について言えば、実現できたかなって思います。頑張らないことを頑張った(苦笑)。いや、「頑張らずに、頑張らないことをやれた」、と。
とはいえ、今年度中に久々に単著を書き上げます。そこは、徹底的に頑張ります。学会論文も完成させます。研究活動はもっともっと深めていきたいです。ラーメンフリーク活動はこのまま変わらずに。音楽活動はまた活発化させていきたいです。いつまでやれるかは分かりませんが、やれるうちはやれることをやりたいな、って思います。「終わり」はもうそう遠くはないと思うので、自分の人生が終わるその時まで、ロックンロール!と叫びながら、転がり続けたいですね👆
Good bye my 46 years old, and Hello my 47 years old!!!
…
この1年で1番聴いた曲は、うん、間違いなく…
この曲の歌詞を読んで、歌を聴いて、感動した46歳の僕でした😊