Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

それでも、ラーメン評論家は必要だ!!

2021年9月24日。

この日、「ラーメン評論家」という言葉がネット空間で飛び交うように使われました。

そのきっかけを作ったのは、らんちばさんが敬愛してやまない梅澤愛優香さんのこのツイートでした。

なかなかショッキングなツイート…ですよね💦

梅澤さんは、『麺匠八雲』と『沙羅善』の店主さんで、新鋭気鋭のラーメン店主さんです。僕はどちらにも行ったことがないのですが、惡麺友らんちばさんからそれこそい~~~っぱいお話を聴いてきたので、「いつか行きたいなぁ…😢」って思うお店でした。(なので、梅澤さんの意見や言説に対しては、何も語りません。らんちばさんの梅澤さんへの愛はとてつもなく深く大きいのです💓)

この梅澤さんのツイートをきっかけに、「ラーメン評論家ってなんなんだ?」という議論がネット内で起こりました。ここ数年、「ラーメン評論家」に対してはかなり厳しい視線が向けられており、この日はもう本当に大荒れでした。(更に翌日はもっとそのラーメン評論家への攻撃や誹謗中傷が激化しました)

その中で、「ラーメン評論家なんて要らない」「ラーメン評論家はいなくてもいい」「ラーメン評論家にはもう価値はない」「ラーメン評論家なんてキエロ」という意見が多数出てきました。

今回は、この意見に向き合いたいなって思ったんです。梅澤さんに対してではなく、また問題となっている評論家さんに対してでもなく、自分自身の問題として考えたいと思いました。

***

僕の答えは一つです。

それでも、ラーメン評論家は必要だ!

です。

そのことをいくつかの点でご説明したいと思います。

①ラーメン評論家がいるおかげで、短期間で優れたラーメン店をたくさん知ることができる。

僕は「石神チルドレン」(石神秀幸さんに強い影響を受けているラーメンフリーク等)です。石神さんの出してきたラーメン本(通称『石神本』)から、僕は本当にたくさんの素敵なお店を知ることができました。この本がなければ、数年で優れたラーメン店をたくさん回ることはできませんでした。いわばラーメン界の『地球の歩き方』ですね。優れたラーメン評論家が選び抜いたセレクションは、やはり今もなお価値のあるものだと思います。ただ、思い返せば、本当にガチで(損得抜きで)選び抜いたラーメン本ってそんなに多くもなかったようにも思います。なので、すべての本が優れたガイドブックというわけではありませんが、ラーメン評論家のラーメン本があれば、短期間で選び抜かれたお店を知ることができ、合理的?にお店を食べ歩くことができます。

②ラーメン評論家は新たなラーメンのトレンドを示すことができる。

ラーメン評論家や著名なラーメンブロガー・インフルエンサーは、新たなラーメンのトレンドをこれまでにもたくさん示してきました。石神さんは、それこそ「濃厚豚骨魚介系ラーメン・つけ麺」の価値を見い出し、それを世に広めました(つじ田や渡なべや頑者等)。また、「鶏白湯ラーメン」や「鮮魚系ラーメン」といった新たなラーメンカテゴリーを生み出しました。今や千葉のラーメン界の重鎮になりつつある惡麺友らんちばさんも、実はその才能に長けていて、例えば「船橋ソースラーメン」や「小見川カレー麺」や「フルーツラーメン」といったラーメンを世に広めてきました(残念ながら、僕にはそういう才能はないみたいです…😢)。新たなトレンドを創るのは、基本的にはラーメン店主さんですが、それだけでなくラーメン評論家もまたそこに深く関わってきた歴史があります。ラーメン店主さんとラーメン評論家というのは、その新たな流れを共に生み出すパートナー(同志)という感じでした。

③ラーメンが好きなだけでなく、常に厳しい目でラーメンを見つめる。

僕が尊敬するラーメン評論家の故武内伸さんは、とにかくラーメンに対して常に厳しい態度で接していました。ラーメン店主に、ではなくて、ラーメンそのものに誰よりも厳しい目で見つめていたように思っています。彼の本はほぼ全て読んでいますが、彼のラーメンを語る言葉には、もちろん愛情も感じるのですが、それ以上に「ホンモノ」を見定めようとする厳しい態度がありました。彼が認めたラーメン店は、早かれ遅かれ、大ブームになりました。全国の優れたラーメン(後にご当地ラーメンになるようなラーメン)を探し出しては、それを世に広めました。ただ、彼は、ダメなラーメン店を誹謗中傷するようなことは一切しませんでしたし、誰よりもそういう誹謗中傷を嫌っていたと思います。彼のラーメンについての圧倒的な知識は、それこそ、何も分からない僕にたくさんのことを教えてくれましたし、ラーメンを見る視点やポイントをいっぱい教えてくれました。ただのラーメン好きにはない「求道心」をもち、誰よりもラーメンを探求し、全国・全世界へとラーメンを求めて歩き続けることが、ラーメン評論家のレゾン・デートル(存在理由)だと思います。

④評論家はわれわれ(皆)にラーメンのことを深く教えてくれる。

ラーメンに限らず、評論家というのはたくさんいます。あまり知られていませんが、「評論家」という人はだいたいそれを副業でやっていると言われています。評論家の仕事だけで食べられるケースは少なく、もっぱら「大学教員」と兼ねている人が多いとも言われています。「政治評論家」「経済評論家」「映画評論家」「文芸評論家」「科学評論家」「軍事評論家」「音楽評論家」など、様々な評論家がいますが、何かの仕事の傍らで「評論」の仕事をしているんです。どのジャンルにしても、「いなくても困らない人たち」と切り捨てることもできなくもないですが、僕らは、そういう評論家から色んな「知(知識)」を得ています。政治についてよく分からない…という人に対して、政治評論家は優しく分かりやすく且つ批判的に政治のことを教えてくれます。映画評論家は、映画についてよく分からない人たちに、優れた映画を教えてくれると共に、その映画をより深く理解することを助けてくれます。(優れた)ラーメン評論家も同じように、ラーメンのことをよく分からないという人に優しく分かりやすく体系的に教えてくれるのです。ラーメン店主さんは商売をしていて、来てくれるお客さんに最高の一杯を提供して、そしてその分のお代を頂くわけです。ラーメン店主さん自身が、不特定多数のみんなにそのことを教えてくれるわけではありません(自分のお店を守ること、自分のお店の従業員を守ること、自分の利益を得ることがラーメン店主さんの目的です。お仕事ですから)。でも、ラーメン評論家の目的は、一言で言えば「啓蒙」となります。ラーメンをより深くより本質的に理解できるように、言葉で説明することが彼らの責務となります。

■ラーメン店主さん=お客さん=ラーメン=お代
■ラーメン評論家=世の多くの人=知識=情報代(?)

⑤ラーメン業界の寡占化を防ぎ、新たなチャンスを皆に与える。

政治評論家の仕事は、政治の動きを常に厳しくウォッチして、政治の腐敗や不正や悪事を見抜き、それを厳しく批判することにあります。権力側にべったりの政治評論家もいますが、ほとんどの評論家やジャーナリストは、権力を厳しく監視して、それを常に批判的に吟味・検討します。その目的は、「独占による不正や腐敗」を防止することにあります。同じように、ラーメン評論家も、そういうラーメン業界の不正や腐敗を常に監視して、常に健全な状態に保つ役割をもっています。「拝金主義」で「使っていもいない食材」を掲げて、不当に儲けているラーメン店を見抜けなければいけません。まだ、そういうことをしているラーメン評論家はいませんが、今後そういう超厳しいラーメン評論家が出てきてもおかしくはありません。ラーメン店と言っても、その数だけ、色んなやり方(経営の仕方)があります。そこをしっかり見抜き、不当な寡占化を防ぐことも、評論家にできること(評論家にしかできないこと)ではないでしょうか? そして、それと同時に、よい仕事をしているラーメン職人を発掘して、そしてそのラーメンを世に広めることで、(競争をもたらすことで)ラーメン業界の権力の固定化を防ぐ、という機能も果たしているように思います。マスコミ・マスメディアが紹介しないような無名のお店の価値を見いだすのも、ラーメン評論家の大切な仕事なんです。

⑥ラーメン店主さんはお客さんのために、ラーメン評論家はラーメンそれ自体のために。

すべてのラーメン店主さんが…というわけではないですが、ほとんどのラーメン店主さんは、お客さんのために仕事をしています。来てくれたお客さん一人ひとりを大切にして、そして、最高の一杯を提供し、そしてお金を頂きます。その稼いだお金は生活費となり、生きていくことが可能となります。他方で、ラーメン評論家は、お客さんのために評論をするわけではありません。シンプルに言えば、「ラーメンを知りたい」という好奇心から来ており、「ラーメンそれ自体」のために評論をしているんです。上にも述べましたが、評論家というのは副業の人が多いんです。いわゆるベーシックインカムは本業で稼ぎ、そして副業として、それこそラーメンのためだけに(ラーメンをより深く知るためだけに)評論の仕事をするんです。僕も(認知されたラーメン評論家ではないですが)ラーメンをもっともっと深く知りたい!という好奇心(初期衝動)だけでラーメンを食べ歩き、書き続けています。ラーメン評論家は名乗っていませんが、「評論」はし続けているつもりです。(だから、記事はいつも長い!苦笑)

まだまだありますが、まずはこの6点が、僕が『それでも、ラーメン評論家は必要だ!』と思う根拠であります。

梅澤さんが店主さんとしてどういうご判断をされるのかについては、僕は何も言えませんし、言う権利もありません。ただ、(梅澤さんに対してではなく、ネットでラーメン評論家を罵倒している人に対して)「ラーメン評論家」をあまり侮蔑しないでほしいと思うのです。これまで、ラーメン店主さんたちと共に歩んできたラーメン評論家のことも知ってから、あれこれ言ってください😢

もちろん、評論家のレベルに達していないのに「ラーメン評論家」を名乗っている人が多数いることも知っています。評論を全くしていない「評論家を名乗る人」が多数いることも分かっています。たいして食べてもいないのに、なぜか売れてしまった「評論家きどり」もいます。逆に、杯数だけをひたすらに追いかける「評論家になりきれない人」もいます。そういう人を軽蔑することは、僕も否定しません(苦笑)。

ラーメンに限らず、評論家に必要なのは「言語」です。「ラーメンを語る力」です。武内さんにも石神さんにも、その語る力が圧倒的にありました。評論家が評論家たる所以は、「語り」にしかありません。語る言葉でも、書く言葉でもよいです。とにかくラーメンを皆のために語ること。そして、その語りを聴いた人のラーメンへの理解がぐっと深まること。そこが極めて重要なポイントだと思います。

最後に、なぜこの記事を書いたのかについて。

「評論家の軽視」や「評論家の侮蔑」は、結果として怖い帰結をもたらす可能性があるからです。非民主主義国では、「評論」はほぼできないように思われます。評論家やジャーナリストは、「弾圧の対象」になります。ロシアでも、ジャーナリストが拉致されたり暗殺されたりする事件が続いています。北朝鮮国内で評論家が金総書記のことを批評したら、即刻殺されるでしょう。評論やジャーナルは、「民主主義」を支える大事な要素なんですね。

