このブログでは、あんまり時事問題にはコミットしていませんが、たまに「書かねば」と思ったときには書いております。ブログは、「ミドル・メディア」と言われています。マス・メディアが書かないような視点、書けないような視点で、自由に書けるところに、ブログのいいところがあるかと思います。
さて、『神戸市北区高校生刺殺事件』の件です。まずは、お亡くなりになった高校生の堤さんには、心からお悔やみ申し上げます。若い命が失うというのは、やはり教育・福祉の関係者としては辛いものがあります。守られなければならない若者が、突然亡くなってしまうというのは悲しいことですし、刺した人間は決して許されるものではありません。きちんと罪に対する罰を受けてほしいと思います。
しかし、それだけだと、マス・メディアが語れば十分、という話になります。連日、マス・メディアでは、刺殺された男子学生の訃報を嘆き、犯人への憎悪を露わにしています。また、男子学生に「逃げろ!」と言われて逃げて助かった女子中学生への同情も集まり、綺麗に「正義」VS「悪」という構図が出来上がっています。「逃げろ!」と叫ぶ高校生は、一種のヒロイズムが入り込み、英雄化されています。また、「心優しい生徒」だと、マス・メディアは伝えています。(参考)
けれど、福祉、教育的(ないしはkei的)に考えてみたら、被害者=正義、加害者=悪となかなか言えないんです。この点は、マス・メディアでは語られないと思うので、ここで書き留めておきたいと思います。
①なぜ中学3年生の女の子が、「深夜」、「22時50分」に、高校2年生の男の子と、自動販売機の前にいたのか。「路上」である(現場の画像)。この時点で、夜中に外をうろついている中学3年生の女の子という像が浮かんできます。うちの学生でさえ、門限9時という子がいるというのに、中学生で11時頃に外出している、しかも、「彼氏」と一緒にいる、というのは、少し考えるべきことではないでしょうか。親は心配していなかったのか。何か彼女や彼女の周囲に問題はなかったのか(参考)
②高校2年生の男の子は、もししっかりとした常識をもっていたなら、中学3年生の女の子を10時50分まで外に出させておくでしょうか。真夜中に、14,5歳の男の子女の子が自動販売機で腰をおろして、もしたばこでも吸っていたとしたら?! 高校2年生ともなれば、11時くらいまでたむろっていても不思議ではない。けれど、普通でもない。11時くらいに外をふらつく子どもたち(若者たち)は、家庭内や学校内でなんらかの問題を抱えている可能性が高い、そう考えるべきでしょう。彼でなくとも、夜中に外にいれば、怖いこと、恐ろしいことはたくさんあります。何があってもおかしくないのが「夜」です。もちろん「殺人」はあってはならないのですが、殺人や犯罪が起こりやすいのもまた「夜」なのです。
*マス・メディアでは好青年として描かれ、ネットでは好青年として描かれない(茶髪高校生)、この「ズレ」こそが、マスとミドルのズレなのです。マス・メディアしか触れていない人は、単純な「正義」VS「悪」の二項対立でこの事件を語ってしまうでしょう。ネット的な考え方は、こちらのブログ が参考になると思います。
③神戸新聞の記事によると、犯人は「強い殺意」があったとされる。各種メディアの記事を読むと、だいたいどの記事にも、「強い殺意」を匂わせる箇所がある。ここからは想像の域に入るが、この高校生と中学生に強い殺意のある30代の小太りのジャージ男、もしこの高校生らがそのジャージ男をからかったり、悪口を言ってたとしたら、「キモくない?」とか言ってたとしたら? あるいは10時40分の時点でかなり大声でベチャベチャおしゃべりをしていたとしたら? 真夜中の若者の騒ぐ声ほど不快なものはない。そういう「憎悪」が犯人にあったとしたら? 「人見知り」という報道もあるが、その具体的な関係が「近所の若者」と「さえない近所のもてない男」だったとしたら?(関連記事)
④マス・メディアが伝える画像なんかを見ると、二人ともそれなりにイケている現代的な若者でした。恋人同士だったということからしても、お互い、異性慣れした、ある種幸せな男女だったと思います。中学生で恋愛して、恋人を作っているのだから、他の人にしてみれば羨ましい話です。男子高校生はレゲエ・ミュージックが好きだったそうです。イマドキのスマートで女性に好かれる男の子だったのしょう。それに対して、報道の内容をそのまま受けとめるなら、かなりイケてない犯人像が浮かんできます。「小太りの20代~30代のジャージ男」をイメージした時、どんな犯人が浮かんできますか? きっと独身だったのでしょう。ファッションにも無頓着だったのでしょう。恋愛経験はどれだけあったのでしょう? 僕ら世代の犯人だったとしたら、少し同情してしまいます。つまり! 被害者と加害者は、絶対的に分かりあえない断絶によって隔てられた存在者同士だったのです。被害者の男の子が生きる世界と、加害者のジャージ男の生きる世界、そこには何の交わりもなく、触れ合うこともなく、重なることもない。そんな両者の生き方の違いが見えてくるんです。
以上の4点からして、この事件を単純に語ることはできない、というのが僕の意見です。女子中学生が夜中に外をうろついていて、それに高校生がつきあい、そして、ジャージ男という30代のリアリティーを映す男性。あまりにも色んなことが重なりすぎていると思うのです。
僕が特に案ずるのは、「20代~30代の小太りのジャージ姿の男性」です。結婚していて、子どもでもいて、仕事もしっかりあって、幸せに平凡な生活を送っているなら、こんな事件を起こすことはないでしょう。高校生を殺意をもって刺殺するなんて、普通じゃありえません。が、秋葉原連続殺傷事件の彼同様、身も心も枯れた20代~30代の男性はかなり多いと思うんです。仕事もなく、恋人もなく、夢もなく、期待ももてず、努力もせず、気力もなく、殺気だっているヤングアダルト、成人男性はかなり多いと考えた方がよいと思います。
犯人が可哀そうだとか、そういうことは言う気はありません。でも、そういう男性が犯人のみならず、ますます増えているんじゃないでしょうか。一つの事件としてみれば、ただの犯罪者ですが、大きくみれば、こういう男性こそ救いが必要でしょうし、社会的にみんなで考えなければならない問題だと思うんですよね。
色んな意味で胸が痛む事件でありました。