Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

こんな時だからこそ、本を読もう!(2)

嗚呼、もう嫌になりますねー!!

いつまで続く、コロナ禍、大災難…

毎日毎日、テレビをつけても「コロナコロナコロナコロナ」…

それに、情報があまりにも多すぎて、「インフォデミック状態」に…

頭がおかしくなりそうですね。。。

(それに加えて、僕は「睡眠時無呼吸症候群」のことも…😿)

でも、そんな時代だからこそ、

籠って、ひとり本を読みましょう!

と、叫びたいと思います(苦笑)

「ひとり呑み」のススメの後は「ひとり読み」!!!

人と会って、しゃべったり、食べたりできないなら、こんな時期だからこそ、「乱読しよーぜ!!」って。

前回の記事はこちら

普段は、あまりこのブログでは読んだ本のことは書いてませんが…。

こんな時期ですし、「僕はこういう本を読んで、心ときめいているよ!」っていうのを伝えられたらなぁと思って書きました。アクセス数を見ると、わりとこの読書記事、結構読まれていたので、調子にのってその第二弾!!

今週読んだ(読んでいる)本のご紹介です!


①『これが人間か』

アウシュヴィッツ絶滅強制収容所に拘留されたユダヤ系イタリア人レーヴィ(1919年にトリノで生まれ、1987年に自室で自殺)の貴重な強制収容所の体験談となる本。化学者であり詩人であったレーヴィ。この人の言葉に、なんども打ちのめされそうになった。

「暖かな家で 何ごともなく生きているきみたちよ 夕方、家に帰れば 熱い食事と友人の顔が見られるきみたちよ。…これが人間か、考えてほしい 泥にまみれて働き 平安を知らず パンのかけらを争い 他人がうなずくだけで死においやられるものが。これが女か、考えてほしい 髪は切られ 名はなく 思い出す力も失せ 目は虚ろ 体の芯は 冬の鮭のように冷えきっているものが」(p3-4)

「個人にせよ、集団にせよ、多くの人が、多少なりとも意識的に『外国人はすべて敵だ』と思い込んでしまう場合がある。この種の思いこみは、大体心の心の底に潜在的な伝染病としてひそんでいる。だがいったんこの思いこみが姿を現わし、…外国人はすべて殺さなければならないという結論が導き出されると、その行きつく先にはラーゲル[Lager; 収容所]が姿を現わす」(p.5)

②『施設で育った子どもたちの語り』

児童福祉や社会的養護を学ぶ人たちやその現場で働く人たちには、最高のテキストだと思いました。かつて児童福祉施設で生活を送り、社会に出た人たちが、「当時の記憶」を言葉にしてくれています。こういうテキストこそ、「本当の教科書」だと思います。保育士養成課程の「教科書」とは全く違う世界がこの本の中にはあります。改めて、厚生労働省が提示する「保育士養成課程」(その見直し)が、どれほど「死んだ言葉」の羅列かがよく分かります。それは同時に、「行政」と「生活の当事者(子どもたち)の乖離でもあるんです。⚓

当事者の語りを収録した本の中でも、かなりとても読みやすく、また深く考えられる良本です!

③『私のシュトルム・ウント・ドラング-「詩と真実」から-』

1990年に出版された文学者井上正蔵さん(1913-1989)の古い本。今、論文で「シュトルム・ウント・ドラング」について触れているので、この本も読んでおこうと思って購入しました。井上さんの本(訳本)は実は結構読んできました。ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』も井上さん訳のを読んでいました。

Strum und Drungは、「疾風怒濤」と和訳される言葉で、18世紀の文学的なムーブメントのことを言います。井上さんはゲーテやハイネの詩に触れつつ、ご自身の疾風怒濤の人生を振り返っています。直接、自分の研究には関係ない本ではありますが、Strum und Drungの理解を深めるためには、いい本でした。

また、今のビジネス化し弱体化した大学業界とは全く全く違う「大学の世界」を覗き見る喜びもあったかな…。また、ドイツをこよなく愛する井上さんのお言葉は、どれも共感するものばかりで…。僕が憧れを抱いたのは、こういう世界だったよなぁとしみじみ思い、現実の自分と重ね合わせて、少し切なくなりました…。

④『生命をめぐる葛藤-ドイツ生命倫理における妊娠中絶、生殖医療と出生前診断』

著者の小椋さんは、ドイツの「妊娠葛藤相談」の研究をしてきた人で、その名はずっと知っていました。その小椋さんのおそらく初の単著ということで、ちょっとワクワクしながら読みました。論文でしか、彼の文に触れたことがなかったので、どんな本に仕上がっているのだろう?、と思って読みました。