それは「反知性主義」とも直結します。「評論家のウンチクはいいから、旨いラーメンを食わせろ」とか、「評論家から学ぶもんなんてない。俺はうまいラーメンや好きなラーメンが喰えればいい」とか、そういう人がいることは否定しませんが、そういう人たちだけで作られる文化に、「未来」はあるでしょうか。いや、語る人がいない中で、文化の伝承は起こり得るでしょうか。30年前、40年前、50年前…のラーメンを知るためには、それを書いた人の文章がどうしても必要です。愛川欽也さんの本なんて、本当に貴重ですからね…。

「評論家軽視」は、民主主義の危機にもつながりますし、また知性の崩壊にもつながる、というわけです。「今」の「自分」しか見えていない人はそのまま自分のためにラーメンを食べていただくとして、そうでない人(ラーメン評論家)のことをそれこそ(知りもしないのに)叩かないで欲しいなと思うのです。それが「自由な言論の弾圧」につながる恐れがあるからです。

その点だけ、しっかりと書いておきたいなって思いました。

【追記】(9月27日)

その後、色々と明らかになり、梅澤さんが問題にしていたのは、ビジネス上でのトラブル(マウント取り・ハラスメント・写真撮影の強要等)、ネット上でのデマ・誹謗中傷等についてでした。ラーメン批評についてではなく、またラーメン評論家それ自体の問題でもありませんでした。ただ、評論家の「人間性」や「倫理性」が問われる事案であり、その点においてはこの記事との関連は(濃くないにしても)あると思いますので、このまま公開しておこうと思います。

【付記】

日曜日の夜から月曜日にかけて、この「ラーメン評論家問題」が更に話題になり、コメントも多数いただいています。コメントを頂けるのはとても嬉しいことなのですが、「マウント取り」の「礼儀のない」「ハラスメントじみた」「言葉の自動機械」のようなコメントは、ただちに削除させていただきます。ここはTwitterではありません。赤の他人に普段話しかけるように書いてくだされば、喜んでお返事いたしますし、議論いたしましょう。

一部に大変無礼なコメントを吐き捨てるように書き込む方がおりますが、あなたがやっていることは、梅澤さんに対してマウントを取りハラスメント的な発言を浴びせた人と同じことですよ。普通にお話しましょう。それがお嫌なら、どうぞお引き取り下さいね。愛を込めて。

コメント一覧

sehensucht
三浦さん

ご批判ありがとうございます。色々と考えさせられました。最後の「美味しさは真ん中の美味しさもありますが、端に偏った美味しさも有ります」という言葉に強く共感しました。

この記事はもう1年前のものですが、もう「評論家のいない時代」に入ったなぁって思っています。それもまた「時代の変化」なのかな、とも思います。
三浦洋
反論
1、優れたラーメン店---優れたとはどういう意味
2、新たなラーメントレンド---お客が決めること
3、厳しい目でラーメンを見つめる---あなたみたいな人が
  ラーメンはこうあるべきだというのでしょう
4、ラーメンのことを深く教えてくれる---何を教えてくれるの
  ですか?美味しいラーメンが作れるのですか?
5、不正や腐敗を監視---あなたは何様ですか?
6、ラーメンを食べ歩き---ラーメンしか食わない男に本当の
  美味しさがわかるのですか?
  テレビである有名な料理人が言っていました。
  色々な料理を食べて勉強して初めて自分の料理が
  進歩すると。
 自分の意見を発表する前にもう一度良く良く考え
 片寄った意見にならないようしてください。
 最後に美味しさは真ん中の美味しさもありますが、
 端に偏った美味しさも有ります。  
sehensucht
レディースルームさん

おおお!! LADIES ROOMにデランジェ!! まさに同じ時代ですね~。僕もLADIES ROOMは大好きで、ライブにもいっぱい行きました。武道館ライブも🎵 ラフィンノーズもカッコよかったですね! コブラは聴いてましたか?!

ふと思ったのですが、僕が「評論家」にこだわるのって、「音楽評論家」が好きだったからかもしれない…。メタルうさぎさんとか! 

今はバンドでハイロウズの「青春」をカバーしています!
レディースルーム
はい。ご推察のとおりの初期のファンです。
私の魂は高校の頃に聴いたレディースルーム、デランジェ、ラフィンノーズ、ブルーハーツが土台になってます。いまだに(笑)
sehensucht
レディースルームさん

コメントありがとうございます。(もしかして百太郎ボーカルのあのLADIES ROOMのファンの方ですか?!)

「自分の嗜好と一致する発信者を探すことが大切」というのはホントそうだと思います。僕ももともと「石神さん」という自分の嗜好と一致し、また世界を広げてくれた評論家に憧れてこのブログを始めていますし…。

過去ログまで読んでくださって、ありがとうございます!「「褒めている」と「本当に褒めている」の違いを見抜く必要はありますが」という一言を読んで、笑ってしまいました(苦笑) 

でも、色々と(ばれないように)言い回しを考えて書いているので、是非見抜いてくださいね!!
レディースルーム
必要悪の側面もありますが、何事も評論家や情報発信するマニアは必要だと考えています。
ラーメンの場合、自分の嗜好と一致する発信者を探すことが大切ですね。というか、それだけが大切なのかもしれません。
自分の嗜好と貴殿の嗜好はとても似ているので、自分の中でラーメン熱が高まると過去記事を読み漁っています。
ただ、「褒めている」と「本当に褒めている」の違いを見抜く必要はありますが(笑)
これからもご活躍を!
Unknown
私自身はラーメンは適度に食べるぐらいなので、すごいマニアというわけではないのですが、ラーメンの好みって本当に千差万別だと思うのです。

評論家が必要ない、とまでは言いませんが、一部の評論家の人が自分の意見こそ正しいと言わんばかりの評論をするのは自分としてはあまり快いとは思えません。先述した通り、ある人にとっては不味いラーメンも、別の人にとっては極上のラーメンだったりするわけでして、個人の評価では測れないところも多いのではないかと個人的に考えています。

また、評論するということは、相手に対しても相応の敬意が必要なのではないかと思いますし、ある意味では正しい評論とは何かを考える上で一石を投じる出来事だったのではないかと思います。(したがってセクハラ、誹謗中傷なんてものは論外も論外)
Unknown
権威とされる三人の行動がいずれもクソなのが原因でしょ?
トップがこの有様なら全否定されるのもむべなるかな。ましてや評論ではなくデマ拡散をしたんだから。いまさら擁護しても信用されないと思う。
文句ならそのトップ三人に言った方がいいと思うけど。
俺ら消費者は旨かったら褒めりゃいいし不味かったら次からスルーすればいいだけ。
sehensucht
コメントを下さっているみなさん、ありがとうございます。

一連の騒動?から少し時間が経って、一時的な感情的なコメントから、冷静なコメントが増えてきた気がします。

みなさんのコメントから、「評論家自身の自己批判・自己反省」が問われている、と思いました。それは僕も同感で、だから、この記事を書いたつもりです。

僕自身も、(場末のブログですが)ラーメンを語る身として、反省しなければいけない点も多々あるなと思いました。

比喩的に言えば、googleなのか、生身の人間(評論家やラヲタさん)か、はたまた一般の人々かという問いにもなります。実際、僕自身、今はgoogle mapにお世話になりっぱなしです。

一応、今回は「それでも、評論家は必要だ」という立場でこの記事を書きましたが、僕自身の中でも、「本当に評論家は今の時代に必要なのか」と問うようにもなっています。

この問題は、一時的な盛り上がりで終わらせてはダメで、これからも問い続けたいテーマだと思います。コメントを下さった皆様、本当にありがとうございました。
Unknown
今回の渦中の人みたいな人格に難有りな人じゃなければ別に評論家が居ても良いかなとは思います。
優れた的確な評論は店主にとっても有意義なものになる事もあり得ると思いますし。
ただまずラーメン店ありきでの職業ですし、常に真摯に向き合って欲しいとは思います。
勿論他のどの領域の評論家でも。
竹中操
私はモンハンが大好きです。
攻略サイトや専用掲示板も見ますが、参考程度の暇つぶしです。
美味しいラーメンもモンハンの有用なスキルも琴線に触れなければスルーです。 しかしながら、
攻略サイト管理人=ラーメン評論家として考えると、この世からすっかり淘汰されるのは寂しいですね。

個人的にはふらっと偶然見つけたお店に入るスタイルです。
Unknown
少なくともラーメン評論家なる自称でしかなくソムリエのような資格のあるような職業でもない人たちが幅を効かせ
自分を優先して接待しえもらえなかった、Twitterやインスタをブロックされた、セクハラしたら関係を絶たれたなどの理由で
店の評判を落とすようなデマを流しあまつさえ威力業務妨害とも言えるような方法で店を妨害して
そんな人達がラーメン評論家のトップライターの一人として名を連ね持ち上げられている状況がすでにラーメン評論家という界隈が歪になっているという証拠なのではないのかと思われます
これを気にラーメン評論家なる名乗るだけでミシュランのような優れた美食家であるかのように錯覚させる名称が消え各々はかつてのように一介のレビュワーという立場に戻り他の人達と同じようにただの客としてラーメン屋に入れるような関係に戻るのがラーメン業界の清浄化になると思います
Unknown
評論家が居なくてもラーメンは存在出来るがラーメンが無ければ評論家は存在出来ない
まして美味い不味いは素人でも言えるんだから文章自体に商品価値があるないと邪魔なだけ
だからgoogle マップだけが生き残る
今井寿は音色の魔術師
✕誤解を与える限界のタイトル

○誤解を与える今回のタイトル


失礼致しました。
今井寿は音色の魔術師
ラーメン評論家って言っても

本当に色々な人間が居るので
ひとくくりには出来ないですよね。

それこそ白人は悪とか黒人は善とかの二分論みたいに。

どのジャンルにも良い人も嫌な人も居ると思うので
全てを庇ってしまうような誤解を与える限界のタイトルが火種になってしまったのかな?と思います。


俺はケイさんのブログ大好きですよ。

ラーメンとそれを作る職人さんに対する敬意と愛を感じるんですよね。

暖かいんですよね。

これからも宜しくお願い致します。
料理店店主
こんにちは。ブログ読ませていただきました。
私はラーメン屋ではありませんが、とある料理店を営んでおります。率直な私の感想ですが、私はラーメンに限らず、料理の評論家という類の方はあまり必要だとは思いません。
基本的に料理の感想は美味いか否かであって、甘みがどうの旨みがどうのと細かい事を話しても「その人による」で完結してしまうからです。
料理と言うのは私が一番美味しいと思うものを目の前にいるお客さんだけに対して提供します。どんなに言葉を尽くしても食べたお客さんはその1%すら人に伝えることはできません。伝えられるのは自分の感想のみです。
また、評論家が居ることで良いお店を知ることが出来たと言うのも、逆に考えればそのお店は敬愛する梅澤さんが好きなお店であって、私やあなたが好きなお店ではありません。そのお店に行って満足したとしても、代わりに情報なしで入るはずだったお店がもっと自分好みだった可能性もある訳ですし、必ずしも自分にあったお店だけをピック出来るとは限らないんじゃないでしょうか?

