土曜日から三日間、大阪~京都に行ってきました。
目的は、学会参加で、あと、本の打ち合わせでした。
なので、ラーメンはほとんど食べられなかった・・・( ;∀;)
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改めて、学会に参加することって大事だなぁって少し思いました。
僕は人が集まるところが嫌いなので、基本的に学会も極力参加しません。
いい影響も受けることもありますが、よくない影響も受けてしまったりもします。
(それに、日本は学会も多く、開催頻度もとても多いんです)
そんな、新しいことなんて、毎年見つかるもんじゃないですから、、、(-_-;)
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けど、今回、色んな先生たちの発表を聴いて、自分の原点みたいなものが明確になりました。
それは、やっぱりヴィジュアル系精神。
心の痛みとか、悲しみとか、苦しみとか、孤独とか、絶望とか…
そういうものを、癒したり、治したりとかするのではなく、
そのものを、受け止めて、記述して、理解したいんだ、と。
でも、それは、痛みの発生元(脳)や悲しみの発生元(脳)を理解したいんじゃなく、
人をけむに巻く言葉(or数字)で、さも分かったようなを使って理解したんでもなく、
そういう痛みや悲しみを抱えている「人間」を理解したいんだなぁ、と。
でも、時代は、そういう人間に固有な感情をコントロールして、解消させる方向に向かっている。
コントロールや解消は、理解じゃない。否定だ。
悲しみや苦しみや孤独は、もちろんなくなることがBESTかもしれない。
でも、それがなくなることはない(はず)。
で、もし、そういったものを全部消すことができたとしたら、
人間は、人間として存在していることになるのでしょうか。
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そういう人間の負の感情を、科学技術でかき消したいと思う研究者もいていいでしょう。
プラグマティックな研究者なら、そういう科学技術の開発を目指すでしょう。
そして、その開発を、多くの人が喜び、称賛するんでしょう。
心の中のネガティブな感情が消えれば、自殺者の数も減るでしょう。
失恋しても、その悲しさや寂しさもすぐに消せるでしょう。
そして…
ネガティブな感情を薬や治療で消すことで、「幸せ」になるんでしょう。
ずっとずっと、終わりのない幸せが…。
みんなが、幸福感に包まれて、誰も悲しんだり、苦しんだりしない社会。
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そういう方向に向かう研究があってもいい。
でも、現実に、心の苦しみや悲しみや孤独や絶望を抱えている人はいる。
その「人間たち」へのまなざしを、僕は保ち続けたいな、と思いました。
治すとか、癒すとかじゃなくて、そういう人ってどんな人間なんだろうって。
痛みの対象や悲しみの対象を分析するのではなく、痛みや悲しみを捉えたいなって。
そんな研究は、それこそ「ニッチな研究」となり、日の目も見ないでしょう。
世間の要望は、苦しみや悲しみを消してくれ!、だろうから。
だから、これからもきっと僕は日の目を見ることはない(苦笑)。
最近、それでいいっていう気持ちがますます強くなってきていて。。。
ただただ、心の痛みや苦しみや悲しみを大事にしたいな、と。
そして、
それをかき消すのではなく、
「どうしたら人は、痛みや苦しみや悲しみと共に、生きていけるか」を考えたい。
つまりは、殺したり、死んだりしないで、そのまま生きていけるか、と。
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結局、僕はヴィジュアル系の精神が好きなんだな。
痛みや苦しみや悲しみは、ヴィジュアル系の基本精神。
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今の時代、そういう痛みや苦しみをぐっと耐えるのではなく、誰かにぶつけようとする。
クレーム、モンスター、カウンセリング、暴力、リストカット、社会保障…
なんとか「しよう」としてしまう。動いてしまう。
心理的なネガティブな感情を持ちこたえられない。
あるいは、それを楽しめない。受け止めきれない。味わえない。
人間は、知性があるがゆえに、思考し、そして痛み、苦しむ。
でも、その痛みや苦しみゆえに、文化を作り、文明を築いてきた(はず)。
とすれば、科学技術による感情のコントロールは、文化や文明の破壊を意味する。
文化をもたず、科学技術にコントロールされるだけの存在。
それって、もう、、、、
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この数日、ホント、いっぱい頭を使いました。
そして、原点回帰。
進むべき道がまた見えてきた、というか。
そういう意味で、とても有意義な三日間でした。
結局は、no pain, no gainってことかな、と。
さ、また、クソ忙しい退屈で苦しみだらけの日常に戻るとしよう…。