僕の学問的バックグラウンドにあるのが、「反権威主義」。
Antiautorität
英語だと、Anti-authorityですね。
今日の講義では、この反権威主義について熱く語りました。
(赤ちゃんポスト、ユルゲン・モイズィッヒとの関連で)
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先日起こったあの結愛ちゃんの悲しい虐待死事件。
あの事件には、僕らが「教訓」とすべき学ぶべき事柄がいっぱいあります。
その一つが、「権威主義」の怖さ、親の権威主義的子育ての恐怖です。
僕は、あの結愛ちゃんの「文章」に、非常に日本的な権威主義的子育てを看取しました。
権威主義者は、権威には跪き、そして、下の人間には権威を振りかざします。
権威主義者は、権力者や有力者にモノを申すことはなく、自分より弱い人間を支配します。
自分を支配する人には従順で、自分が支配できる人には威圧的で…。
この問題を、どう語ればよいのか。
僕がそこで、使おうと思ったのが、
ナカユビ
という概念(!?)でした。
ナカユビといえば、この曲です。
オーディエンスの皆さん、中指を突き立てています。
この精神です。
…
今、僕たちが忘却しかけているのが、この「ナカユビ」ではないでしょうか。
実際に誰かに対して、中指を突き立てるかどうかは問題ではありません。
そうではなく、「FXXK!」と叫ぶその精神であります。
かつて、ヤンキーブームみたいなものがありました。
いわゆる「ヤンキー」たちは、主に教師を「権威」と見立てて、教師に抗いました。
BOOWYの「SCHOOL OUT」の精神、ですね。
あるいは、かまいたちの「かMARCH」精神!?
この曲の歌詞、今の若い子たちに何気にとっても当てはまる気がしてなりません。
20年以上前の曲なのに…
…
でも、30年前、20年前と違い、教師の権威性は失墜しました。
もう、今や、教師に権威など、微塵もありません。
子どもたちも、教師には全くビビッていないでしょう(一部を除く)。
けど、「親」となると、話は違ってきます。
今の子たちは、「親」という権威に完全に支配されている気がするんです。
「教師」と違って、「親」ですから、なかなかナカユビを立てることはできません。
(尾崎風に言うと、教師からは卒業できても、親からは卒業できない…といいますか…)
教師の権威が失墜した一方で、親の権威性はますます威力を強めているように思うんです。
抵抗すべき存在が、もっとも愛している存在、という「ねじれ」。
若者たちにとっては、ぶっちゃけ「安倍首相」(比喩として)に権威なんて感じていないんです。
「国」に権威なんかも感じない。「教師」にも感じない。
そうではなく、「親」という圧倒的な存在だけが、彼らにとって問題になっているんです。
これは、今の若者たちとリアルに付き合っている人なら分かる感覚だと思います。
かつてのように、国家や官僚や首相や警察や教師に対してナカユビを立てるのとはわけが違うわけです。
かつての学生運動やヤンキームーブメントの頃とは、怒りの対象が違っているんです。
対象が親…
先日起こった新幹線内での殺傷事件の小島一朗氏も、親の権威性の問題を孕んでいました。
父親は、「厳しく躾けた」といい、その結果、彼は「死刑になりたいからやった」、といいます。
これが「父親」でなければ、彼もまた戦えたかもしれない。
けど、(権威の対象となる)相手が親となると、彼自身、無意識の中で混乱するはずなんです。
愛しているけど、殺したい…。
その結果が、おそらく「死刑になりたいからやった」なのではないか、と思うのです。
***
今、僕らがリアルに学ぶべきことは、「ナカユビ精神」ではないでしょうか。
ナカユビ精神があれば、「ブラック企業」なんてぶっ飛ぶんです。
「そんなクソな会社、辞めたるわ! Fxxk!」って。
ナカユビ精神があれば、「過労死(Karoshi)」もぶっ飛ぶかもしれません。
「愛社精神?クソだ。残業、知るか? 文句あるなら、辞めたるわ」って。
ナカユビ精神があれば、「パワハラ」だってぶっ飛ぶはずなんです。
「パワー? うるせーよ。権威をかざして、エラソーに文句たれんな」って。
強固なナカユビ精神があれば、「毒親」だって、捨て去れるんです。
「産んでくれたことだけは感謝してやる。でも、GOOD BYE、毒親!」って。
…
もちろん、人間は社会的な生き物だから、全部にFxxk!とは言えません。
けど、精神においては(心の中では)ナカユビはいつでも立てられます。
そういう精神が、今、消えかかっているように思います。
権威にすがらないで生きていく。
Free will(自由意志)の精神で生きていく。
オートノミー(自律=Autonomie)の精神を貫く。
難しいことだけど、シンプルではあるんです…。
一言で言えば、
Rebell Yell
こういう精神こそ、今の時代に必要なんじゃないかな、と。
そして、こういう精神をもった人だけが、下の人間に真に優しくなれる、というか…。
反骨精神をもった大人を増やすことが、結果として子どもを守ることになるのでは?、と。
本当に強い人は、自分より弱い人を支配しようとは思いません。
本当に強い人は、子どもを自分の支配下に置こうとはしません。
本当に強い人は、自分より強い人に牙を剥きます。
虐待通報がどんどん増えていき、そして、ますます親の権威性が強まる今、
僕らは、僕らのアプローチを変える必要があるんじゃないかな、と思うに至りました。
…
最後に…
ってことで、、、(;´・ω・)
人生なんて、ホントあっという間。
やれることなんて、たかが知れてる。
だったら、もっと自由にやっちゃえばいい。
そういう人間だけが、他人の自由も尊重できる。
茨木のり子さんの言葉で終わりにします。
「自分の感受性くらい、自分で守れ、ばかものよ」!