お店を経営している以上、ポジティブな情報を発信していただけるのはありがたいとは思っています。が、極小数の方はそれに漬け込んで金儲けしたり今回のようなハラスメント(食べログで悪口を書くなども含む)行為が存在するのも事実です。 評論家必要と言うならばこのネガティブな面がなくてトントン。加味するとどうしても私としては必要ない、という意見になります。 長文失礼しました。
ふゆ
誰しもが携帯を持ち、多くの写真やレビューを手軽に見れるようになったこの時代においては、以前と比べて"相対的に"評論家の価値が落ちているというのは事実だと思うかな。それでも、1店舗に対する多くのレビューではなく、多くの店舗を比較したうえでの具体的な評論がある紹介サイトとかを参考にする事があるのも事実だから、そういうのを書いてるであろう評論家(?)の価値自体を否定するつもりはないし、主の言う存在価値も、概ね理解はできた。

まあ今回の騒動はあれだ、フェミニストとかヴィーガンとかしかり、一部の過激な・迷惑な人たちのせいで、同じ属性を持つ良心的な・建設的な人たちまでが被害を被るっていう、よくあるパターンでしょ。結局目立つのは悪い例ばかりだし、大衆は得てして一時が万事っていう捉え方をするものだからね。ほかのコメントで自浄作用って言ってる人がいるけど、「明確に組織化されてるわけでもない抽象的な同じ思想を持つ人たち」に自浄作用なんか期待できるのかな?少なくとも俺は見た事が無いね。もし主に"自浄"を促す力があるならば、ぜひ頑張ってみてほしいとは思う。

なお主はブログにtwitter文化を持ち込むのに否定的なようだが、俺個人としては、そもそも文化とかマナーなんてのは時代や場所に応じて変化し続けるものだから、あえて自分の感じたままに書かせてもらったわ。コメントを削除するのも主の自由なら、投稿するのも俺の自由だし、このブログはそういうシステムでしょ。気を悪くさせたならすまない
Unknown
現代では昔と異なりSNSが発達しているので誰でも流行を発信できるという特徴があります。
それゆえに流行を掘り起こすという意味での評論家の価値は相対的に落ちてきているように感じ、
ともすれば「ラーメン評論家」を特別に自称することはある種傲慢のように見えるかもしれません。

ラーメン評論家の地位を回復するのであれば業界内部での自浄作用が必要なように感じました。筆者の言う「語る力」を持つ人だけが評論家を名乗れば批判も減ると思います。
Unknown
今回のことは評論家と呼ばれる人たちは自分達が思っているほどそのカテゴリーに対し貢献してなくて場合によって迷惑ですらあるということを浮かび上がらせました。
なのでそのことを自覚して謙虚になりましょうね。という話なのに自己の正当化で謙虚さがまったく感じられないことで批判されてるのだと思います。
sehensucht
ななしさん

コメントありがとうございます。不快では全くありませんが、反論したくなったので、お答えいたします(悪意は1%もありませんので、お許しを)。

①「「ラーメン評論家」と自称することに建設的な意義って何があるのでしょうか?」と問うておられますが、この記事では「自称すること」については何も申し上げておりません。

②「イチ消費者として、発信内容は作り手に尊敬の念を持ちながら、あくまで個人の感想に過ぎないことを念頭にすべき」というのは、あなたの主観的な判断であり、「感想」なのか「評論」なのかは読み手が判断すればよいのではないですか? 僕は他人の「感想」など全く興味がありません。その人がそのラーメンをどう食べたのか、どういう経験をしたのかに興味があります。

③「炎上している要因は、尊敬の念なく個人の感想を他人に押し付けるような発言が主にあるもの」と言いますが、まずこの程度では炎上とは言いません。また、この記事も感想ではなく、評論です。感想と評論は別物です。(この記事に、僕の感想はほぼありませんから。感想としては、「はんつさん、もっとしっかりして!!」です。) 

④「ラーメン界を含む飲食業は日々ギリギリの利益で鎬を削っています。ネガティブな発信はその食い扶持を失いかねずプラスになる要素は一切ありません」とありますが、評論家はお店の(利益)ために存在しているのではありません。「ラーメン評論家は、お客さんのために評論をするわけではありません。シンプルに言えば、「ラーメンを知りたい」という好奇心から来ており、「ラーメンそれ自体」のために評論をしているんです」と僕は書きました。この好奇心を否定する権利は誰にもないと思います。それこそ、あなたのいう「尊厳」の冒涜です。

⑤「ラーメン評論家というのが表現の自由を振りかざしよかれと思い何でも物言いが出来る立場と思い上がるならば、いっそ評論家なんていなくなってしまえ」というのは、僕も同感です。そういう思い上がった評論家がいないとは僕も思いません。それに、この記事で、僕は今の実在の評論家を肯定はしていません。逆です。「しっかりしてくれよ」って言っているんです(あまり伝わりませんでしたが…)。

最後の⑤の部分以外は、ちょっとあまりにも上に書いた記事と観点がずれているように思ったので、弁明させていただきました。おそらくななしさんもラーメンがお好きな方なのでしょう。是非、このブログのラーメン記事も眺めていってください。海外のラーメンレポ、是非見ていただきたいですね。もちろん「偉そうに、指示すんな!」とお思いなら、そのままお立ち去りください。コメントありがとうございました。
ななし
まず先に長文失礼します。個人の感想を多分に含むので、不快であれば即時当コメントは削除ください。
さて、「ラーメン評論家」と自称することに建設的な意義って何があるのでしょうか?
イチ消費者として、発信内容は作り手に尊敬の念を持ちながら、あくまで個人の感想に過ぎないことを念頭にすべきと考えます。これほどまでに炎上している要因は、尊敬の念なく個人の感想を他人に押し付けるような発言が主にあるものと私は思います。
自称評論家の方々の発信には、確かにポジティブな印象を発信し作り手のポテンシャルを引き出す、ひいてはラーメン界を活性化させる側面もあります。それは裏を返せば、その発信力をもってネガティブな印象を発信し作り手のポテンシャルを削ぐ側面もあることを意味します。そして、ラーメン界を含む飲食業は日々ギリギリの利益で鎬を削っています。ネガティブな発信はその食い扶持を失いかねずプラスになる要素は一切ありません。
忌憚なき意見を発信しているつもりだとご自身を正当化なされる前に、自称評論家の方々は謙虚に個人の感想に過ぎないことを述べた上で、謙虚に感想を発信していくことが、健全にラーメン界の成長に正しく導く道筋ではないでしょうか。いっそ、ラーメン評論家というのが表現の自由を振りかざしよかれと思い何でも物言いが出来る立場と思い上がるならば、いっそ評論家なんていなくなってしまえというのが一個人の感想です。
Unknown
いや単純な話ラーメンに評論する価値あるか?ただの二流ファストフードじゃんか。そんなジャンクフードにあれこれ言うのはどうかって話。
大部分のラーメン評論て自分が気に入るかどうかの自己中文章で読むだけ無駄だし、役に立ったためし無し。
Unknown
ラーメン屋さん開拓する時に、ラーメン評論家さんなる方の意見を見たことはありません。人生において一度も。
Unknown
評論家、批評家とか偉そうにしてるから反発食らうし
減点式でガタガタいうから気に入らんのよ
せめて紹介屋ぐらいにとどめておけ
Unknown
料理評論家は
料理をすることができない。
評論家は評論ないし批評をすることしかできない。
既存のすばらしい作品から得られた知見を偉そうにのたまうだけの何も生み出せない無能が名乗る肩書。
その評論を見る大衆にとっても
クリエイターが苦心の末に作ったものを「後からやいやい言っているだけ」、つまり後追い小判鮫で金を得る輩でしかありえない。
すべてのクリエイターがすべての評論家に言いたいであろう言葉を添える
「じゃあテメエでヤッてみろよ、やれもせん出来せんこちらの苦労も知らんくせに偉そうにしてんじゃねーよクズが」
うどん派
ラーメン評論家にセクハラエロよっぱらいおじさんというイメージがついちゃいましたね。
まともな評論家ももちろんいらっしゃるでしょう、
件の店主も「8割」とおっしゃってます、つまり2割はそういうことしないまともな評論家だったのでしょう。
いや8割って相当凄い数字ですけどね。
その2割が貧乏くじひかされてるのは非常に気の毒ですが、こればかりは自身の言動で信頼を積み重ねていくしかないと思います。
自浄作用があるとなればラーメン評論家全体を厳しく叩くことも薄まるのでは。
他のコメントにもありますが。
本音で言えばセクハラマウント中傷オヤジを容認するのであればラーメン評論家ごと滅んでほしい。
そんなオッサンを許してまで存在しなくていい。
評論家が存在するプラス面は確かにありますが、これじゃマイナスのが大きすぎる。
自浄作用が働くことを祈っています。
sehensucht
みなさん!!

色々なご意見、ありがとうございます。すごく面白いです。誹謗中傷でない限り、反論も大歓迎です!

僕も、ただラーメン評論家を擁護しているわけではなく、「評論家と名乗るなら、もっとしっかり評論をしてください!」という思いを込めて書いたつもりです。現状を肯定しているわけではありません。

本来なら一つ一つにコメントのご返答を差し上げたいのですが、あまりにも多いので、「しっかり読んでいます!」とお伝えするにとどめておきます。

みなさんのご意見を聞いて、「たしかになぁ」と思うところも多々ありました。

賛否両論があってこその議論ですし、そこからみんなで「ラーメン評論家って要るの?!」ということを考えていけたら幸いです。

ありがとうございます!!
Unknown
ラーメン評論家の方って凄い自信をお持ちですよね
旨い店って自然と人が集まるから、自分は「ラーメン評論家」なる通ぶったに人間は不要だと思っていますし、今回の件のように害悪の存在でしかないです
適切に評価してくれる、それこそミシュランのような存在があればそれで充分
ミシュランは日本の大衆食堂ですらきちんと評価してくれますからね
Unknown
自浄作用も無く、ハラスメントが同業者から当たり前に見受けられます。

信頼を取り戻すためには、該当の評論家?に厳しく当たる必要があると思いますよ。
Unknown
うーん必要と言い切る理由が弱すぎる。食べログなりGoogleのクチコミの下位互換でしかなくない?
Unknown
迷惑かけない範囲で勝手にやればええんちゃう?
( ´,_ゝ`)プッ
撮り鉄で似たようなこと言ってた奴がいたな
僕たちが鉄銅写真の魅力を伝えてるんです、新たなトレンドを示すことができるんですって
いやぁ、どっちもいらないです
Unknown
優れたラーメン店を紹介したいということで活動するなら良いと思うけど味以外のことで評判を落とすようなことは良くないと思いました(こなみ)
大学生
なんか勘違いしてる痛い大人ってこんなんだろうな
通りすがりの匿名希望
①食べログで十分
②必要無し
③必要無し
④必要無し
⑤意味不明
⑥意味不明
ミシュランガイドがなんで評価高いか分かる?
客として無名で来店し何も要求せず、
客としてきちんと対価を払い、
客目線で評価し偉ぶらないからだよ。
「評論家」は自分の功名をあげたいだけ。
康太ブログを見習え。
誰がラーメン評論家を見張るのか
記事内にラーメン業界の寡占化を防ぐために
評論家がいるという記述がありました。
では、評論家の発言については誰が取り締まるのでしょう?

私はラーメン評論家については門外漢です。
その一般の目から指摘させていただくと、
今回の件で発端になった名のある方々の
セクハラ、パワハラ発言はおそらく、
評論家という特定分野において持ちえた(ように錯覚した)
権力を笠に着ての行為なのではないでしょうか?

