2021年9月24日。
この日、「ラーメン評論家」という言葉がネット空間で飛び交うように使われました。
そのきっかけを作ったのは、らんちばさんが敬愛してやまない梅澤愛優香さんのこのツイートでした。
ラーメン評論家の入店お断りします
— 梅澤愛優香 (@MAYUKA_YAGUMO) September 23, 2021
ラーメン評論家の方々とお会いしてきましたが、8割が私へマウンティングか言葉のセクハラが酷い人ばかりでした
それもあり避けたら裏で中傷される始末
うちにはマイナスしかなかったです
今後ラーメン評論家、同業で評論してる方の入店を全店固くお断り致します
なかなかショッキングなツイート…ですよね💦
梅澤さんは、『麺匠八雲』と『沙羅善』の店主さんで、新鋭気鋭のラーメン店主さんです。僕はどちらにも行ったことがないのですが、惡麺友らんちばさんからそれこそい~~~っぱいお話を聴いてきたので、「いつか行きたいなぁ…😢」って思うお店でした。(なので、梅澤さんの意見や言説に対しては、何も語りません。らんちばさんの梅澤さんへの愛はとてつもなく深く大きいのです💓)
この梅澤さんのツイートをきっかけに、「ラーメン評論家ってなんなんだ?」という議論がネット内で起こりました。ここ数年、「ラーメン評論家」に対してはかなり厳しい視線が向けられており、この日はもう本当に大荒れでした。(更に翌日はもっとそのラーメン評論家への攻撃や誹謗中傷が激化しました)
その中で、「ラーメン評論家なんて要らない」「ラーメン評論家はいなくてもいい」「ラーメン評論家にはもう価値はない」「ラーメン評論家なんてキエロ」という意見が多数出てきました。
今回は、この意見に向き合いたいなって思ったんです。梅澤さんに対してではなく、また問題となっている評論家さんに対してでもなく、自分自身の問題として考えたいと思いました。
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僕の答えは一つです。
『それでも、ラーメン評論家は必要だ!』
です。
そのことをいくつかの点でご説明したいと思います。
①ラーメン評論家がいるおかげで、短期間で優れたラーメン店をたくさん知ることができる。
僕は「石神チルドレン」(石神秀幸さんに強い影響を受けているラーメンフリーク等)です。石神さんの出してきたラーメン本(通称『石神本』)から、僕は本当にたくさんの素敵なお店を知ることができました。この本がなければ、数年で優れたラーメン店をたくさん回ることはできませんでした。いわばラーメン界の『地球の歩き方』ですね。優れたラーメン評論家が選び抜いたセレクションは、やはり今もなお価値のあるものだと思います。ただ、思い返せば、本当にガチで(損得抜きで)選び抜いたラーメン本ってそんなに多くもなかったようにも思います。なので、すべての本が優れたガイドブックというわけではありませんが、ラーメン評論家のラーメン本があれば、短期間で選び抜かれたお店を知ることができ、合理的?にお店を食べ歩くことができます。
②ラーメン評論家は新たなラーメンのトレンドを示すことができる。
ラーメン評論家や著名なラーメンブロガー・インフルエンサーは、新たなラーメンのトレンドをこれまでにもたくさん示してきました。石神さんは、それこそ「濃厚豚骨魚介系ラーメン・つけ麺」の価値を見い出し、それを世に広めました(つじ田や渡なべや頑者等)。また、「鶏白湯ラーメン」や「鮮魚系ラーメン」といった新たなラーメンカテゴリーを生み出しました。今や千葉のラーメン界の重鎮になりつつある惡麺友らんちばさんも、実はその才能に長けていて、例えば「船橋ソースラーメン」や「小見川カレー麺」や「フルーツラーメン」といったラーメンを世に広めてきました(残念ながら、僕にはそういう才能はないみたいです…😢)。新たなトレンドを創るのは、基本的にはラーメン店主さんですが、それだけでなくラーメン評論家もまたそこに深く関わってきた歴史があります。ラーメン店主さんとラーメン評論家というのは、その新たな流れを共に生み出すパートナー(同志)という感じでした。
③ラーメンが好きなだけでなく、常に厳しい目でラーメンを見つめる。
僕が尊敬するラーメン評論家の故武内伸さんは、とにかくラーメンに対して常に厳しい態度で接していました。ラーメン店主に、ではなくて、ラーメンそのものに誰よりも厳しい目で見つめていたように思っています。彼の本はほぼ全て読んでいますが、彼のラーメンを語る言葉には、もちろん愛情も感じるのですが、それ以上に「ホンモノ」を見定めようとする厳しい態度がありました。彼が認めたラーメン店は、早かれ遅かれ、大ブームになりました。全国の優れたラーメン(後にご当地ラーメンになるようなラーメン)を探し出しては、それを世に広めました。ただ、彼は、ダメなラーメン店を誹謗中傷するようなことは一切しませんでしたし、誰よりもそういう誹謗中傷を嫌っていたと思います。彼のラーメンについての圧倒的な知識は、それこそ、何も分からない僕にたくさんのことを教えてくれましたし、ラーメンを見る視点やポイントをいっぱい教えてくれました。ただのラーメン好きにはない「求道心」をもち、誰よりもラーメンを探求し、全国・全世界へとラーメンを求めて歩き続けることが、ラーメン評論家のレゾン・デートル(存在理由)だと思います。
