去る4月14日~15日に、熊本市民会館で、赤ちゃんポストの国際シンポジウムが行われました。
ドイツ、スイス、ポーランド、ラトビア、南アフリカ共和国、インド、ロシア、中国、韓国、アメリカ、日本。
11カ国の赤ちゃんポスト設置者ないしは研究者が集結しました。
2000年にハンブルクで生まれたBabyklappe。
それが、どんどん世界に広がっていき、2015年にはアメリカでも開設されるに至りました。
でも、そのシステムや中身は、各国様々。
その報告を聴くことができました。
世界初!と言いたいところですが、既にスロバキアでヨーロッパの国際会議が行われているので、
厳密には、世界で二回目となる赤ちゃんポスト国際会議でした。
詳しくはこちらのサイトを!
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僕は、参加者というよりは、関係者側で、ドイツとスイスの赤ちゃんポスト設置者を呼び、通訳や座長を務めました。
今回のシンポジウムは、僕的には、超ハードでした。
(1)
まず、ドイツとスイスから人を日本に呼ぶ、というのが大変でした。いかんせん、人生初のことなので…。
特に、世界で初めて赤ちゃんポストを創ったシュテルニパルクの招待が大変でした。
昨年8月に、シンポジウム参加をお願いして、OKをもらったところまではよかった。
でも、その後、「まだ分からない」という返事が続き、しかも、誰が来るのかも定まらず、来日が決まったのがシンポジウムの2週間前。超ギリギリ。1年以上前から準備していた運営委員会の人も「まだかまだか」、とご立腹(当然ですが…)。
で、参加は決まったものの、講演原稿が届かない。原稿がなければ、通訳の人に通訳を頼めない。原稿を一冊の抄録にするため、期限は4月3日。原稿が届いたのが、6日。この時点で、プロの通訳者にはもう頼めない。しかも、その原稿が異常に長くて、日本語換算で約1万8000字。これを、熊本に行く日の前の日までに全部読んで、訳さなければいけない。
しかも、これを書いたのは、紛れもない赤ちゃんポスト創設者のユルゲン・モイズィッヒ先生。学者だけに、文章がとても難しい。いきなりゲーテのファウストの話から始まるし、その内容はかなりアカデミック。単なるレポ報告書ではなくて、児童遺棄や児童殺害に象徴される社会的な問題の根源を問うものになっています。これを、数日で、どうやって口語訳にして、講演風にするか。
数日間、それこそ昼夜問わず、ほぼ徹夜状態で、全訳しました。本当に死ぬかと思うほどに辛かった…
(2)
ドイツとスイスのお客様は全員、初来日。そのお世話?も大変でした。
11日にシュテルニパルクのお二人が来日し、12日にスイスのSHMKのミュグラー夫妻が来日し、13日にアガペーの家のガルベさんが来日。見事に全部違う日…(苦笑)。ちゃんと来られるのかも心配でした。
全員、僕にとって大事な人たちなので、失礼なことがあってはならない。そのプレッシャーはとてつもなく大きいものでした。
僕は12日の夕方に熊本に着き、シュテルニパルクの副代表のカウファーさんと総括主任のヒンツさんと蓮田先生らと会食。途中からラトビアの講演者たちが合流。初日からドイツ語と英語が飛び交うシチュエーション。
13日は、朝から(僕が)テレビの取材。これは楽しかったんだけど、その後、シュテルニパルクのお二人の記者会見。同時通訳をしました。これも面白かったです。熱心な記者さんたちonlyだったので、2時間、真剣に深くお話ができました。夕方に、シンポジウム参加者全員が揃い、「こうのとりのゆりかご」見学。世界各国の人たちが日本の「赤ちゃんポスト」を見る、というすごい光景。この日の夜は、いわゆる「老舗料亭」で歓迎会。ドイツ・スイスチームの通訳として頑張りました。
外国の人の接待に忙殺され、シンポジウム前日にして、疲労が限界に達しつつありました。(熊本に来る前の日までもロクに寝てないわけで…)
(3)
シンポジウム初日は、朝からトラブル続きでした(;;)