彼らに仮初の権力を与えたのは評論家界隈という
エコーチャンバー現象の影響もあると思います。
つまり、あなた方にも責任の一端はあるのでは?ということです。

評論家が要不要という以前に、件の評論家に対して、
同じラーメン評論家の立場から糾弾してください。

飲食店と評論家の関係性において、
作り手と語り手は同格ではありません。
発信力次第では語り手は一方的に作り手を殺すこともできます。
そんな無責任で圧倒的強者の立場から
ハラスメントを行ったことについて、
愛なき行為だ、恥ずべきことだと声をあげてください。

同じ評論家仲間から自浄作用が生まれないことが
ラーメン評論家=害悪論という風潮を
加速させているように思います。
Unknown
おいしいラーメンを作りあげるのも、トレンドを作り出すのも、全国にいる店主職人だし、うまいものを世に広めるのは消費者でしょ。
ラーメン評論家とは単にそれらのおこぼれを与っているに過ぎず、そういう「トレンドを作ってやった」「広めてやった」という驕りこそが、評論家が嫌われている根本の原因なのでは?
一般ピープル
ラーメン評論家はちょっと自分達の存在を過大評価してませんかね
もうちょい謙虚になれば認められると思いますよ

必要だ〜とか業界の発展に貢献してる〜ってのは傲慢な考えだしそれ自分達で言っちゃうのは押し付けがましいですからね

別に貢献とか考えず自分達の趣味でやってる事止まりって意識で勝手にやってる分には誰も文句言わないと思うんです

評論家って肩書きも権威ある物でもないしただの一般客となんら変わりない存在なので
まおちん
一般客として食いに行って黙って食って帰宅してパソコン開いて、接客はどうだった味はどうだった云々書き込むだけなら誰も文句言わない。
なんでそうしないの?という理由を考えれば評論家様が忌避される理由もわかるんじゃないですかねえ。
7743
店主が嫌がってるんだから
それに黙って従えばいいだけの話し。
こんなとこで長文ぐちぐち言っていても誰もまともにみるわけないし。
評論家を必要とする人がいるなら
黙っていてもブログを見てくれるし、聞いてくれて必要とされるはず。

以上
いまさら
評論家はいてもいなくてもどっちでもいい。

味の好みは人ぞれぞれだし、美味いのもまずいのも含めていろんなラーメン食べてあーだーこーだ言いながら楽しむのも個人の自由。

別に評論家のブログなんか見ずとも、「今日は豚骨ラーメン食べたいなー」って気分だけで「豚骨ラーメン 池袋」って検索して食べログとかRettyで写真見て「美味そう!これ食ってみたい!」ってそんな軽い気持ちで食べるのが楽しい。
喰えなくなった
その昔、かい人21面相のせいでお菓子のパッケージにビニール包装がされる事になった様に、今回のはんつ遠藤氏の言動は何らかの対策を打たないと「ラーメン評論家」という存在が社会の害になる可能性があると言うことを皆に知らしめてしまったと思う。
これまでの様にノーリスクで店舗を叩ける「権限」を業界がなんとかしないと、まともな「評論家」も存在を許されないだろう。
また、正直たったひとりの評論家の文章より、Googleマップの平均点の方が信頼出来るのも事実。この辺映画業界は既にそうなっているので、グルメ界隈も同じ道をたどると思う。
オランダ人男性
評論家の必要不要を議論するのはあまり意味が無いような気がします。一般人やメディアが詳しい人の情報を求める結果生まれた職業じゃないでしょうか
結局個人の集まりだから「業界の自浄作用が」といったところでたまたま同じ肩書きの何してるか知らん他人を管理したり責任とったりなんてできないですよね
品質を保証する同業者団体ってのも難しいだろうな

不要だ!と今の有名な人たちを軒並みボコボコに叩いて追い出したとしても、どうせ誰か詳しい人が出てきますから、
・嫌いなら見ない(どうせ有識者は出てくるので)
・見るなら信頼できる人を応援する
・客や店、メディアなどは権威を振りかざすおかしな人を見たら告発する
って感じに思いますね
時代遅れ
ラーメン評論家の必要だった時代は終わったと思います
店主が自分で簡単に情報を発信できる時代において必要性が非常に薄いと思います
評論家その個人に絶大な発信力があれば(あればの話ですが)その人に頼ることも一つの方法ですが、あくまでも一つの方法でしかなくなっています

そんな中で業界の汚い部分が見えた今不要論が高まるのは必然と言えると思います
結局は評論家の胸先三寸の状態になっていることが明らかになったわけです
ラーメン店としては長期的にそのような輩とも思えるものと付き合っていくのはリスクととらえてしかるべきと思います

真っ当な店であれば、忖度しないと恣意的に悪情報を流される可能性があることを考えます
誰がそのような人物がわからない中で、得体のしれない評論家に頼ることは危険だと思います

必要かと言われれば必要ではないでしょう
有用であれば使ってやると考えるくらいのものでしかないでしょう

ただ、過去の栄光を忘れられず勘違いを増長した人間が多いように感じます
そういった人間にぶち当たる可能性の高さを考えると近づかないのが一番だと思います
いらない
味覚は人それぞれ。
あんたは好きでもわたしは嫌い。
DCD
すみません、Dr.Keiさんを「ラーメン評論家」ないし、それに近しい立場の方という認識でコメントさせていただいたのですが、改めて本文を読み直したところ私の認識が間違っておりました。
Dr.Keiさんの私見に留まるのであれば、私と異なる意見というだけの話でした。

大変失礼しました。
DCD
ご返信ありがとうございます。
>ラーメンそれ自体の監査員
とおっしゃいますが、本文中で以下のように書かれていらっしゃいますね。
>ラーメン評論家も、そういうラーメン業界の不正や腐敗を常に監視して、常に健全な状態に保つ役割をもっています。「拝金主義」で「使っていもいない食材」を掲げて、不当に儲けているラーメン店を見抜けなければいけません。

・「ラーメン業界の不正や腐敗を常に監視」
・「拝金主義」や「使っていもいない食材」

というキーワードは「ラーメンそれ自体の監査員」とおっしゃる内容からはずいぶんと逸脱していると思いますが、どうお考えでしょうか?
まさか、ラーメンを食べただけでこれらの監視ができるとお考えですか?
Dr.Keiさんのおっしゃる内容を「正確」に実現するためには内情を知る必要があります。もし「不正確」で構わないとお考えなら、ラーメン評論家とクレーマーの違いは何なのでしょうか・・・

また「僕的には、客観的な視点での偽りない情報を評論家には求めていませんね。」というお言葉には驚きです。
客観的な情報を提供できない評論家にいかほどの価値があるのでしょうか?ただの私見でよいのなら評論家という存在はいらないのではないでしょうか?
いらない派
自浄作用が働かないのであれば排除はやむなし
ぼっちゃん猫
ラーメンに限らず、評論家が最も大切にしなければいけないのは倫理観だと思います。ラーメン評論家がラーメンについて真摯に語るのは良いと思います。でも、あえて「良く」語ること、逆に、あえて「悪く」語ることで、何らかの利益を得ようとするのは、それはもう広告業であって、評論ではないと思います。例えば、店、出版社、放送媒体から、「報酬を払うから宣伝して」と頼まれて、宣伝するのは評論ではないということです。また、ラーメン評論家が、ラーメンを評論をせず、店や店主と接触してあれこれ言うのは評論行為を逸脱していると思います。ラーメン評論家が信用されない一因は、倫理観の欠如によって、評論を商売としている、自らが評論でないものとしていることがあるのではないかと感じました。評論とは何か、評論家とは何かということを、評論家の方が一人一人真摯に考えることが大切ではなかろうかと今回の件で思いました。それが、受け手(読者等)への信頼にもつながる気がします。
Okazawa
ご無沙汰しております。拝見させていただきました。
一語一句に重みがあります。流石です。言葉の解釈はどうにでもできます。ですが生活を脅かす行為は受身側からは変えようがありません。keiさんやらんちばさんのような学ぶ方が増えると嬉しいですね。
Unknown
丁寧なご返信ありがとうございます。こちらこそ勘違いして返信してしまってすいません。

>ただ、良し悪しは常にあると思います。批判されるべき評論家は批判されるべきでしょうし、評価されるべき評論家は評価されてほしいです。ただ、それを決めるのは、制度というよりは、僕らみんな、ではないでしょうか。石神さんが評価されたのは、やはりみんなが彼の舌を評価したからでしょうし、彼を信じたからではないでしょうか。

もちろん彼の評論がある程度以上のクオリティだったからというのもあると思いますが、半分以上は時代背景によるものなのではないかと私は考えます。
これから先石神さんと同じことをしたとしても、世間から同じような評価を得ることはもうないでしょう。
もしある人物がこれからもラーメン評論家的な役割をしながら商業的に成功を収めたいなら、もっとユーザーのコストを抑える必要があると思います。

ユーザーというのは2種類います。ラーメンを食べる側のユーザーと作る側のユーザーです。
今ラーメン評論家というコンテンツは、作る側からしたらコストばっかりかかってリターンは一般客と同じかちょっとマシ程度、場合によるとマイナスになるとみなされ始めているわけです。それは今回の梅沢氏事件以前にもはんつ遠藤氏が入鹿TOKYOに取材拒否された経緯からも推察できることでした。
そして食べる側のユーザーの結構な人数からは「長文読む時間・労力をつぎ込んでまで利用したいとは思えないコンテンツ」としてみなされつつあるわけです。

今後もラーメン評論がユーザーに必要とされ続けるためには以下3つの改善点があると思います。

1.ラーメン評論というコンテンツを使用する際のコストを下げる
2.ラーメン評論というコンテンツがユーザーに提供する利益を増大させる
3.ラーメン評論というコンテンツの使い勝手を良くする

2.に関しては時間がかかると思うのでおいておくとして、
1.と3.に関してはすぐに行うことができると思います。

「1.ラーメン評論家というコンテンツを使用する際のコストを下げる」とはつまり、ラーメン屋に行った際ラーメン評論家であるとは気づかれないように行動することと、文章ではなく数値やグラフなどを用いて評価を簡素にまとめることです。
これは今すぐに始めることができます。

「3.ラーメン評論家というコンテンツの使い勝手を良くする」についての一つの方法は、前回もご提案した評論家に対する評価です。今回の騒動を見ていて、「ラーメン評論家の8割は酷い」というのは当たらずしも遠からず、に見えます。残り2割ほどの良い評論家にたどり着くために何度もチャレンジするほどユーザーは暇ではないのです。確実に良質な2割をユーザーが選択できるようにコンテンツを陳列しなければ、ラーメン評論という商品を手に取ってみる人は減少し続けると思います。
そしてこういった陳列は売り手側、つまり評論家サイドがやらない限り、誰もやらないでしょう。

しかしブログ主様もこのようなどこから物を言っているのかわからないような「評論」を書き込まれて大変でしょうね。
一つ一つは些細でも、積もり積もればかなりな精神的コストになります。
それが何年間も毎日のように続いたとなれば相当つらかったのではないでしょうか。
適当なところでご自愛くださいね。
sehensucht
Unknownさん

