Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

草稿『社会福祉学の解釈学』

自分の研究のスケッチです~~~ つれづれなるままに~♪

●社会福祉学の解釈学

社会福祉学は、人間に関わる「学」であり、一つの人文科学、社会科学の一領域である、という考えに異を唱える者はいないであろう。また、社会福祉学が、その語源からして、人の幸せや生活の安定・向上をめざしている、ということにも異論はないであろう。そこから、社会福祉学は、人の生「について」の学ではなく、人の生「に関与する」学である、ということも理解されるであろう。事実、社会福祉学領域では、これまで「関与してきた」人間が教鞭をとることも多く、有資格者がその条件であることも少なくない。ゆえに、社会福祉学は、実際の人間の生に強く規定された学問の一領域である、と考えられる。心理学のように、個々人の具体的な生を度外視して、研究対象そのもの(たとえば、人間一般の知覚や行動)に与することは非常に困難である。研究機関も、そうした前提の上に立っており、一つの実践学として、自らを特徴付けている。

が、その一方で、社会福祉学は、「学」として、自らの根拠を自らの内に見出そうという動きもある。しかし、現状としては、社会福祉学は、政治学、経済学、社会学、心理学といった科学の見地から外在的に研究するだけで、社会福祉学という学の見地から、つまり自身の見地から自身そのものを語ることができていない。また、社会福祉学独自の学問的枠組は、他の実践諸科学と同様、ある有力な学説(一つの社会的・思想的な価値体系)の消費、強化、裏づけ、批判によって構成されている(*これは臨床心理学においても確認することができる。臨床心理士の学問的基盤がユング-河合の理論的・価値的体系に基づいている)。しかし、これらの学説の基礎づけ(保守しようとする学説の事実性の反省的省察)はおろそかにされており、大学機関では暗黙の前提として、こうした学説が無反省的に若い学生たちに与えられてしまっている。また、そうした学説をもっていない実践者的教員は、自分自身の経験や、自分自身の実践から得た価値論的見解を学生たちに「しゃべっている」だけで、社会福祉学の学的基礎付けには全く触れないまま、日々の研究/教育を行っている。

以上のことから分かるように、社会福祉学は、「学」と名乗りながらも、学としての根拠を自らの内にもってはおらず、また、そうした根拠づけを行おうとはしていないのである。①なんらかの権威のある基礎学問の知識を使って、さも分かったかのようなふりをして「社会福祉学」の各テーマについて語っていくか、②社会福祉学の領域の権威ある人物の学説を擁護するか、あるいは批判するか(又は、そうした学説を社会福祉学の体系として、演繹的/帰納的にまとめていくか)、③旧実践者という立場から、自らの経験を語ったり、自らの価値を正当化していくか、そのいずれかでしかない。結局、「社会福祉学の学としての基礎付け」は、見過ごされるか、忘れ去られるか、無関心のままになってしまう。

このままいけば、社会福祉学は、単なる応用学か、単なる教義(説教)か、単なる体験談になってしまう(もうすでにそうだという意見もあるが・・・)。

では、いったい社会福祉学とは何なのか。学としての基礎付けはどのように展開され得るのか。・・・

*と、ここまで思いついたので、書き記してみました♪ こっから先が難しいんだよな~~ 

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