妊娠葛藤相談の話も出てきますが、もっとより大きな視点での議論になっているかな、と。妊娠中絶、出生前・着床前診断、代理出産、不妊治療など、生命をめぐる(主にドイツの)議論を知ることができます。妊娠葛藤相談の歴史的背景について知りたい人は、是非一読されることをおススメします。「円ブリオ」や「ベアホープ」も出てきます♪

⑤『人間性尊重教育の思想と実践』

赤ちゃんポストと教育の問題を考える上で欠かせないのが、ペスタロッチの「嬰児殺し論」。その嬰児殺し論について、学術的に論じているのが、この本です。第Ⅱ部第2章の「法的・倫理的自立援助と宗教」の部分が読みたくて、購入しました。

「ペスタロッチは、…貧困家庭の子どもたちの経済社会における自立への援助の問題とともに、法的な意味での貧民の自立援助にも真摯に取り組んだ」(p.145)。「ペスタロッチは、女性を男性と同じく、人間の尊厳をもつ人格的存在と見ていた」(p.153)、「ペスタロッチの見解では、…少女を助けてやることは、人間社会の道義や幸福の妨げになるとはいえない。むしろ、そうした援助や忠告がないことが、少女たちの心を硬化させ、女性の美点と本分とを支える基本的な素質の敏感性を失わせ、絶望に追いこむのである」(p.161)。…

赤ちゃんポスト論をもう一歩深いところまで推し進める上で、この本はとても有意義な内容でした。

⑥思春期問題としての不登校

最後は、僕の大先輩でもある加藤誠之さんの渾身の一冊。長年続けてこられた不登校研究の集大成となる本です。サルトルの思索を手掛かりに、不登校の体験の分析を行っています。僕自身、元不登校児でもあるので、本当に勉強になりましたし、新たな考え方?も得ることができた気がします(当事者では気づけない部分も多々あるので)。以下、要約と感想です。

***

第一章は主に「先行研究」。1930年代~40年代頃からの不登校研究を追っていく。日本が戦争中の頃に既に「school phobia」が議論されていたことにも触れている。その後の研究で、「不登校の特徴は明瞭な原因を欠く事態として立ち現れる」ということが分かってきて、更にその原因を社会の側に求める動きが出てきたと指摘する。

第二章~第五章は、加藤さんの現象学的解明が試みられている。

第二章では、不登校児の「内省方向」を手掛かりとしつつも、「彼らの世界-内-存在の根源的な作用」に遡ることで、彼らの生を理解する必要があることを示し、そのために彼らの「気分」に着目する。「居心地の悪さ」「窒息しそう」「叫びたくなる」「不安な気持ち」「じっと椅子に座っていられない感じ」「罪悪感」「重々しい気分」等々、不登校児の「気分」を浮かび上がらせる。

第三章では、サルトルの『存在と無』の思索(特に無=nothingness)を追うことで、不登校児の「気分」の根源的な作用の内実に迫っていく。有名な「対自存在」(意識)と「即時存在」(事物)や、「定立的意識」「非定立的意識」、また「無」「無化作用」「不安」等の議論などを通じて、不登校児もまた「何かの実在的な原因によって必然的に登校できなくなっているのではない」(p.53)ということを訴える。というのも、彼らの意識もまた「非定立的」であり、「対自存在の無化作用」によって不安に苛まれているからである、と(p.54-60)。

第四章では、「自我経験(Ich-Erlebnis)」に着目して、前章の基礎付けを行うと共に、不登校児の自我体験の解明を試みる。人は思春期頃に「他ではない自分」を意識する。自分とは何かと問い、「現在の自分を超出していく」(p.65)。その際に意識を向けるのが自分の身体であり、その逃れられない私の身体とその意識(またその分離)に目を向けると、まさにそこにおいて「反省的意識の成立の経験」とそれに伴う「自らの存在の偶然性についての自覚」が見えてくる(p.73)。これによって現れてくるのが「他者存在」であり、「他有化」である(p.77-78)。それが嫌で不登校になった子の言葉も出てくる。他有化された世界は、その子らにとっては「今までの慣れ親しみを失ったよそよそしい世界」となる(p.79)-ここで暗に第二章の「気分」との連関が示されるー。

第五章は、まさに長引くコロナ禍の中の子どもたちの不安とも関わる(実践的に)重要な章だ(10代の自殺の増加等)。不登校児にとっての学校は「不安の場」であり、また行くか行かないかという選択においても「不安」が迫ってくる。「行くか行かないか二つに一つだ。いくらみんなに行けといわれても決めるのは自分だ。ほんとにしんでしまいたくらいなんや」(p.84)という言葉は、かつての僕の記憶とも重なる。僕は途中から考えるのをやめ、好きなドラマや音楽に没頭した(逃避した)。加藤は、こうした個々の「状況」を踏まえ、二つの教師の関わり方を提示する。ハイデッガーに倣い、「尽力的顧慮」と「垂範的顧慮」だ(p.87)。後半はこの二つの関わりの事例を検討する。