コメントありがとうございます。「今じゃ自称評論家様たちが評価しなくてもSNSなどですぐに分かるし本当においしいならあなたのような人がいなくても話題になって人気になりますしリピーターも獲得できます」というのはその通りだと思いますし、僕も、あなたのためにではなく、自分のために書いています。ただネット上なので、他の人も読めるようになっている食べ歩きの日記です。なので、「評論家は必要ない」「ブログは必要ない」という人には見て頂かなくてよいんです。「生きる上で必要ないもの」だけど、「それがあれば(もっと色々と知りたい人には)有益なもの」程度の存在でありましょう。もちろん評論家はお店のために存在しているわけでもありません。(上の記事にもいっぱい書きました)。「一般客は味が分からないから俺らが正しく評価してやるという上から目線になってる」というような評論家もいるかもしれませんが、そうでない評論家もいましたよ、ということはやっぱり言いたいですね。あと、Unknownさんにとっては必要なくても、僕にとっては必要な存在でした。その違いも大きいかもしれませんね。(石神さんの大ファンでしたから)
sehensucht
いなかっぺさん

こんにちは。いつもご覧いただき誠にありがとうございます。きっとずっとこのことを仰りたかったんだろうな、と感じました。そのいいタイミングができたという意味で、この記事を書いた甲斐がありました。

いなかっぺさんが一番お伝えしたいのは、「少なくともとある地元の店へのレビューがあまりに的外れであったことには、強い憤りを禁じえませんでした」という点だと思います。これ、大事なことなので、どのお店のどこの部分が的外れだったのか、是非お教えください。ただちに直します(ただし、いなかっぺさんのここでの言葉が本当に正しいのかどうかわからないので、そういう指摘がありました、と記載させていただきます)。

こういう間違いの指摘は時折受けます。その際は、すぐに直しています。どれだけ料理の勉強をして、ラーメンをどれだけ食べても、間違えることはします。プロの料理人でも間違えると何人もの料理人の人から聞きました。

また、「取材対象となる人は、曲がりなりにもインタビュー側と対等なやり取りがあるからで、だからこそ出版社などのマスメディアによる企画が一定の権威を持ち得る」と仰りますが、当然です。商品を売るのですから、ウラ(エビデンス?)を取るのは当然です。ただ、ブロガーの使命はそこにはないと思います。むしろ、一人の人間であるブロガーがそのラーメンやお店をどう経験したのかという主観的な視点こそが、大事な気がします(ブログはかつて「日記」と呼ばれていました)。間違いを含めて、個人的にラーメンをどう経験したのかを記述するのが、叙述的なブログ記事のいいところだと思います。それに、「間違えるなら書くな」というのは、実に日本的で、「文法を間違えるくらいなら英語でしゃべるな」というのと似ているな、と思いました。

謙遜でも逃げでもなく、僕は(ご存知の通り?)ず~っと「ラーメンブロガー」だと思っています。評論家と一般人のあいだの存在だと思っています。とはいえ、聴く耳はもつようにしています。もし誤ったことを書いているのに気付いたときは、是非是非、躊躇うことなく、お教えいただけると幸いです。すぐに訂正いたします!!
sehensucht
DCDさん

長い内容あるコメントありがとうございます。

「確かに民主主義国家など発言の自由が保障されているから評論家が成り立つと思いますが、それは民主主義等の副産物です」というのは、同感です。「評論家がいるから民主主義が成立するのではありません」と言い切ってよいかどうかはちょっと分かりません。あと、そんなことは僕も言っていません。

「ラーメン評論家はラーメン店で使用している食材や作り方、契約している業者などの情報を知る権利がある」と仰いますが、それとラーメン店の監視がどうつながるのか、よく分かりませんでした。監視の内容については、僕も語っていません。お店の監査員というよりは、ラーメンそれ自体の監査員じゃないかな?、と思いました。「客観的な視点で偏りのない情報を第三者に提供する」のも評論家の仕事の一つだと思いますが、それだけではない、というのがこの記事の趣旨です。僕的には、客観的な視点での偽りない情報を評論家には求めていませんね。また、同様に、評論家は傍観者ではなく、その渦中に常にいる専門家だと思います(理想的には…)
sehensucht
カルストさん

またまたのコメントありがとうございました。とても考えさせられる内容でした。「現在も評論家がその役を担う必要があるのかどうか、疑問に思っています」というのは、まさに今の「世論」そのものですね。これだけ話題になり、これだけ批判されるとなると、「ラーメン評論家の存在理由ってあるの?」ということになりますし、その意義が揺らいでるな、と思います。また、「評論家が業界の不正や腐敗を監視する役目を担うかどうかですが、個人的にはそれは難しい」という点については、「可能性レベルのお話」と思っていただけると幸いです。たしかに業界に癒着した評論家が多いのは事実だと思いますが、そうでない評論家も「あり」かな、と他の業界の評論家を見ていて思ったんですよね。

ちくわさん

コメントありがとうございます。「個人的な印象では撮り鉄みたいなものなのかな?と感じました」とお書きになっていますが、撮り鉄は多分ラーメンフリーク(ラヲタ)だと思います。鉄道業界にも「鉄道ジャーナリスト=評論家」がいるのはご存知ですか? 僕の知人で評論家?アナリスト?として活動しています。https://toyokeizai.net/list/author/%E8%A5%BF%E4%B8%8A+%E3%81%84%E3%81%A4%E3%81%8D 評論家に接しないでいても、多分なにも困らないと思います。そういう存在ではそもそもない、と言いますか…。

通りすがりさん

通りすがりさんは、「「ラーメン屋は美味いラーメンを作る。」
「ラーメン評論家は美味いラーメンを紹介する。」 ただこれだけの話…」と思っておられるのですね。美味しい(と思う)ラーメンを紹介するだけなら、SNS等で日々それを発信している人全員が評論家になってしまいますね。定義としては不十分だと思いますが、、、。あと、「繁盛したのはラーメン評論家のおかげだっていうのは言い過ぎ」と書いておられますが、そんなことは一言も言っていませんけど…。「ラーメン評論家の地位を落としたくないとお考えなら『我関せず』で良いかと」という通りすがりさんのご助言、ありがとうございます。

taさん

コメントありがとうございます。「実家が飲食経営ですが本当にその類いの人ってゴミしか会ったことがないんですよね」、とのこと、お気持ちお察しいたします。きっとあることないこと、好き勝手に書かれて嫌な思いをされたことでしょう。…ただ、今思い出しましたが、「大学教員」も今や、本当に毎回毎回匿名で学生からあることないこと書かれていますが、それもまた「学生の意見」ということで受け止めています。「テレビほどの影響もないのに文句だけ言って帰る人間なんて何のプラスになるわけ?」と仰いますが、テレビではまず文句って出ないですよね。むしろお客さんのホンネってそういう人間から教えてもらえるとも言えませんか??

ラーメンは好きさん

「食べて美味しかったら、また行けばいい。納得しなかったら行かなけりゃいい。ラーメンてそんな事でしょ」というご意見には僕も共感いたします。それでよいと思います。ただ、「自分でラーメン作る事もしない奴が、何故にどうしてラーメンを語れる?」というのは、うーん。例えば、「自分で授業をしたことや教育したことがないやつが、なぜに授業や教育を語れる?」と言われたら、同意してもらえますか?? 
Unknown
ラーメン評論家はマジで必要ないです。
ラーメンがおいしいかどうかなんて今じゃ自称評論家様たちが評価しなくてもSNSなどですぐに分かるし本当においしいならあなたのような人がいなくても話題になって人気になりますしリピーターも獲得できます。
ラーメン評論家という存在は一般客は味が分からないから俺らが正しく評価してやるという上から目線になってるうえに静かに食事もできない迷惑な客です。
いなかっぺ
千葉県内を津々浦々、様々なお店を探検し、紹介する熱量には大変感服いたします。

ところで、時おり論評として店への苦言とも取れる発言が散見していますが、これはいかがなものかと思います。

ラーメン評論家についてはさておき、かつて誌面で活躍していたような人達は、取材をはじめ、多くの工程を経て世に公開されました。

ここで重要なのは、取材対象となる人は、曲がりなりにもインタビュー側と対等なやり取りがあるからで、だからこそ出版社などのマスメディアによる企画が一定の権威を持ち得るのです。

翻って、ブログやツイッターなどのレポートのほとんどは、実食の感想に過ぎず、仮に店の人へのヒヤリングも満足にできないことでしょう。

にもかかわらず、主観ばかりの材料で、しかも一度きりの体験でどうして評論などできるでしょうか。

私はDr,kei氏のような調理学校への学習経験や語彙を持ち合わせてはいませんが、少なくともとある地元の店へのレビューがあまりに的外れであったことには、強い憤りを禁じえませんでした。

美味かった、まずかった、と感想を述べられるのは大いに結構です。しかしながら、したり顔でうんちくを並べ、あまつさえそれが誤りであったとすれば、ご懸命な貴氏であればお察しいただけると存じます。

いちユーザーがそれを指摘するのは、直接に利害がない第三者ががなるのは野暮に過ぎますが、悲しいかな貴氏のレビューが検索の1ページ目に躍り出ている現実です。

ラーメン評論家というものに、そもそもプロアマと分かれるのかも甚だ疑問に思いますが、一部のお店からそうした人たちへの抗議とも取れる言葉を見かけました。

食後の感想だけなら知らず、具材や出汁、果ては経営指南までなされるのであれば、少なくとも取材対象者を納得できるだけの言葉を持ち合わせなくて、どうしてプロを名乗れるものでしょうか。一方的な書き散らかしは、ただのマスタベーションに過ぎません。プロアマ問わず、見苦しいことは言うまでもありません。


ご謙遜か逃げかはわかりませんが、あえてご自身で評論家を称することは辞退されてはいるものの、ネット界隈の現状を鑑みるに、一定の影響力を持っている貴氏にあって、今後のご活躍において、少なくとも間違いのないレポートを切望してやみません。

冒頭にも述べましたが、地元以外の古いお店をくまなく回られる情熱へは、厚く敬服してやみません。
DCD
ブログを拝見したところ、「玉石混交ではあるがラーメン評論家はラーメン店や業界の周知・発展に貢献しているので意味がある」ということをおっしゃりたいのだと理解しました。
私もその考えには同意です。グルメ本やラーメンの情報誌があることからも、一定の需要はあると考えます。
あくまでも第三者への情報発信による広告効果がある程度見込まれる程度ですが。

ですが、評論家の役割や価値を過大評価されているように思えます。確かに民主主義国家など発言の自由が保障されているから評論家が成り立つと思いますが、それは民主主義等の副産物です。評論家がいるから民主主義が成立するのではありません。

また、ラーメン店の監視もラーメン評論家の役割ということですが、裏を返せば「ラーメン評論家はラーメン店で使用している食材や作り方、契約している業者などの情報を知る権利がある」という意味になります。
これがあり得ないことはご理解いただけると思います。
評論家は監査員にはなれません。他業種の評論家も、公開されている情報から推論しているにすぎません。

どの世界の評論家も、業界の関係者ではなく傍観者です。客観的な視点で偏りのない情報を第三者に提供するのが役割だと考えますし、それ以外の価値はないと思います。

また、傍観者のため「文化」の外に存在し「文化」に関わりのない他人に過ぎないことを認識するべきではないでしょうか。
通りすがり
ラーメン店と協力してきた歴史があるとか言ってるけど癒着及び寄生してきただけじゃないの?
評論家が一緒にラーメン文化を発展させてきたとか...。
評論家側が一方的に言ってる感じ。全く信用できない。