④評論家はわれわれ(皆)にラーメンのことを深く教えてくれる。
ラーメンに限らず、評論家というのはたくさんいます。あまり知られていませんが、「評論家」という人はだいたいそれを副業でやっていると言われています。評論家の仕事だけで食べられるケースは少なく、もっぱら「大学教員」と兼ねている人が多いとも言われています。「政治評論家」「経済評論家」「映画評論家」「文芸評論家」「科学評論家」「軍事評論家」「音楽評論家」など、様々な評論家がいますが、何かの仕事の傍らで「評論」の仕事をしているんです。どのジャンルにしても、「いなくても困らない人たち」と切り捨てることもできなくもないですが、僕らは、そういう評論家から色んな「知(知識)」を得ています。政治についてよく分からない…という人に対して、政治評論家は優しく分かりやすく且つ批判的に政治のことを教えてくれます。映画評論家は、映画についてよく分からない人たちに、優れた映画を教えてくれると共に、その映画をより深く理解することを助けてくれます。(優れた)ラーメン評論家も同じように、ラーメンのことをよく分からないという人に優しく分かりやすく体系的に教えてくれるのです。ラーメン店主さんは商売をしていて、来てくれるお客さんに最高の一杯を提供して、そしてその分のお代を頂くわけです。ラーメン店主さん自身が、不特定多数のみんなにそのことを教えてくれるわけではありません(自分のお店を守ること、自分のお店の従業員を守ること、自分の利益を得ることがラーメン店主さんの目的です。お仕事ですから)。でも、ラーメン評論家の目的は、一言で言えば「啓蒙」となります。ラーメンをより深くより本質的に理解できるように、言葉で説明することが彼らの責務となります。
■ラーメン店主さん=お客さん=ラーメン=お代
■ラーメン評論家=世の多くの人=知識=情報代(?)
⑤ラーメン業界の寡占化を防ぎ、新たなチャンスを皆に与える。
政治評論家の仕事は、政治の動きを常に厳しくウォッチして、政治の腐敗や不正や悪事を見抜き、それを厳しく批判することにあります。権力側にべったりの政治評論家もいますが、ほとんどの評論家やジャーナリストは、権力を厳しく監視して、それを常に批判的に吟味・検討します。その目的は、「独占による不正や腐敗」を防止することにあります。同じように、ラーメン評論家も、そういうラーメン業界の不正や腐敗を常に監視して、常に健全な状態に保つ役割をもっています。「拝金主義」で「使っていもいない食材」を掲げて、不当に儲けているラーメン店を見抜けなければいけません。まだ、そういうことをしているラーメン評論家はいませんが、今後そういう超厳しいラーメン評論家が出てきてもおかしくはありません。ラーメン店と言っても、その数だけ、色んなやり方(経営の仕方)があります。そこをしっかり見抜き、不当な寡占化を防ぐことも、評論家にできること(評論家にしかできないこと)ではないでしょうか? そして、それと同時に、よい仕事をしているラーメン職人を発掘して、そしてそのラーメンを世に広めることで、(競争をもたらすことで)ラーメン業界の権力の固定化を防ぐ、という機能も果たしているように思います。マスコミ・マスメディアが紹介しないような無名のお店の価値を見いだすのも、ラーメン評論家の大切な仕事なんです。
⑥ラーメン店主さんはお客さんのために、ラーメン評論家はラーメンそれ自体のために。
すべてのラーメン店主さんが…というわけではないですが、ほとんどのラーメン店主さんは、お客さんのために仕事をしています。来てくれたお客さん一人ひとりを大切にして、そして、最高の一杯を提供し、そしてお金を頂きます。その稼いだお金は生活費となり、生きていくことが可能となります。他方で、ラーメン評論家は、お客さんのために評論をするわけではありません。シンプルに言えば、「ラーメンを知りたい」という好奇心から来ており、「ラーメンそれ自体」のために評論をしているんです。上にも述べましたが、評論家というのは副業の人が多いんです。いわゆるベーシックインカムは本業で稼ぎ、そして副業として、それこそラーメンのためだけに(ラーメンをより深く知るためだけに)評論の仕事をするんです。僕も(認知されたラーメン評論家ではないですが)ラーメンをもっともっと深く知りたい!という好奇心(初期衝動)だけでラーメンを食べ歩き、書き続けています。ラーメン評論家は名乗っていませんが、「評論」はし続けているつもりです。(だから、記事はいつも長い!苦笑)
