1993年(平成5年)にニューギンから登場したデジパチ「CRビクトリー2」
★賞球…6&10&15
★大当り確率…設定3段階あり
・設定1=1/250
・設定2=1/262
・設定3=1/291
★大当り図柄…0~9、$、¥、V、F、「BAR」(全15種類)
⇒「BAR」…左デジに「B」、中デジに「A」、右に「R」の図柄があり、BARで揃うと大当り
★確変機能搭載
・「3」または「7」で当ると、プラス2回の確変に突入(突入率2/15、ループあり)。
・確変中の大当り確率…設定1=1/70 設定2=1/72 設定3=1/76
・確変中の小デジ確率=99/100(通常時は1/10)
★本機は、初期CRデジパチ「CRビクトリー」の後継機である。
CRビクトリー(ニューギン、1992年)…大当り確率は「2」と同じ。コチラは「3」「7」「V」で当ると、次回まで確率9倍アップ。「CRエキサイトロイヤル」に次ぐニューギンCR機第2弾。
ニューギン初のCR機「CRエキサイトロイヤル」(1992年)
・大当り確率=1/257.7(設定1)、1/279.2(設定2)、1/304.5(設定3)
・「3」「7」「王冠」の3種類で当ると、次回大当りまで確率10倍アップ。
・当時の実戦ホール…東京・浅草「国際ゲームセンターPARTI」
⇒ボディコン・コスプレ・バニーの女性店員で、一躍脚光を浴びた名物店。PARTI~Ⅲの3軒があり、本機を設置していたのは国際通り沿いの併設店「PARTI」。すぐ隣にスロ専門店の「PART2」、少し離れた飲み屋街の角地にスロ専「PART3」があった。
バニーのコスプレで客に応対する、「浅草国際」のカウンター嬢(1994年)
本機は、当時馴染みの店でほとんど見かけた事がなく、かなりの「マイナー機」だったと思われる。たまたま遠征で遭遇する機会があったが、半日ほど打って単発を5、6回引いたのみで、最後まで確変は引けなかった。
ただ、本機のリーチアクションは、かなり特徴的だった印象がある。少し記憶が揺らいでいるが、ノーマルリーチの他に前後2コマでのみ止まるロングリーチがあり、また、確変絵柄と通常絵柄では、リーチ中のBGMが違っていたと思う。
特に、確変のリーチがスーパーに発展すると、右デジが大当り手前で超スロー回転となり、大当り絵柄で一旦止まったかと思うと前後に外れたりして、かなりジリジリさせられた。かのCR花満開の「花びらリーチ」とは、一味違った興奮を味わえた。
この当時は、まだ現金機が主流であり、CR機を設置するホールはどちらかといえば少数だった。中には、成増の「ミリオン」チェーンのようにCRを多く導入する店もあったが、大半は現金機のみの設置で、CRはせいぜい1~2機種という感じであった。そして、その多くが爆裂機の「CR花満開」導入店であった。ただ、この年(1993年)の10月に起きた「ダービー物語事件」を契機に、連チャン現金機への締め付けが強化され、CR導入の流れは一気に強まった。
(自宅にあった2000円のパッキーカード…パンチ穴をみたら、度数が500円分残っていたw)
★各メーカーの主な初期CR機リスト(1992年~1993年)
・三共…CRFウィンダム、CRFキングI、CRFパワフルII
・平和…CRシグマ、CRミリオン、CR横綱II
・西陣…CRうちどめくん、CR一気、CR花満開
・ニューギン…CRエキサイトロイヤル、CRビクトリー、CRビクトリー2
・京楽…CRフラワーショップ、CRジャパネスク2、CRラスベガス、CR桃太郎
・大一…CRエルドラド、CRハーレム
・マルホン…CRワンダフル、CRトランプマン
・三洋…CRミラージュナイト、CR野球拳
・奥村…CRエンペラー2
・藤商事…CR回転焼
・まさむら…CRアフターファイブ
・豊丸…CRビッグボンバーV、CRピットインF1
・高尾…CRノーザ
などなど
★翌1994年に入ると、CR球界王EX(西陣)、CR名画(平和)、CR黄門ちゃま2(平和)、CRビッグソロッター2(大一)、CRFワールドI(三共)、CRトラベルチャンス2(三洋)、CRチャンピオン2(奥村)などの「定番」機種が続々と登場した。