誰でもなれる名乗ったもん勝ちの評論家が世の中に必要だとか本気で思ってるとしたら痛いと思いました。
ラーメンは好き。
食べて美味しかったら、また行けばいい。
納得しなかったら行かなけりゃいい。

ラーメンてそんな事でしょ。
自分でラーメン作る事もしない奴が、何故にどうしてラーメンを語れる?
ラーメン評論家てさ、自分の舌を自慢して自己満の自慰行為やってるのと一緒だで。
ta
前コメの続き<
実家が飲食経営ですが
本当にその類いの人人ってゴミしか会ったことがないんですよね。
店側からするとめっちゃ嫌だろうよ。テレビほどの影響もないのに文句だけ言って帰る人間なんて何のプラスになるわけ?
ta
ラーメンのことガタガタ言うんだったら仕事でもしてろや
今の時代ラーメン評論家なんか要らないし。
通りすがり
コメント返しがあるかなと覗いたら『コメントがすぐ消されてました。』

「ラーメン屋は美味いラーメンを作る。」
「ラーメン評論家は美味いラーメンを紹介する。」

ただこれだけの話…
美味いと評価した店が、繁盛したらいいだけの話。

たしかにプロモーションは大切ですが…
繁盛したのはラーメン評論家のおかげだっていうのは言い過ぎ…

「俺が宣伝したからだ!」って
そう勘違いした人がいるからこんな事態になったのでは?と思います。

友好関係があるから名前を出したのかもしれませんが他のラーメン評論家の名前を出すのちょっと違うと思います。(他の方はお手本のように無反応ですし…)

梅澤さんの記事に反応して、
出した記事だとは思いますが…
ラーメン評論家の地位を落としたくないとお考えなら『我関せず』で良いかと。

うーんこれも消されるのでしょうか?
それとも訴えられるのかな?
それともちゃんと記事を読んでくださいと言われるのでしょうか?

あー無反応が正解ですかねw
ちくわ
ごめんなさい。
ラーメン評論家を気にした事はありません。
今回の事件で初めて知りました。
個人的な印象では撮り鉄みたいなものなのかな?と感じました。
今まで気にしていなかっただけに、評論家の意義をあまり見いだせません。
カルスト
多くのコメントがある中、丁寧にご回答頂きありがとうございます。

>カルストさんが引いた文章の後に、「まだ、そういうことをしているラーメン評論家はいませんが、今後そういう超厳しいラーメン評論家が出てきてもおかしくはありません」、と書いています。

これは完全に私の見落としです。失礼しました。
私は、かつてラーメン評論家という存在がラーメン業界をもり立てるために一役買ったことは否定しません。
ただ、現在も評論家がその役を担う必要があるのかどうか、疑問に思っています。

また、評論家が業界の不正や腐敗を監視する役目を担うかどうかですが、個人的にはそれは難しいと思います。
どの業界の評論家も、ある程度は業者とギブアンドテイクの関係を持っているでしょう。そういう点を忖度しない評論家もいらっしゃるとは思いますが、そうした方はごく少数派であり、少数派であるがために業界や世間に対する影響力も小さいのではないでしょうか。

今回の梅澤さんのケースは、今のところ当事者の一方からしか情報が出ていないため簡単に判断することはできませんが、ラーメン評論家や評論をするラーメン店主から根拠を示した論理的な反論がなされていないのは残念です。

つたない意見におつきあいいただき、ありがとうございました。
sehensucht
Unknownさん

またまたのコメントありがとうございます。お返事するコメントの数が多くてやや乱雑ですみません…。

時代はたしかに変わりました。ただどう変わっても、「よい評論家とそうでもない評論家をわけて評価するような制度」というのは難しいかなって思います。政治評論家や映画評論家もなかなか評価できませんよね?? ただ、良し悪しは常にあると思います。批判されるべき評論家は批判されるべきでしょうし、評価されるべき評論家は評価されてほしいです。ただ、それを決めるのは、制度というよりは、僕らみんな、ではないでしょうか。石神さんが評価されたのは、やはりみんなが彼の舌を評価したからでしょうし、彼を信じたからではないでしょうか。

「必ずしも良質の評論家とは限らないなら、顔見知りの口コミと比較したときに情報の仕入れ先としてコスト(時間または金銭)をかけてまで選択するかと言われると、そうではないことが増えたのではないか」というのは、多分昔も今も変わらないと思います。「口コミ」は最強です。口コミとは、「みんなの判断」に属するものだと思います。評論家の本を持って食べ歩いても、最終的に感動するのは、地元のおっちゃんの口コミだったりします。…と考えると、評論家の役割はあくまでも「入り口」(案内人・ガイド)ということになりそうですね。
sehensucht
Unknownさん

コメントありがとうございます。

「全ての個人に対して情報発信が許された現代となっては、情報一つ一つの単価が下がったのだから、ラーメン評論家が大衆に提供できる価値が相対的に下がってしまったのも無理からぬことと思います」、というご意見に対しては疑問があります。逆に情報が過多だからこそ、その中で「選ぶ」という行為が必要になってくるのではないでしょうか? ラーメンの場合、ものすごい数のラーメン店があります。情報もものすごく多いです。だからこそ、「ガイド」となる指標?がますます必要になってくるのではないでしょうか?

「ラーメン評論家を名乗る方からの情報のクオリティは、20年前よりも高品質になったようには思えません」というご指摘については、全面的に同意します。そこには、僕も強い危機意識をもっています。それゆえに、この記事を書いたのです。

「ラーメン評論家の方たちに批評されて、昨今のラーメンのクオリティや多様性は素晴らしいものになりました。今度はラーメン評論家の批評が必要な時代なのかもしれませんね」というのは、まさに!!!って感じで読ませていただきました。僕はブロガーですが、いつでも批評されたいです。ダメなところはダメと言ってくれる読者さんもいっぱいいますし、間違っているところを指摘してくれる読者さんもいつもいてくれるんです。

評論家の批評は、本当に大事だと思います!!
sehensucht
Unknownさん

「一般人が知りたいのはメニューと値段だけなんではないでしょうか?」というのは、よく分かりません。僕は、ラーメン評論家の石神さんや武内さんや山路さんから、「よいお店」をたくさん教えていただきました。地方に行ったら、その土地の信頼できる本やブロガーさんからおススメのお店を学び、食べ歩いてきました。もちろん、そのおススメされたお店のすべてが必ずしも「よいお店」と思ったわけではありませんが、色々と学ぶことは多々ありました。「おいしいかどうか」という基準ではなく、「その土地で食べる意味があるか」という基準で考えると、誰かに教えてもらう必要はあるのではないでしょうか?
sehensucht
JINさん

中身と重みのあるコメント、ありがとうございました。ずしりとくる内容で、何度も読ませていただきました。

「ここで言う優れたラーメン店とは何がどう優れているのでしょうか?」については、これは「経験値」としか言いようがないと思います。10軒のラーメンを食べた人、100軒のラーメンを食べた人、1000軒のラーメンを食べた人とでは、多分「優れている」の定義が違ってきていると思います。10000を超えると、よほどじゃないと心は動きません。それは、音楽にせよ、絵画にせよ、なんにしても同じことではないかな、と思いますが…。

「根拠が出せない以上、味の基準は所詮評価者の主観かと思います」というのは、その通りだと思います。ただ、その「主観性」もどんどん研ぎ澄まされていきます。「主観性」というよりは「判断力」だと思いますが、判断の質は訓練によって高めていくことはできると思います。ただの「うまい/まずい」ではなく、「すごい/すごくない」という基準もあります。

「一部の限られた店の情報のみ肯定的に紹介する記事群が市場の寡占化を妨げる根拠になり得るとは考え難くありませんか?」というご指摘は全くその通りだと思います。だからこそ、きちんとした評論家が必要だと思うのです。「一部の限られた店の情報のみ肯定的に紹介する記事」を書くのはライターであって、クリティカルな評論家ではないと思います。僕はそのことを意識して、16年このブログを書き続けています(評論家ではないですが…)。

公権力とラーメン店を同列に語ってよいかという疑問については、「ラーメン業界の不正や腐敗を常に監視して、常に健全な状態に保つ役割」もあるのでは?と言っているだけです。「お客さん」は、行きたければ行くし、行きたくなければいかない、それだけですが、評論家はもう一歩踏み込んで、ウォッチできる立場に立てないか、という話です。

「残念ながら貴方のような記事を書く方ばかりでないもまた事実ではあります」というのは、僕自身が痛いほどに感じていることです。だからこそのこの記事なんです。評論家自身が自己批判をしないで、どうする!?って。あまりにもイノセントな評論家?が多いなぁと思うんですよね…。

ご返答になっているでしょうか…💦
Unknown
>店舗情報ならいくらでもありますよね。ただ、よい評論家さんがいれば、その人のガイドで(食べ歩く時間や手間を省いて)美味しいラーメンを集中的に食べられる、というメリットもまた否定できないと思いますが…。

その通りです。ただ美味しいラーメンを集中的に食べるための情報の仕入れ先として、以前はラーメン評論家しかいなかった、または最大手の情報仕入れ先でした。現在はそうでもない、ということです。
なぜならよい評論家とそうでもない評論家をわけて評価するような制度がないからです。
情報の消費者にとっては、良い評論家も、悪い評論家も「ラーメン評論家」です。
必ずしも良質の評論家とは限らないなら、顔見知りの口コミと比較したときに情報の仕入れ先としてコスト(時間または金銭)をかけてまで選択するかと言われると、そうではないことが増えたのではないかという話です。
sehensucht
Unknownさん

「ラーメン評論家って店主が丹精込めて作ったラーメンを食べて自分の好き勝手言ってるだけ」とは僕は思いませんし、だから、この記事を書きました。まぁ、政治評論家もそんな感じで批判されていますけど…。この記事の真意は、(ラーメンに限らず)評論家の意義はなにか、というものです。「評論家なんていらない」という意見が多数ありますので、それに対して、僕的に意味づけをしてみたのです。でも、あんまり共感されなかったので、あまり説得力がなかったのかな?、と思いました。僕もまだまだです…。
sehensucht
カルストさん

ご丁寧なコメントありがとうございます。カルストさんが引いた文章の後に、「まだ、そういうことをしているラーメン評論家はいませんが、今後そういう超厳しいラーメン評論家が出てきてもおかしくはありません」、と書いています。なので、「理想論」といえば「理想論」ですね。でも、「評論家それ自体」の意義としてそう考えることもできますよね、っていう話です。ただ、そこを強調するより、「まだ知られていないお店の価値を見いだすこと」の方を強調すべきだったと反省しています…。
sehensucht
一般人さん→今回の記事は、梅澤さんについての記事ではないので、最初のツイートだけ引用したまでです。僕は評論家ではないし、一度もそう名乗ったこともありませんよ。

Unknownさん→フジテレビの人の件については少し聴きましたが、詳しいことは理解していません。

一般人さん→「自らの味覚の信頼性を客観的に明らかにして評論家を名乗る制度」という案もネット上で出ていましたね。ラーメンに関しては、ワイン等に比べて「曖昧性」「時代性」「多様性」が強いので難しいと僕は思います。僕も「味音痴」だと思っているので、なんともいえません…。