最初の報告者のアメリカ人女性の講演はとってもよかったんです。「同時通訳」がとても素晴らしく、しっかり聴くことができました。赤ちゃんポストを設置した方は、その方自身が「望まない妊娠」(本当に望まれない妊娠)によって生まれた方で、とても説得力のある(そしてとてもアメリカ人らしい)スピーチでした。
続く中国の発表の時間に、僕とガルベさんとラングナーさんは舞台袖でスタンバイ。原稿は既に通訳の方にお渡ししているので、僕は「座長」として座っているだけでいい…はずでした。
が、事件が起こりました。
ガルベさんの講演が始まり、出だしは順調でした(この時、僕もステージに上がり、座長として座っていました)。僕が尊敬するガルベさんが日本で講演をしている、ただそれだけで、僕は幸せでした。通訳もドイツ語→英語→日本語と続き、順調でした。
ところが、10分くらいして、フロアの方から、突然、声が上がったんです。
「日本語(通訳)の音を消してください。外国の人に英語が聴こえません!」
この人は、英語の音が流れるイヤホン型の音声機械が用意されていることを分かっていませんでした。(外国の人は受付で音声機械をもらって、イヤホンで英語の音を聞くことができるようにしていました)
ここから、歯車が狂い始めました。なんと、ガルベさんの講演の日本語通訳の音声が、フロアから消え、日本人のオーディエンスに通訳の声が聴こえなくなる、というアクシデントが勃発したのです。
そこから、思わぬ事態が次々と勃発し、途中、ガルベさんの通訳が機能しなくなったのです…。その時に、僕が気転を利かせて、翻訳すればよかったんですが、通訳者も用意しているし、座長がでしゃばるのもダメだと思い、フリーズしてしまいました。いや、正直、どうしていいか全く分かりませんでした…。
結局、講演の一部が日本語に翻訳されることなく、中途半端に終わってしまいました(;;)。とはいえ、終盤戦は、なんとか立て直しができて、講演を終えることができました…。
フロアの人の一言で、ここまで崩れるとは…。その方が悪いわけではありませんが(外国人のことを思って、あえて言ったことなので)、その時は、その人を(少し)憎みました…。
(4)
翌日15日、シンポジウム二日目は、ドイツのシュテルニパルクとスイスのSHMKの講演が予定されていました。
既に不安はあったのですが、2週間前に来日決定したシュテルニパルクの講演について、抄録に記載されておらず、オーディエンスの人たちもシュテルニパルクの講演があること自体、知らされていない、という状態でした。
前もって、こっちでビラを用意して、受付で配布すべきでした(が、そんな余裕は僕にはありませんでした…)。
アナウンスが流れたのは、午前の部が完全に終わるシュテルニパルク講演の1時間前。この時点で、オーディエンスの数はかなり少なくなっていました。
誰が悪いというわけでは全くありませんが、僕の中では、「せっかく苦労して、ギリギリまで交渉して、シュテルニパルクのお二人を呼んだのに、誰も会場にいなかったら、どうしよう…」と、焦りと不安とあとこれまでの疲労で、絶望的な気持ちになりました。ストレス?もマックス状態でした。
…が、講演が始まるころには、そこそこ人が集まって来てくれて、とりあえずそこはクリアしました。
でも、ここからがまた大変でした。
18000字の原稿を45分で読み上げてもらい、それを同時に日本語に通訳していく、そしてまたその(僕の)日本語を英語通訳の人に英語に翻訳してもらう、という「超荒業」が待っていました。
分かりますかね? シュテルニパルクのお二人がドイツ語で(モイズィッヒさんの書いた)原稿を読み上げ、その読み上げの上に、僕が日本語の翻訳文をあてるんです。つまり、会場にはドイツ語と日本語が同時に流れるわけです。しかも、同じその瞬間に、外国人はイヤホンで英語の訳を聴くのです。プロの通訳者の<技>ですが、僕みたいな素人にそんなことができるわけもなく…
いや、途中まではわりとうまく言ったんです。舞台袖のスピーカーの「ドイツ語の音」を聴きながら、それを、原稿を見ながら、日本語に訳していく。でも、少しでも油断すると、ドイツ語と日本語が時間的にずれるんです。この<ずれ>がまた気持ち悪くて、3回ほど、ストップをかけたくらいでした。