第六章では、「よそよそしい世界」となった学校等はどうしたら「再び慣れ親しみのある世界」になるのかが問われる(p.99)。その際にまず試みるのが、「他者の『我有化(appropriation)』」であると加藤は言う(僕も学校から逃避して、家庭の中で暴れたり叫んだりして家族を我有化しようとしていたかも…、とふと思った)。「家庭内暴力が可能になるのは、家族をあたかも自分の一部のように取り扱うから」という斎藤環の言葉も出てくる(p.103)。しかし、それでは社会の中で生きていけない。そこで加藤が取り上げるのが「みんな」である。不登校児らは、「『みんな』の一員であると思えるようになったとき、不登校を脱する手がかりをつかむのである」(p.106)。しかし、彼らは学校に行っておらず、「罪悪感」や「負い目」を覚えている(僕もそうだったと思う)。その際に問題になるのが、「生まじめな精神」をもつ「よい子」という在り方である(p.108)。

第七章では、その「よい子」の分析が試みられる。不登校児は「よい子」が多い。そのよい子を脱するために、「他者によって逸脱的な遊びを肯定される経験をもたなくてはならない」(p.114)-僕にとっては「ロック」「ギター」「作詞・作曲」がその逸脱的な遊びだったかも…)-。ここで加藤は「遊び」の哲学的な記述を参照していく。ホイジンガ、カイヨワ、ガダマー、そして、サルトル…。ガダマーの「遊び自体が遊ぶ者にとっては危険である」という点も踏まえ、逸脱的な遊びの意義を探っていく。そこで加藤が見いだすのが、「ヤンチャな同級生とのかかわり」(p.121)である。先生や大人だけでなく、同じ逸脱的な遊びを行う仲間が必要だというのである-僕の場合は、バンド仲間だったかなー。

第八章では、そのヤンチャに目を向け、不登校と非行の問題が描かれる。加藤さんの非行分析はとても面白いです。非行=「日常性からの解放」という見立てとか、「死の危険を冒してまで非行という遊びに熱中する」とか、よい子の在り方を乗り越えること=非行=「道具としての有用性を否定し、自分の自由を顕示し現前させる上で最も有効な手段」とか…(p.136-137)。前章の「逸脱的な遊び」に、不登校問題を克服するきっかけを見ている-この考察は今のコロナ下の子どもたちにも通用しそうだ-。「若者は大人になる前に、たとえ非行という逸脱的な仕方によってでも、一度は自分の自由に飽きるまで遊びを遊び抜かねば、遊びを断念して労働の世界に定着できなくなりかねない」(p.141)は名文だ。

第九章では、定時制・通信制高校のヤンチャな生徒の事例研究であり、「よい子」を乗り越えること・「よい子」を生きることをやめることの必要性が確認される。

この本は、不登校研究の学術書だけれど、思春期の子どもとかかわるすべての人に読んでもらいたい本だ(難解な箇所はさらっと読み飛ばしてもエッセンスはつかめるはず)。「いい子」を知らず知らずのうちに強要している親や教師たちには、耳の痛い話が続くが、思春期の子どもがしっかりと大人になるために、われわれは何をどう配慮したらよいのかもしっかりと書かれている。僕ら大人自身も、ある程度の「逸脱的な遊び」を楽しむことも必要かもしれない。

コロナ禍の中、ますます生きづらくなっている。若者たちも不自由さを強く感じているだろう。逸脱する遊びもそうでない遊びもなかなかできない。カラオケさえいけない。そんな中で多感な時代を過ごす若者たちに対して、「あれをするな」「これをするな」「あれをしろ」「これをしろ」とばかり言っていないだろうか。加藤さんの本は、われわれに対する警告の本にもなっているように思う。

不登校論としては、たとえば「いじめ」や「排除」という明確な原因で学校に行けなくなった子や、「発達障害」「愛着障害」等の理由で学校に行けなくなった子(そもそも「よい子」が演じられない子)や、外国人家庭の子どもや、親の離婚や再婚などの家庭的な理由で不登校になった子や、更には思春期以前から学校に行っていない長期的な(ベテラン的な)不登校児など、「よい子ーヤンチャ」では説明できない不登校児の世界の理解も、今の時代には求められているように思う。また、ところどころで指摘されているけれど、「貧困」や「社会的不利」の問題とこの問題の関連についても、もう少し深掘りする必要があるかな、とも。また、よい子をやめ、逸脱的な遊びをし、そこで仲間と出会っても、社会復帰できる子とできない子がいる(実際に僕のまわりにもいるし、死んでしまう人もいた)。その両者を分かつ要因は何かについても、探ってほしいと読み終わって思った。

***

まだまだ、読みたい本や読まなきゃいけない本がいっぱいです…😿

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