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まだまだありますが、まずはこの6点が、僕が『それでも、ラーメン評論家は必要だ!』と思う根拠であります。
梅澤さんが店主さんとしてどういうご判断をされるのかについては、僕は何も言えませんし、言う権利もありません。ただ、(梅澤さんに対してではなく、ネットでラーメン評論家を罵倒している人に対して)「ラーメン評論家」をあまり侮蔑しないでほしいと思うのです。これまで、ラーメン店主さんたちと共に歩んできたラーメン評論家のことも知ってから、あれこれ言ってください😢
もちろん、評論家のレベルに達していないのに「ラーメン評論家」を名乗っている人が多数いることも知っています。評論を全くしていない「評論家を名乗る人」が多数いることも分かっています。たいして食べてもいないのに、なぜか売れてしまった「評論家きどり」もいます。逆に、杯数だけをひたすらに追いかける「評論家になりきれない人」もいます。そういう人を軽蔑することは、僕も否定しません(苦笑)。
ラーメンに限らず、評論家に必要なのは「言語」です。「ラーメンを語る力」です。武内さんにも石神さんにも、その語る力が圧倒的にありました。評論家が評論家たる所以は、「語り」にしかありません。語る言葉でも、書く言葉でもよいです。とにかくラーメンを皆のために語ること。そして、その語りを聴いた人のラーメンへの理解がぐっと深まること。そこが極めて重要なポイントだと思います。
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最後に、なぜこの記事を書いたのかについて。
「評論家の軽視」や「評論家の侮蔑」は、結果として怖い帰結をもたらす可能性があるからです。非民主主義国では、「評論」はほぼできないように思われます。評論家やジャーナリストは、「弾圧の対象」になります。ロシアでも、ジャーナリストが拉致されたり暗殺されたりする事件が続いています。北朝鮮国内で評論家が金総書記のことを批評したら、即刻殺されるでしょう。評論やジャーナルは、「民主主義」を支える大事な要素なんですね。
それは「反知性主義」とも直結します。「評論家のウンチクはいいから、旨いラーメンを食わせろ」とか、「評論家から学ぶもんなんてない。俺はうまいラーメンや好きなラーメンが喰えればいい」とか、そういう人がいることは否定しませんが、そういう人たちだけで作られる文化に、「未来」はあるでしょうか。いや、語る人がいない中で、文化の伝承は起こり得るでしょうか。30年前、40年前、50年前…のラーメンを知るためには、それを書いた人の文章がどうしても必要です。愛川欽也さんの本なんて、本当に貴重ですからね…。
「評論家軽視」は、民主主義の危機にもつながりますし、また知性の崩壊にもつながる、というわけです。「今」の「自分」しか見えていない人はそのまま自分のためにラーメンを食べていただくとして、そうでない人(ラーメン評論家)のことをそれこそ(知りもしないのに)叩かないで欲しいなと思うのです。それが「自由な言論の弾圧」につながる恐れがあるからです。
その点だけ、しっかりと書いておきたいなって思いました。
【追記】(9月27日)
その後、色々と明らかになり、梅澤さんが問題にしていたのは、ビジネス上でのトラブル(マウント取り・ハラスメント・写真撮影の強要等)、ネット上でのデマ・誹謗中傷等についてでした。ラーメン批評についてではなく、またラーメン評論家それ自体の問題でもありませんでした。ただ、評論家の「人間性」や「倫理性」が問われる事案であり、その点においてはこの記事との関連は(濃くないにしても)あると思いますので、このまま公開しておこうと思います。
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【付記】
日曜日の夜から月曜日にかけて、この「ラーメン評論家問題」が更に話題になり、コメントも多数いただいています。コメントを頂けるのはとても嬉しいことなのですが、「マウント取り」の「礼儀のない」「ハラスメントじみた」「言葉の自動機械」のようなコメントは、ただちに削除させていただきます。ここはTwitterではありません。赤の他人に普段話しかけるように書いてくだされば、喜んでお返事いたしますし、議論いたしましょう。
一部に大変無礼なコメントを吐き捨てるように書き込む方がおりますが、あなたがやっていることは、梅澤さんに対してマウントを取りハラスメント的な発言を浴びせた人と同じことですよ。普通にお話しましょう。それがお嫌なら、どうぞお引き取り下さいね。愛を込めて。