Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

荘子の言葉-君子の交わりは、淡きこと水の若く…

且君子之交淡若水
小人之交甘若醴
君子淡以親 小人甘以绝
彼无故以合者 則无故以離

君子の交わりは、淡きこと水の若く、

小人の交わりは甘きこと醴(れい)の若し。

君子は淡くして以て親しみ、

小人は甘くして以て絶つ。

彼(か)の故(ゆえ)無くして以て合する者は、

則ち故無くして以て離る。

山木篇 / 荘子


この言葉、改めて、いいなぁ…って思ったので、備忘録的に。

荘子のいわば「人間関係論」。

君子=立派な人、人格者、徳の高い人。

君子の交わり=関わりは、淡くて、水のようだ。

小人の交わり=関わりは、甘くて、醴=甘酒のようだ。

徳の低い人の関わりは、ベタベタしていて、甘くて、酔わすようなものだ、と。

でも、徳の高い君子は、淡い水のように、さっぱりしていて、すっきりしている。

君子の交わりは、水のように淡いがゆえに、親しみ深く、飽くことなくいつまでも続く。

それに対して、小人の交わりは、甘くて官能的だけど、それゆえに途絶える。

甘酒のように人を酔わすけれど、その酔いは醒め、その交わりも終わる。

小人は、その交わりを絶つのだ。そして、新たな醴を求めてさまようのだ。

なぜか。

意味も理由もなく交わる人・関わる人は、

これといった意味も理由もないので、離れやすく、途絶えやすいからだ。

と。

ロマンティックラブやhaveの愛って、まさにこの小人の交わりじゃないか!?

ロマンティックラブの根源には、「甘い醴」がある。なければならない。

甘い言葉、甘い誘惑、甘いスキンシップ、甘いキス、、、

甘みだらけなのが、ロマンティックラブ(Romantische Liebe)」だ。

そして、醴の如く、人を酔わせ、惑わせ、落ち着きを奪う。

でも、悲しいことに、そういう甘い時間はすぐに立ち消える。

酔いの時間はそう長くは続かない。

小人は気づく。「もう甘くない」「もうあなたでは酔えない」、と。

そして、離れ、去っていく。

その一方で、日常それほど存在感はないけれど、続く交わりというのもある。

なんとなく共に過ごし、お互いにあっさりしていて、深入りはしないけど、

どこまでも、いつまでも続く関係というのもある。

甘い言葉も感情もない。だから、酔うこともない。

酔いがないので、その酔いに醒めることもない。

淡き水の如く、安寧と落ち着きを感じるだけだ。

君子の交わりには、意味や理由がある。

必然性と言ってもよいかもしれない。

必然的な交わりであるがゆえに、簡単に離れ去ることはない。

というのも、交わることに既に意味や理由があるからである。

「会いたい」という言葉よりも「会ってしまう」という言葉が近いかもしれない。

「会いたい」と思う気持ちの背後には、「甘さ」や「酔い」が潜んでいる。

でも、「会ってしまう」には、そういう「甘さ」や「酔い」はない。

しかも、「会ってしまう」は、必然性があるので、「会わずにはいられない」となる。

「会わなくてもよい人」には、そういう必然性がない。

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