Unknownさん→店舗情報ならいくらでもありますよね。ただ、よい評論家さんがいれば、その人のガイドで(食べ歩く時間や手間を省いて)美味しいラーメンを集中的に食べられる、というメリットもまた否定できないと思いますが…。
Unknown
かつてラーメン評論家はラーメン界の発展に貢献し、一般大衆に良質なラーメン店を紹介してくれる貴重な存在だったと思います。
ただそれは、情報の流通が一部メディアの寡占状態にあったからではないでしょうか。
全ての個人に対して情報発信が許された現代となっては、情報一つ一つの単価が下がったのだから、ラーメン評論家が大衆に提供できる価値が相対的に下がってしまったのも無理からぬことと思います。
ラーメン評論家が提供する価値が下落した中で、果たしてこのラーメン評論家という人たちから情報を仕入れる価値があるのか、店側からしたら情報を提供する価値があるのか、お店の手間や労力と天秤にかけられるのは当然の成り行きのように思います。そして実体験として、ラーメン評論家を名乗る方からの情報のクオリティは、20年前よりも高品質になったようには思えません。
ラーメン評論家の方たちに批評されて、昨今のラーメンのクオリティや多様性は素晴らしいものになりました。
今度はラーメン評論家の批評が必要な時代なのかもしれませんね。
sehensucht
何度もしつこく誹謗中傷してくるUnknownさん(巨大掲示板にも書き込んでいますね)

あなたのコメントは全部削除ではなく、非公開で保存してあります。これ以上しつこくコメントする場合、gooブログ管理者、弁護士、警察等に相談します。某掲示板のIDも控えてあります。

こんなブログにコメントするお時間をもっとあなたの時間に使ってください。あなたも僕も限られた命を生きています。きっとあなたもラーメンがお好きな方だと思います。僕のブログなんて開かないで、あなたの時間をあなたのために使ってください(心からのお願いです)。

某店のツイートの件ですが、あれを読んだ時に、「さすがだなぁ」と思いました。ちゃんと言葉の奥(行間)まで読み取ってくださって、とても賢く聡明な方なんだなぁと思いましたよ。

きっと何かが違えば、あなたとも語り合える関係になれるんだろうな、とも思っています(そんなこと、お望みじゃないかもしれませんが…)。コメントをくださったことについては感謝しています。何度も削除してすみません(ただ、この16年、自分の削除基準に従って削除しているので、お許しください)
Unknown
一般人が知りたいのはメニューと値段だけなんではないでしょうか?
JIN
はじめまして。
偶々通りかかり、最後まで拝読させて頂きました。
いくつか疑問に思いましたので、折角読ませて頂いた縁ですので
私見として、少々足跡を残そうかと思った次第です。
通りがかりの戯言と思って聞き流して頂いて構いません。

>>①ラーメン評論家がいるおかげで、短期間で優れたラーメン店をたくさん知ることができる。

まず第一の疑問です。
ここで言う優れたラーメン店とは何がどう優れているのでしょうか?
逆説的に言えば、優れていないラーメン店とはどういった店を指すのでしょうか?
何らかの明確な基準があって(例えばうま味成分のグルタミン酸やイノシン酸が他の平均的なラーメン店よりx%多い等)言えるのであれば根拠と言えるのでしょうが、そういった根拠が出せない以上、味の基準は所詮評価者の主観かと思います。
そもそも、全てのラーメン店を網羅しての批評でない以上、優れたラーメン店ではない故評価されなかった店と、食べに行ってすらいないラーメン店を同列に並べることになります。そのリストに何の意味があるのでしょうか?
私自身がそういった批評をすることはありませんが、仮に書くのであれば、こういう嗜好の方には方にはおすすめといったような書き方しかできません。
味覚は主観であり嗜好があるものです。それに関して優劣を語るという段階で、この項目は評価しにくいです。

>>⑤ラーメン業界の寡占化を防ぎ、新たなチャンスを皆に与える。

SNS等において気軽に情報を発信できるようになる以前、もっと言えばラーメン評論家というような方がいなかった時代、ラーメン業界は寡占状態にあったでしょうか?
メディアや自称専門家の方が色々なメディアで紹介するにつれ、紹介されたラーメン屋が評判になりチェーン展開し寡占(とまでは言いませんが大規模展開する)ようになったように思います。
一部の限られた店の情報のみ肯定的に紹介する記事群が市場の寡占化を妨げる根拠になり得るとは考え難くありませんか?

>>「評論家の軽視」や「評論家の侮蔑」は、結果として怖い帰結をもたらす可能性があるからです。

上記2項目目の記事にも関連することですが、公権力をもつ政治家、国家に対する批評をする評論家と一私企業であるラーメン店を批評する評論家を同列の価値基準で語る事には非常に違和感を感じます。
政治権力に対する批評は、それを行わない事に対する悪影響については全く同意致します。
しかし、私企業、かつ生活必需品を独占している訳ではないラーメン店に対して評価者による主観での評価が公権力に対する批評と同等に必要でしょうか?
この意見に関しては議論の範囲を無駄に大きくするだけで、ラーメン評論家の立場を却って悪くしているように感じます。


私自身食べログ等の口コミを読んだりしますし、貴方のような評論家の存在を否定する訳ではありません。
他の記事もいくつか拝見させて頂きましたが、主観をあくまで主観として書かれてあり、好印象な記事ばかりでした。
しかし、残念ながら貴方のような記事を書く方ばかりでないもまた事実ではあります。
この記事では一概にラーメン評論家が必要であるという結論を基に書かれていますが、恐らく私が感じた疑問、違和感は議論より先に評論家が必要と結論付けた論評だからだと思います。
貴方のような良心的な評論家が増えることを切に願っております。
Unknown
ラーメン評論家って店主が丹精込めて作ったラーメンを食べて自分の好き勝手言ってるだけであって、評論家って名乗ってラーメン食ってる一般人だろ

むしろラーメン店を経営してる人とか作ってる人が他の店の人と意見交換してる情報とかを世に出す方がよっぽどラーメン界に有益だと思う
カルスト
Dr.kei様
初めてコメントいたします。この問題について個人的に興味があり、貴ブログにたどり着きました。さて、次のご主張に異論があります。

>ラーメン評論家も、そういうラーメン業界の不正や腐敗を常に監視して、常に健全な状態に保つ役割をもっています。

こんなことしているラーメン評論家さんっているのでしょうか?
例えば梅澤さんのツイートに関するツイートやリツイートの中に、ラーメン店主と評論家がお互いを褒めながら一方で梅澤さんを批判する、というものがありました。また、梅澤さんの告発が正しいならば、彼女が関わりを断った評論家は、彼女に対する誹謗中傷を自分のブログに書いたとか。
こうした人物達を「似非評論家」と言ってしまうのは簡単でしょうが、実際にはこうした人物達はラーメン評論家として世間に認知されているわけです。
「ラーメン評論家はラーメン業界の不正や腐敗を常に監視して、常に健全な状態に保つ役割をもっている」というのは理想であって、実態とはかけ離れているのではないでしょうか。
乱文失礼いたしました。
Unknown
別にラーメン評論家じゃなくても今の時代、SNSでいくらでも一般人が美味しいお店を発信してるので、いくらでも知る事が出来るので…
一般人
自らの味覚の信頼性を客観的に明らかにして評論家を名乗る制度を作れないものかね?
味音痴がラーメンを何千杯食ったから俺様は評論家だと言ってるのだったら勘弁してほしいね。
Unknown
件のツイートを見てカチンと来て「それでも評論家は必要だ!」って記事を脊椎反射で立てたんだろうけど、それって何の配慮も無いフジテレビの人と同じなんだよなぁ…これだから(自称)評論家って駄目なんだよ

そういうとこだぞ
一般人
そのツイートだけ切り取ってこちらのツイートを載せないのはアンフェアなのでは??
https://twitter.com/MAYUKA_YAGUMO/status/1441223137098567685

ラーメン評論家気取りって勘違いしてますねぇ。。。
sehensucht
山田さん

度々のコメント、ありがとうございます。少し攻撃的?なコメントが続いていて、気持ちが荒んでいました…。すみません。

「これはラーメン店主のうち、どの程度の割合なのでしょうか。発言している方に女性が見受けられず、男性主体の業界なのだなと感じております」というご指摘はとても重要なものだと思います。(ただどういう意味で山田さんがこの質問をなさっているのかの真意は少し分かりかねますが…)

具体的な割合は分かりませんが、僕はこれまでたくさんの女性店主さんと出会い、お話してきました。直近ですと…

https://blog.goo.ne.jp/sehensucht/e/af35f417dba5a8a52c9955470c8c13ab

こちらのお店の店主さんは、もう心から素敵だなぁと思う女性店主さんでした。北は北海道から、南は沖縄まで、女性店主さん(店長さん、店員さん)はいっぱいいますし、都内にも名物店主さんが何人もいます。荏原中延の「中華そば多賀野」はご存知ですか?

ただ、「発言している方に女性が見受けられず、男性主体の業界なのだな」というご意見は、客側の観点としては、正しいと思います。逆にイタリアンやフレンチやスイーツになると、逆に女性主体の業界ではないですか?? その意味では、まだまだラーメンはバリバリ「男性の世界」だと思います。(ここは変わっていかなければならない点だと思います)

でも、今回のこの記事へのコメントを読んで、僕も少し危機感を持ちました。「男性中心のラーメン業界で、どう女性の活躍をサポートするか」、「女性店主さんに対するマウント取りやセクハラ的嫌がらせをどう断ち切るか」。これはあまり考えてこなかったテーマだと思いますので…。

貴重なご意見、ありがとうございましたm(__)m
山田
重ねての投稿失礼いたします。
先ほどのコメントで「これはラーメン店主のうち、どの程度の割合なのでしょうか。発言している方に女性が見受けられず、男性主体の業界なのだなと感じております。」と質問いたしましたが、Keiさんのブログ主旨に反する質問と思い、撤回させていただきます。

私へのご返信は大丈夫です。お相手いただきありがとうございました。また、上から目線に感じられたとのことお詫び申し上げます。それでは失礼いたします。
山田
早速のご返信ありがとうございます。
議論が二つあるという点、同意しております。その上で、このブログを拝読したなかで先程のコメントをいたしました。①について言及したとありますが、私がそのように感じなかったのは、Keiさんが追記された箇所が目に飛び込んできたことに起因しました。その点に関しては、追記いただいた内容を拝読し、そのような意図がないことを理解いたしました。

>山田さんが切り抜いた僕の引用には、誤読があります。「梅澤さんは(中略)「ラーメン評論家」をあまり侮蔑しないでほしいと思うのです」とお書きになっていますが、明らかにミスリードです。記事の冒頭にも書いていますが、梅澤さん(お店側)については触れていません。「侮蔑
しないでほしい」というのは、一般の多くの人に対してのメッセージです。

冒頭コメントの通り、追記内容を拝読しました。当初のものは同じ段落内で続けての記載であり、梅澤さんサイドへのメッセージだと解釈しておりました。修正いただきありがとうございました。

>最後に「他の方のコメントに「どれだけラーメンを食べている人か分かりませんが、」とのマウントがありました」とありますが、これもミスリードです。よく読んでください。「全国には、梅澤さん以外にもたくさん女性の店主さん・店員さんがいる」ということをお話しているだけです。(それに、やはり「食べている量」は大事だとも思います。話の前提(知識や考え方の前提)が違ってくるので…)

