メモです。
新渡戸稲造「教育の目的」より。
…日本人は悪くいえばオダテの利く人間である。良くいえば非常に名誉心の強い人間である。
譬えば日本の子供に対しては、このコップを見せて、「お前がこのコップを弄んではならぬ、もし誤って壊したら、人に笑われるぞ」というのであるが、西洋の子供に対してはそうでない。
七、八歳あるいは十歳くらいの子供に対して、「このコップは一個二十銭だ、もしもお前がこのコップを弄んで壊したら、二十銭を償わねばならぬ、損だぞ」というと、その子供はそうかなと思って手を触れない。
日本の子供には損得の問題をいっても、中々頭に這入るものでない。殊にお武士さんの血統を引いている人たちはそうだ。「損だぞ。」「そんならやってしまえ」といって、ポーンと毀してしまう。
それで日本人の子供に向って、…「お前がそんな事をすると、あのおじさんに笑われるぞ」というと直ぐに廃めてしまう。
人に笑われるほど恐ろしいものはないというのが、今日のところでは日本人の一つの天性だ。
日本では名誉心ー栄誉心が一番に尊い。
と、新渡戸は書いている。
「人に笑われるぞ」=「みんなに笑われるぞ」=「あのおじさんに笑われるぞ」。
これが一番日本人に「効く言葉」なんだと、新渡戸は指摘する。
「損得」よりも「みんな」の方が大事だという日本人のココロ。
これは、保育者の「声かけ」にもかなり応用ができそう…。
更に、新渡戸はこう言う。
…職業のことでも同じ道理である。
大工や左官が卑しい者だといっていると、誰もそれになるのを嫌がる。軍人ばかりを褒めると、皆軍人になりたがる。いわゆるオダテが利くのである。それでどんなに必要な職業でもそちらに向かない。
しかし、政府のいうことなら大概な事は聴く。いわゆる法律を能く遵奉し、国家という字を頗る有難がる国民であるから、法律を以て職業の順序を定めるのも宜かろう。
…けれども日本人はオダテの利く人間だから、そんなことをするよりも、「遊ばせ」とか「さん」の字をモット余計に使うようにすれば、大分利目があろうかと思う。
「車屋さん、どうぞこれから新橋まで乗せて往って戴きたいものです、お挽きあそばせ。」「車屋さん、これは甚だ軽少ですが差し上げましょう。」サアこうなって来ると車夫というのもはエライものだ、尊敬を受くるものだとなって、車夫の地位もズット高まるし、また子供も悦んで車夫になるのであろう。
…
要するに一方に於て職業を軽蔑する観念が大いに除かれなければ、どれほど職業教育に力めたところで効能が薄かろう。
オダテの利く日本人。
損得で言うよりも、褒められたり評価されたりすることで、そっちに向かう、という…。
給与が高いとか低いとかよりも、「みんながイイネって言っているよ」の方が効く、と。
明治時代から、日本人ってそんなに変わってないんだろうな。
面白いなぁ、、、