まんぼぉオリジナルのあっさり醤油ラーメン。本当にやさしい味わい。
透きとおったスープ。味わい深いチャーシュー。懐かしいナルト。麺もソフト。
先週も行ったのだが、、、ラーメン好きの友人にどうしても食べてもらいたくて、連れてきてしまった。
このラーメンこそ、まんぼぉのオリジナルの看板メニュー。
本当にやさしい味わいで、まるみがあって、ほどよくコクがあって、広がりのある豊かな一杯に仕上がっている。
石神師匠は、「何も突出していない味」と言っていたが、まさにその通りで、何かが目立つわけでもなく、全体的に程よくまとまっている上品な味わいがするのだ。
個性って、何かを突出させることで出てくるものだと普通は考えるのだが、実は全体的なまとまり(人間性)も十分に個性になるのだ。ここのラーメンって、多分普通に食べたら普通においしい普通のラーメンなのかもしれない。しかし、じゃあ似たようなラーメンがあるか?!と問われれば、「ない」のである。(しいて言えば佐野実さんのラーメンに近いっちゃ近いが、全くの別物である!)
最近のラーメンは、無理やりにでも個性を出そうとして、逆に個性が埋没しているようにも見える。音楽界の例で言えば、ミスチルとかスピッツとかって何かが突出してすごいわけではない。演奏力が神技ってわけでもないし、誰かが突出して美形っていうわけでもないし、曲がとんでもなく派手っていうわけでもない。全体的によくまとまっていて、安心できるところが彼らのウリなのだ。それと同じように、まんぼぉのラーメンって、どこかが激しく際立っているわけではない。それなのに、どこか安心できるのだ。もちろん基本的なプロの料理技術があってのことだと思うが、いろんな意味で、総合的に、「善いラーメン」なのだ。
最近のなんでもかんでも豪快・可視的にしていく傾向に対しては危惧を抱いている。ラーメンの質的低下を招きかねないからだ。たしかにジャンクなラーメンがあってもいいとは思う。だけど、ジャンクなラーメン=美味しいラーメンとは必ずしもならないはずだ。
千葉でも、都内の流行に振り回されている(振り回している?!)ラーメン屋さんは多々ある。もちろんそういうラーメン屋があってもいいが、まんぼぉみたいなラーメン屋さんをしっかり支持してこそ、だと思うのだ。「自分のラーメン」を作る努力を惜しまない、そういうお店がやはり讃えられるべきだと思うのは僕の勝手なエゴだろうか?!