ドイツ語で、「ストップ!!ちょっとどこを読んでいるか分からなくなった!」、とステージ上で叫ぶ僕。こんな滑稽な姿をステージ上で晒すことになるとは…(;;)
もう、泣きたい。
でも、泣くわけにはいかない。
しかも、文字数は日本語で18000字ほど。45分でとても読み切れる量じゃない。だから、超高速スピードで講演を進めていきました。前日もその練習をしていたので、かなりのスピードで読み進めていきました。
が、気付けば、あっという間に講演終了時間となってしまいました。時計を見ると、その13時ジャスト。
事前にスタッフの方から、「なんとしても13時には終わらせてください」と言われていたので、ここでまたストップをかけて、最後の一番いいところを「一部カット」して、13時5分くらいに終わりました。
もう、僕の額には溢れるほどの汗が流れ、心臓はバクバクして、体はオロオロしていたと思います。
そんなこんなで、1日目同様、2日目もうまくいきませんでした。とてもじゃないけど、「無事終了」とか「成功」とかって言えません。完全に「失敗」に終わりました…。
(この時、DIR EN GREYの初海外ライブの<失敗>の話を思い出しました)
続く、スイスのミュグラーさんの講演は、事前の準備もしっかりしていて、滞ることなく終わりました。これはよかった(;;)。
***
…という感じで、、、
この二週間ほど、僕はもう本気でヤバいんじゃないか!?っていうくらいに、ハードでした。
もう二度と同じことはしたくない、、、、ってちょっと思いました。(とはいえ、きっとやると思いますが…)
とにかく、事前の準備が全然ダメでした。
もっと早く色々と動くべきでした。
でも、4月。本業の方も「新学期」でドタバタ。3月は学生をドイツに連れていき、帰国後も卒業式や実習巡回等でドタバタ。
その前の2月はドイツに行く準備で死ぬほどドタバタ。
とてもゆっくり慎重にじっくりと準備なんてできる状態にありませんでした。
反省点だらけ。。。
…
でもでも!!!
この数日間、本当に楽しかったです。
世界各国の赤ちゃんポストの状況も、なんとなく分かりました。
何より、世界各国の素敵な実践者たちと出会えたことがとてつもなくよかったです。
韓国の赤ちゃんポストの創設者のイ・ジョンラク牧師とお話できて嬉しかった♡
イさん、僕、個人的に大好きかも!?
ドイツとスイスの僕の大事な大事な「友人たち」も、日本に来て喜んでくれました。
トラブル続きでしたが、このシンポジウムに関われて本当によかったなぁって思います。
このシンポジウムに関わったすべての人に感謝したいと思います。
Danke schön!!!!
【総評】
「赤ちゃんポスト」と「内密出産」は、まだまだこれからのテーマでもあります。
望まない妊娠、自宅出産、孤立分娩、緊急下の母子、嬰児殺し、児童殺害、そして児童虐待。
この国のすべての母子が安全に、安心して出産できる環境をつくり、
かつ、それでもそのネットから零れ落ちる人(妊娠を隠す女性等)を支えていく。
そして、出産後も、継続的に支援を続けて、母子の自立を助ける。
この国で「死んで発見される赤ちゃん」の数がゼロになるその日まで、戦いは続きます。
安倍首相は、「国民の生命と安全を守る!」と言い切ります。
そこには、混乱する東アジアの安全保障の問題が中心にあるでしょう。
でも、国民の生命と安全を守る、という意味では、僕らの取り組みもその枠内にあります。
様々な、そして複雑な、そして人に知られてはいけないような「妊娠」はいつの時代にもあります。
男と女がいる限り、「生殖」は必然的に問題となり、また、その全ての「妊娠」がhappyなわけではありません。
今、メディアで話題になっている財務事務次官のセクハラ問題であっても、その当事者である記者は自身の名前を明らかにできません。また、新潟県の米山知事のような<男性>も、ゴロゴロと存在しているのも現実です。同知事は「妊娠問題」にまではなっていませんが、もし彼が女性との間で子が出来た時、それをその女性は誰かに相談できるでしょうか?
