Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

あの日から8年-僕も、僕が大嫌いだったから…

あれから8年…

上の画像を見て、8年と綴れば、分かる人には分かってもらえるでしょう。

32歳の若き才能あるロックボーカリストがこの世を去った。

僕の弟と同い年なので、生きていれば、今年で40歳になっていたはずだ。

もし彼が生きていて、今の時代に40歳を迎えていたとしたら…

何をどう感じていたのだろう?

きっと、吐き気なんてもんじゃないほどの苦痛を感じているのだろうと推測する。

あるいは、もう絶望を超えて、シニシズムの世界に入り込んでいたかもしれない。

僕的には、それでも、彼には生きてもらって、叫び続けてほしかった。

でも、叫び続けるのは、あまりにもしんどい…。

***

最近、僕も色々と取材やらなんやらを受けるようになった。

そこで、「どうして研究者になったんですか?」と尋ねられることもしばしば。

僕が、「昔、ヴィジュアル系(の前の時代の)バンドをやってたんです」というと、みんな、目が点…(苦笑)

面影なんて、0.1ミリもないですからね(苦笑)

しかも、研究のテーマが「赤ちゃんポスト」…。

どこからどう考えても、つながらない…(;´・ω・)

けど、僕の中では<完全に>つながっている。

ヴィジュアル系に詳しい人なら、分かってもらえると思う。

「捨て子」「子殺し」「近親姦(incest)」「中絶(児)」「レイプ」「心中」「虐待」「自殺」「胎児」

ヴィジュアル系バンドが扱うテーマ群だ。

歌謡曲や歌謡ロックや商業ロックが、お昼の人間のために歌うとすれば、

ヴィジュアル系は、真夜中の人間のために歌う。

幸せな人間に届く必要はないし、極限の状況にある人にだけ届けばいい。

孤立した人、絶望した人、苦悩している人、生と死の間にいる人、

そういう人のためだけに存在していれば、それだけで存在理由が満たされる…

ただ…

バンドの人気が落ちるのは、想像以上に早い。

あっという間に、沈んでいく…。

音楽は世代の壁を超える、というのは、ダークな世界では通用しない…。

ロックの世界で、叫び続けるのは、本当に難しい。

今の若者は、ラルクも、グレイも、LUNA SEAも、みんな聞いてない。(一部のマニアは除く)

アングラとなれば、さらにもっと知らない。

わずか20年の壁さえ、超えられないのだ。

生き残ろうと思えば、お昼間世界の歌を嫌でも歌わなければいけなくなる。

お昼間世界の歌は、キレイで、お涙で、分かりやすくて、万人受けしなければならない。

消毒して、笑顔になって、手を振って、「お客様」に「ありがとう」と…

唯一、お昼の世界に完全に唾を吐き続けているのは、DIR EN GREYぐらいだろうか。

ただ、それでも、今の若い子に、彼らの叫びが届いているかどうか…。

***

20年以上前の僕は考えた。

「どうしたら、ナカユビを立てながら、毒を消さないで、若者たちと関わり続けられるだろうか」、と。

自分を偽らずに、あらゆるキレイゴトを拒否して、若者に叫ぶことを伝えるには、どうしたらよいのか、と。

何をやっても、「成果」や「結果」や「報酬」や「利害」が求められてくる。

でも、それを求めると、自分の魂をそっちに売らなければいけなくなる。

そんなことをするなら、死んだ方がマシだ、とも思った。

(金に魂を売ってる大人がどれだけ多いことか…)

