且君子之交淡若水
小人之交甘若醴
君子淡以親 小人甘以绝
彼无故以合者 則无故以離
…
君子の交わりは、淡きこと水の若く、
小人の交わりは甘きこと醴(れい)の若し。
君子は淡くして以て親しみ、
小人は甘くして以て絶つ。
彼(か)の故(ゆえ)無くして以て合する者は、
則ち故無くして以て離る。
山木篇 / 荘子
この言葉、改めて、いいなぁ…って思ったので、備忘録的に。
荘子のいわば「人間関係論」。
君子=立派な人、人格者、徳の高い人。
君子の交わり=関わりは、淡くて、水のようだ。
小人の交わり=関わりは、甘くて、醴=甘酒のようだ。
徳の低い人の関わりは、ベタベタしていて、甘くて、酔わすようなものだ、と。
でも、徳の高い君子は、淡い水のように、さっぱりしていて、すっきりしている。
君子の交わりは、水のように淡いがゆえに、親しみ深く、飽くことなくいつまでも続く。
それに対して、小人の交わりは、甘くて官能的だけど、それゆえに途絶える。
甘酒のように人を酔わすけれど、その酔いは醒め、その交わりも終わる。
小人は、その交わりを絶つのだ。そして、新たな醴を求めてさまようのだ。
なぜか。
意味も理由もなく交わる人・関わる人は、
これといった意味も理由もないので、離れやすく、途絶えやすいからだ。
…
と。
ロマンティックラブやhaveの愛って、まさにこの小人の交わりじゃないか!?
ロマンティックラブの根源には、「甘い醴」がある。なければならない。
甘い言葉、甘い誘惑、甘いスキンシップ、甘いキス、、、
甘みだらけなのが、ロマンティックラブ(Romantische Liebe)」だ。
そして、醴の如く、人を酔わせ、惑わせ、落ち着きを奪う。
でも、悲しいことに、そういう甘い時間はすぐに立ち消える。
酔いの時間はそう長くは続かない。
小人は気づく。「もう甘くない」「もうあなたでは酔えない」、と。
そして、離れ、去っていく。
…
その一方で、日常それほど存在感はないけれど、続く交わりというのもある。
なんとなく共に過ごし、お互いにあっさりしていて、深入りはしないけど、
どこまでも、いつまでも続く関係というのもある。
甘い言葉も感情もない。だから、酔うこともない。
酔いがないので、その酔いに醒めることもない。
淡き水の如く、安寧と落ち着きを感じるだけだ。
君子の交わりには、意味や理由がある。
必然性と言ってもよいかもしれない。
必然的な交わりであるがゆえに、簡単に離れ去ることはない。
というのも、交わることに既に意味や理由があるからである。
「会いたい」という言葉よりも「会ってしまう」という言葉が近いかもしれない。
「会いたい」と思う気持ちの背後には、「甘さ」や「酔い」が潜んでいる。
でも、「会ってしまう」には、そういう「甘さ」や「酔い」はない。
しかも、「会ってしまう」は、必然性があるので、「会わずにはいられない」となる。
「会わなくてもよい人」には、そういう必然性がない。