なるほどです。失礼いたしました。ぜひご教示いただきたいのですが、

>日本の老舗のラーメン食堂(主に地方)には、女性がいっぱいいます

これはラーメン店主のうち、どの程度の割合なのでしょうか。発言している方に女性が見受けられず、男性主体の業界なのだなと感じております。
sehensucht
山田さん

コメントありがとうございます。今回の件では、議論が二つ、同時並行で行われているように思います。①ラーメン評論家とは何なのか? ②男性客(評論家)による女性店主へのセクハラ問題、です。この記事は①についての僕なりの返答であります。②については、この記事では問題にしていません。

山田さんが切り抜いた僕の引用には、誤読があります。「梅澤さんは(中略)「ラーメン評論家」をあまり侮蔑しないでほしいと思うのです」とお書きになっていますが、明らかにミスリードです。記事の冒頭にも書いていますが、梅澤さん(お店側)については触れていません。「侮蔑しないでほしい」というのは、一般の多くの人に対してのメッセージです。

「ラーメン業界の方から、セクハラやマウンティングに対しての問題提起がなされていないこと、セカンドレイプとも取れる発言が散見されること、とても悲しく、ただのラーメン好きとして驚いています」とお書きになっていますが、それは(大変申し訳ありませんが)あなたの問題であって、この記事の内容とは関係ありませんし、その観点からこの記事について感想を述べられてもこちらから申し上げることはありません。

最後に「他の方のコメントに「どれだけラーメンを食べている人か分かりませんが、」とのマウントがありました」とありますが、これもミスリードです。よく読んでください。「全国には、梅澤さん以外にもたくさん女性の店主さん・店員さんがいる」ということをお話しているだけです。(それに、やはり「食べている量」は大事だとも思います。話の前提(知識や考え方の前提)が違ってくるので…)

対話をしたいのではなく、ただ上から目線で話を歪曲してご自分の言いたいことを言いたいだけであるなら、もうお返事を下さらなくて結構です。ご自分のSNS等でそのことを存分に訴えてください。もちろん対話を求めているのなら、いくらでも応じますけど…。
山田
梅澤さんは評論家を否定していません。セクハラ、マウンティングをしてくる評論家に対しての発言です。

>梅澤さんは(中略)「ラーメン評論家」をあまり侮蔑しないでほしいと思うのです
とのことですが、評論家を侮蔑・軽視しているのは、梅澤さんではなく「セクハラ、マウンティングをする評論家」ではありませんか。評論家として胸を張っているのであれば、時代錯誤なセクハラ、マウンティングをする自称評論家に対して憤るのが筋ではないでしょうか…。

ラーメン業界の方から、セクハラやマウンティングに対しての問題提起がなされていないこと、セカンドレイプとも取れる発言が散見されること、とても悲しく、ただのラーメン好きとして驚いています。(他の方のコメントに「どれだけラーメンを食べている人か分かりませんが、」とのマウントがありましたので記載しておきました)
sehensucht
アキさん

コメントありがとうございます。とても僕の急所を突く鋭いご指摘で、「うおおお…」ってなりました。特に「本物として認められていて、知識も能力もある人ほど、マウント取ったり、セクハラしたりする人が多いのがラーメン評論家業界ですよね」というご指摘は、もうあまりにも本質的なご指摘ゆえに、狼狽?しています。特に「(無邪気なラーメン好きの男性の)自覚していない言動」に迫るもので、その点については同意するしかありません。これまでラーメン界って、ほぼ男性中心社会でした。お店側には女性(従業員)もたくさんいますが、食べ手(評論家を含め)は男性ばかりでした。その部分については、たしかに見落としていました。

ただ、それについては意識していたので、梅澤さんの見解については触れずにこの記事を書きました。そして、マウント取りやセクハラまがいな言動をするような似非評論家を批判するために、「評論家とは何か」を書きました。それはそれで、梅澤さんのようなお若い女性店主さんに接近する人たちへの警告にはなるかと思います(が、これだけでは伝わりませんね…)。

ただ、梅澤さんに限らず、多くの店主さんが同じような苦しみや怒りを感じていると思います。マウントやセクハラだけではない話だとも思います。ただ、同時に、そういう似非評論家をうまく利用して(おだてて)、利用価値がなくなったら切り捨てるという店主さんもいます。男性店主さんが若い女性客やバイトにちょっかいを出す(セクハラ発言をする)という話も多数耳にしています。一つ前のコメントにも書きましたが、お店か客か、ではなく、まともかクズか、という話なんだと思います。お店の人については僕は何も言えません。客側(評論家側)に対しては、厳しく指摘できるかな、と。

そして、最後に「個人的にはKeiさんは好きです」との一言。もう完全に参りました…(苦笑)。ラーメン店とセクシャリティーというテーマでもいつか語ってみたくなりました。難しいと思いますが…
アキ
あの女性店主の投稿は評論家が不要だという内容ではないですよね。マウントを取ったりセクハラされるから嫌だとのことです。
マウントを取ったりセクハラすることと、本物の批評家か似非批評家かは関係ありません。むしろ、本物として認められていて、知識も能力もある人ほど、マウント取ったり、セクハラしたりする人が多いのがラーメン評論家業界ですよね。そこにきっと気付きながら、そこを無視した記事だから同意するコメントが少ないのではと思います。
個人的にはKeiさんは好きです。
sehensucht
まほさん

コメントありがとうございました! 「まず、評論家の意識を変えてからじゃないのでしょうか」というのは、もう、まさにその通りで、それゆえにこの記事を書いたのです。

厳密に言えば、まさに今、「評論家」を名乗っている似非評論家(自称評論家・なんちゃって評論家・勘違い評論家(+YouTuber)等)を退治(?)するために、この記事を(鬼の心で)書きました。16年以上、ほぼ毎日ラーメンの記事を書き続け、調理師免許をもち、更に100冊以上のラーメン本(論文)を読んできた僕でも、「ラーメン評論家」を名乗れるとは思っていません(恐れ多すぎます)。なので、安易に「評論家」を名乗る人間を信用することはできません。

あの女性店主さんの尊厳を傷つけた人たちは、きっとまさにそういう「似非評論家」「勘違い評論家もどき」だと僕は思っています。

もちろん僕も(フェミニストでもあるので)女性店主を興味本位で(あるいは異性の目で)見て、近づいてきて、マウントを取り、上から目線でモノ言う人間を許す気は全くございません。

なお、まほさんがどれだけラーメンを食べている人か分かりませんが、日本の老舗のラーメン食堂(主に地方)には、女性がいっぱいいます。名もなき無数の女性店主さん・店員さんのお力があって、これまでラーメン文化が育まれてきました。男性・女性問わず、優れた店主さんはしっかりと評価され、そして輝いてほしいですよね。
まほ
まず、評論家の意識を変えてからじゃないのでしょうか。
ラーメンって食品の一つなのに評論も何もないはずでは?そんな女性をバカにする業界はさっさと滅びたらいいと思います。

彼女の尊厳をボロボロにしておいて、評論家が必要だって図々しいです。
sehensucht
Unknownさん→ありがとうございます。もちろんばっちり見てますよ! ラーメンや店主さん側の「評論家」の話はとても考えさせられました。

定点観測者さん→全部、同感です! 特に「評論家」と「似非」がごちゃごちゃになっているところが大問題だとは思います。なので、その「似非」を「似非だ!」と言うために、この記事を書いたつもりです。「評論家を甘く考えないでね」、と。

ぽんさん→中村さんの話は知りませんでした。すごく勉強になりました。日本のラーメン界も評論家や語る人がいっぱいいたからこそ、これだけ認知されたんですよね。感謝!

Unknownさん→貴重なご意見ありがとうございます! 再検討して、書き直してみます。寡占化のところは僕も少し違和感があったので…。こういうご指摘は大歓迎です!

サトサトさん→「元アイドルというレッテルを勝手に貼って、経営者と見ていない。軽視している、さらにワンチャンあるか?なんて、勘違いしている名ばかりの評論家気取りが多くなってきたから、このような事態になったのではないでしょうか?」という問いには全面的に共感します。だからこそ、この記事を書いたのです。そんなのは、評論家じゃない!って。「似非の自称評論家」を暴くためにも、これまできちんと評論してきた人のことを書いておきたい、というのがこの記事を書いた理由です。読んでくださり、ありがとうございました!

二郎好きさん→「多くの男性ラーメン関係者が全くそこを理解していない辺り、自浄作用の無い業界だなぁとは思います」というのは、僕も共感しました。そもそもラーメン業界って「男性中心社会」でしたよね。作り手も食べ手もみんな男性ばかり。その中に女性が入り込んでいくのだから、考えたら、すごいことです。自民党の中でも女性議員さんが必死に頑張っていますが、それでもなかなか男性社会を壊せずにいます。ただ逆も同じで、女性中心の社会に男性が入っていくと、ものすごいセクハラ的なことを受けます。その最前線が(僕の専門でもある)保育という世界だったりもします。そうなると、これは単に評論家の問題ではなくなりますよね。男女共同参画社会をどう作るか、という議論に昇華されていく気がしますし、そうあってほしいですね。

keiより。
二郎好き
批評がいけないんではなく、相手が女性だかららセクハラまがいやパワハラ同然の行いをするというのが良くない、というのが件のツイートの訴えですよね。
多くの男性ラーメン関係者が全くそこを理解していない辺り、自浄作用の無い業界だなぁとは思います
サトサト
例のTweetから「評論家軽視」と捉えている時点で、ズレいるな?と感じます。
ここまで、評論家の方々は出入り禁止ですと公けにするということは、相当なことがあったのだと思います。軽視はしていないと思いますよ。
ラーメンに真剣に向き合ってきたからこそ、評論家さんの真剣なご意見には悪いことも良いことも受け入れるのではないでしょうか?
一概には言えませんが、元アイドルというレッテルを勝手に貼って、経営者と見ていない。軽視している、さらにワンチャンあるか?なんて、勘違いしている名ばかりの評論家気取りが多くなってきたから、このような事態になったのではないでしょうか?と、私の個人的には感じています。
Unknown
⑤ラーメン業界の寡占化を防ぎ、新たなチャンスを皆に与える。ってすごく驕りがあるんじゃないんですかね?ちょっとその辺だけは賛成しかねます
ぽん
 今はニューヨークで活動している中村栄利さん(高座渋谷にあった中村屋の店主さん)はアメリカに日本のようなラーメン評価家がいればアメリカでももっとラーメンが認知されて人気がでるのにとYouTubeで語っていました。
 keiさんも6つの要件の半分以上は満たしていますし、特に言語化の実力はすごいので千葉県のラーメン評価家です。自分が千葉県に住んでいて車を持っていたらkeiさんの紹介された無名のラーメン屋巡りをしていたと思います。
定点観測者
この業界の「評論家」って、個人からの情報発信力が少なかった時代(紙媒体、初期のブロガー)がほとんどだと思いますが、「評論家」を名乗るにはなんの条件も無いことから、SNS等個人からの情報発信が簡単にでき、どこでも簡単に食べられるラーメンについては多くの「似非評論家」が出てきてるのが現状、と理解しています。
twitterでの議論も拝見しましたが、「評論家」と「似非」の境界がはっきりしないのが、今回や新馬場の件では十把一絡げで「評論家」お断り、となってると思ってます。
悪貨が良貨を駆逐する、にならなければいいのですが…
Unknown
ラーメン店主さんたちが評論家とはを語ってます
https://www.youtube.com/watch?v=mDe2oblOflc
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