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Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

僕らはされたことしかすることができない…か?!

またまたまわりくどい話です。僕はまわりくどい話が好きなんで。

僕は、日々色んなことをしてます。やってることを全部言葉にしたら、とんでもないくらいの行為をしてます。

僕らの行為は、何によって導かれているんでしょう? なぜある人は人を愛し、なぜある人は人を殺めるのでしょう? なぜある人は人を信じ、ある人は人を裏切るんでしょう? こうしたもろもろの行為を導くのは誰なんでしょう? 何なんでしょう?

ケアの世界では、『自分をケアできる人だけが、他人をケアすることができる』といいます。また、恋愛論では、『自分を愛する人だけが他人を愛することができる』といいます。自分をケアしたり、愛したりできるためには、何が必要か。それは、誰かにケアされたり、愛されたりすることだと思います。誰かにしっかりケアされ、愛されることで、その行為の意味を知るわけです。その行為の大切さを知っている人だけが、他人をケアしたり、愛したりするんですね。
例になるかどうか分かりませんが、一つ小噺を。

僕は若い頃、たくさんの先輩におごってもらいました。先輩たちはみんな、『お前は、俺におごる必要はない。おごられた分だけ、お前の後輩におごれ。いいか?』と言いました。当時は何でか分からなかったけど、なんか感じるものがありました。で、おごるようになりました。おごられて初めて、おごれるんです。

僕らは、誰かにされたことを誰かにするんです。良くも悪くも。だからこそ、僕らはまずもってケアされたり、愛されたりする必要があるんだと思います。 誰にケアされたり、愛されたりするかは、また議論が必要でしょうが、『よりたくさんの人に』と言っておきたいです。多けりゃいいってわけじゃないですが、たくさんの人に愛されて悪いことはないでしょう。ただ、関係的なものだから、自分が求める人に愛される必要がある。なので、誰でもいいってわけでもない。

ただ、僕らの行為は、かなりの部分、過去にされてきた経験に基づいているはずなので、この部分を無視することはできないかな、と。過去にされた経験以上のことは、なかなかできないもの。単純に考えても、誰にも愛されなかった人が、誰かを愛することってできないだろうし、誰にも大切にされなかった人が、誰かを大切にするとは到底思えない。誰にもおごられたことのない人が、誰かにおごるなんてできないだろうし、また、その「おごること」の意味も見いだせないだろう。

僕がおごるのを喜んでやるのは、たくさん大好きな先輩からおごってもらったから。だから、僕を好いてくれる後輩には惜しみなくおごってやる。されたんだから、してやるぞ、ってね。

って話でした(^w^)

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