日本では、まだまだ膨大な数の人工妊娠中絶が行われています。児童遺棄や殺害も日々起こっています。
「国民の生命と安全を守る」、というのは、日本に限らず、全世界で重視されていることです。
国家が壊れれば、あまりにも悲惨過ぎる状況下のシリアのようにならないとも限りません。
大きく見れば、「安全保障問題」ですが、小さくみれば、「赤ちゃんポストの問題」なんです。
道徳教育が教科化され、「生命の尊厳」もまたここで重視されています。
どんな人であれ、どんな立場の人であれ、どんな思想の持ち主であれ、すべての人間は等しくその尊厳が守られねばなりません。
妊婦となれば、お腹の中の胎児の尊厳も関わってきます。
小さな命を守れない国に、この国全体の命を守ることができるのでしょうか?
シンドラーの言葉で、「たった一つの命を救える者だけが、世界を救うのだ」というのがあります。
国がそれをできないなら、僕らがそれをやればいいのです。
正直、国家というでっかい組織が、この国のどこかの町の片隅で一人苦しむ人にまで手を差し伸べることは不可能だと思います。
とすれば、僕らが、つまりこの国で暮らすごく普通の人が、その国に生きる主体として、動くしかないんです。
ドイツでは、そんな風に立ち上がる人がいっぱい出てきて、93近くの赤ちゃんポストができ、内密出産が合法化されました。
その結果(と言っていいか分かりませんが)、ドイツでは、深刻な問題だった「少子化」を止めることができました。
赤ちゃんポストだけのおかげだとは思いません。
でも、ドイツ人たちは、真剣に、子育て問題、母子問題に取り組み、あらゆる手段を考え、それを実践していきました。
そういう努力が、全体的な雰囲気として、「赤ちゃんをつくろう」「赤ちゃんを産もう」という気持ちを生み出していくんだと思います。
日本には、まだそういう「雰囲気」や「空気」はありません。
相変わらず、「子育てって大変だよね」という空気が流れています。そして、事実、大変です。
「働き方改革」という言葉だけがひとり歩きしています。
本当に、少子化を食い止めようと思うならば、どこかに、誰かに限定するのではなく、全体的な雰囲気として、「子育てしたいなぁ」って思える状況を作るしかないんです。
数年後には、「団塊世代」が「後期高齢者」となり、世界でもダントツでトップクラスの高齢者国家になります。(さらに、平均寿命も世界トップクラス)。
それとは逆に、子どもの数は減り続け、僕ら団塊ジュニア世代は出産~子育てどころか、結婚さえ断念しなければならない状態に陥りました。僕ら団塊ジュニア世代は、当事者の僕から見ても、悲劇の世代だと思います。
その次の世代の男女もまた、そう変わらないでしょう。
人口が増えればそれでいいというわけではありません。が、今の社会システムを維持するためには、ある程度の人口が必要です。でも、その必要な人間が足りなくなりつつあるのです。
一人の赤ちゃんの命を守るということをしっかりやれてこそ、全体としての赤ちゃんの数も増えていくんです。
そこから目を背けてはいけないかな、と強く思います。
…
なんか、話がでっかくなっちゃったかな。
というわけで、なんだかよく分からないけど、僕目線のレポでした!!!
しばらく、僕は地下にもぐり、静かに次のプロジェクトを目指して、地味に頑張ります。
次は、英語の本の出版だ!!!
頑張るぞっと。