とはいえ、生きていく上で、<金>は必要だ。

必要以上のお金は要らないけど、最低限の金は得なければいけない。

20歳を過ぎた頃の僕は、真剣にそのことを考えた。

どうしたら、魂を売らないで、生きて(生活して)いけるのか?、と。

もちろん、その根っこには、夜や闇の中で苦しむ若者に力を与えたい、という想いがあった。

自分が、当時のダークなロックに救われたように、ロックで誰かを救いたかったから。

でも、ロックだと、自分が歳を取った時に、若者を救えない、とも気づいていた(気づかされた)。

あるロック音楽関係の先輩に言われた。

「ロックで若者を救う? オマエ、ホント甘ちゃんだな。オマエ、だいたい40歳、50歳のおっさんの音楽を聴いているか? 聴いてねーだろ。同じ世代、ちょっと上のお兄ちゃんのロックを聴いて、感動したんだろ? それがリアルなんだよ。オマエがおっさんになった時に、その時代の若者が、オマエの歌を聴くと思うか? 若い時しか、ロックは若者を救えねーんだよ。若者を救いたいという気持ちの方が強いなら、ロックなんてやめちまえ。夢見てんな…」

と。

で、その人に最後に言われたのが、「オマエみたいなやつが、大学に行けよ」の一言だった。

***

「なんで、研究者になったんですか」。

この質問を受けるたびに、こうしたことを思い出す。

僕は別に、学者として成功したいわけじゃないし、先生先生とチヤホヤされたいわけでもないし、本が売れて有名になりたいわけでもないし(ちょっとは売れてくれないと、次出せなくなるけど…(;´・ω・))、学会で論文が認められて、評価されたいわけでもない。新聞やテレビに出るのも決して悪い気はしないけど、それが目的になることはないし、こっちから出たいとアピールする気もない。

中学の時に味わったあの苦痛から、ああいう苦痛を感じている子どもや若者たちを救いたい、助けたい、力を与えたい、それだけが僕の「夢」だった。だから、「教師」と「心理士」の両方をマスターして、そういう子たちのために生きていこうと考えた時期もあった。影の世界にいる子どもたちに寄り添えるようにと、教育学、社会福祉学、心理学を全部学んで、そしてボランティア活動もいっぱいやって、理論的にも、実践的にも、自分の力を高めていこうと思っていた(大学時代)。

けど、またしても、別のとある人に言われた。

「オマエは、一人の子どもを救いたいのか。それとも、一万の子どもを救いたいのか。一人の子を救いたいなら、実践現場に出ればいい。けど、オマエは、研究もできる。研究者は、研究次第では、一万の子どもを救えるんだぞ。一人の子を救うことはとても尊いことだ。すごいことだ。けど、それは、オマエでなくてもできる。一万の子どもを救える人間になる気はないのか? 甘ちゃんだな」

と。

そして、研究者という道を「選択」した。

今の自分の研究や教育が、一万の「闇」の子どもたちを救うことになっているのかどうかは分からない。ただ、実際、赤ちゃんポストの研究を通じて、(まだまだだけど)少しだけ、児童福祉の発展?に寄与できたとは思っている。また、自分の教え子たちが、次々に、乳児院や児童養護施設や母子生活支援施設や障害児施設に行ってくれている。僕の下で学んだ子たちが、そういう子どもたちのために尽力してくれている。そのすべてを数えると、1万に手が届くかもしれない…

でも、それで満足するわけじゃない。

真夜中に、ひざを抱えて、独り何かに怯えて、朝が来ることに怯えている子が、一人もいなくなるその日まで、僕の戦いは続くと思っている。もちろん、「夜回り先生」みたいなあんな神めいたことはできないけど、今の自分の持ち場で、できる限りのことはしたいと思う。今年も、「こっち」の世界に飛び込もうとする教え子たちがいる。

***

彼が亡くなって、8年。

彼が残した歌を聴きながら、色んなことを考えた。

でも、彼の歌を聴きながら、僕自身の<原点>に立ち戻れた気もした。

僕も、僕が大嫌いだった。

だから、僕も、dislike meって叫んでた。

顔も、体も、心も、吐き気がするほど、壊したかった…。

(特に体への吐き気は半端なかった…)

彼のこの曲を聴き続けて、

そして、僕は今の僕ができることをしぶとく続けていこうと思う。

彼の死から、僕は多くを学んだ。

これからも、彼のことは忘れないで、この道を進んでいく。

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